冷たくなれない雨の少女
現実だった。
あの人が消えたことも、今この島で殺し合いが始まったことも。
里村茜には目的があった。
あの雨の空き地へ帰ること。
あの場所に縛られることで、輝く季節に自分を繋ぎ止めていられること。
心のどこかで逃避だとわかっていても、それを自身で認めるほど強くはなかった。
だから、こんな所で殺されるわけにはいかなかった。
右手に握りしめたナイフに目を落とす。
あの雨のように冷たい決意をその手にこめて。
ふと目をやると、見慣れた顔が目に入る。
学校の後輩だった。
上月澪、茜にとって大切な人の一人だ。
そう、大切な――。
握った右手に汗が浮かぶ。
大きく深呼吸をして、ゆっくりと、歩き出した。
澪が抱き着いてくる。
涙が、茜の制服を濡らした。
茜の胸に顔を埋め、声もなく泣いている。
つまり、こちらの動きは見えていない。
その姿に、茜はためらいを覚えた。
決意が、揺らぐ。
生き残って帰る為に、非情で冷徹な、殺人者になるという決意が。
その為に与えられた試練だった。
この少女一人殺せなくて、どうしてあの親友まで殺せるのだろうか。
誰かが言った。
――殺せ、と。
茜は右手を振り上げる。
同時に、澪との様々な思い出が、巡る。
――本当に、そんなことをしてもいいの?
さっきとは違う声がする。
あの人のこと、空き地のこと、詩子のこと、澪のこと。
答えは一つしかなかった。
「ごめんなさい……」
茜は、その手を、降り下ろした。
涙が伝う。
自分の頬を、そして、澪の頬を。
自分とは違う涙の気配を感じて、澪は顔を上げた。
ごめんなさい、という声と同時に、ナイフを持った茜の手が動く。
そして、澪の肩を掠めて、そのままナイフは茜の手から滑り落ちた。
澪は状況がつかめず、ただうろたえた。
茜は澪の制服をつかみ、ゆっくりと膝を折る。
地面に膝がつき、顔を伏せる。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
誰に対する謝罪だろうか。
乾いた地面に涙は吸い込まれ、声を上げて、茜は泣いた。
空から降り注ぐ温かな光が彼女を包む。
優しい風が、茜の涙をさらっていった。
悲しみの涙をふくんだ風は空高く舞い、雲の向こうへと消えていった。
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