雪路の果て
星が輝いているのかも知れない。
さんさんとした夜と、柔らかな風の心地が、今日は晴れていると確信させた。
光は届かない。けれど、風も優しい。
その匂いと、肌で感じ取れる闇の美しさ、緑の雫、それらすべてが、
「今日の風は、百点満点だよ」
――それを、証明していた。
それが、すごく、悲しかった。
わたし、川名みさき(028番)は、何処かに向け、歩いていた。
ここは死の淵。
人殺しが許容される場所。
まだ夕焼けが見る事が出来る時間までは遠い。
あと、何時間も、何時間も、生き残らなければいけない。
どうしてこんな事になったのだろう。
目が見えないわたしにとって、殺人者はわたしをただの案山子と見るだけだろう。
でくの坊のように立ちつくすわたしを、ただ、殺しに来る。
誰かがきっと、殺しに来るのだ。
浩平君、澪ちゃん、雪ちゃん。
自分と同じく、この殺し合いに巻き込まれた友達。
もう一度逢いたかったけど、
それよりも、彼らに生き残って欲しかった。
大好きだったから。本当に彼らが、大好きだったから。
学校のような建物が見つけられたら、と思う。
そこに至る事が出来れば、わたしは満足だ。どうせ生き残る事が出来ないなら、もう一度――。
けれど、見も知らぬ土地で、自分が上手く行動出来るかなんて判らない。
浩平君が手を牽いてくれて初めて、わたしは「あそこ」から出る事が出来たのだ。
わたしが今連れてこられた場所は、学校の雰囲気とは程遠い、狭い空間だった。
支給品を一応手に取り、わたしは、そこから歩き出した。
捜すために。けれど、けれど――。
一人でなんて歩けないよ。
けれど、わたしは歩き出した。震えているのは、もっとつらい。
がたがたと脚を振るわせながら、わたしは島の中を徘徊する。
見知らぬ土地を歩くのは、やはり、怖い。
誰か知り合いが見つけてくれる事を祈っているわけでもない。
風が綺麗で気持ちいいから、学校にたどり着けないのなら、ここで、
風の中で、果てるのもいいかも知れないと思ったから。
数分ばかり歩くうちに、森の風がざわめくのを感じた。
薄暗い気配を、耳と肌で直感したのだ。
本当に薄く、弱い気配だけど、やはりそれは幻ではない。
がさりと言う音が聞こえたのだから。
わたしは息を呑んで、覚悟した。
けれど、薄い希望が胸を取り巻く。きっと目の前に立っているのは、浩平君か雪ちゃんだ。
だからわたしは、申し訳ばかりに持ってきた、支給品の入った鞄をその大地に落とした。
浩平君や雪ちゃんと、殺し合いなんてするつもりはないんだよ。
そんなの、すごく悲しいよ。すごく、つらいよ。
だから、殺し合いなんてしようとするのは止めてね。
浩平君や雪ちゃんなら、わたしを見て、きっと、笑ってくれると思ったから、
きっと、目の前でわたしの顔を見て、ほっと息を吐いて笑っている筈の友達に向けて、
わたしも、笑った。
「――お前は」
太い声は、聞き慣れない他人の声。
そっか、――違ったか。会えなかった。
でも、良いや。
泣かないでおこう。
最後まで笑って――死ぬ事にしよう。
手を広げて、わたしは踊る事にした。
幸い、踊るには充分な広さだ。
目の前の人には、自分の姿は滑稽に映る事だろう。
けれど、そんなの構わない。
せっかくのこの美しい風の中で踊らない方が、余程不健康だ。
「何故、笑う?」
声は云った。
「俺はお前を殺すかも知れないのだぞ」
「別に、構わないよ」
「泣かないのか? 俺はお前に拳銃を向けているんだぞ」
他人事のように笑って、わたしは返事をする。
「そうなんだ」
それを聞いてか――声は、一瞬震えたような気がした。
風がまだ強い。わたしの長い髪をふわりと浮かせる。
「お前は、目が」
そう、訊ねたのだろう。
わたしは笑って、頷いた。
「見えないよ。あなたがどれだけ恐ろしい形相をしてるかも見えないし、
あなたが本当に拳銃を持っているのかも判らない、わたしはそんな娘だよ」
戸惑いがあったのだろう。風が少しだけ乱れている。
美しい風に相応しい、心地よい惑い。
「殺すなら、殺しても構わないよ」
わたしは投げやりに呟いた。
「簡単に殺せるでしょ?」
だが、男は不快げに、こう呟いた。
「――馬鹿者」
――さて、
どうしてこのような事になっているのか。
先程までわたしの前に立っていた青年――坂神蝉丸(040番)は、わたしの手を牽いて、
森の中をざくざくと進んでいく。
わたしの脚の早さに併せた、しかししっかりとした歩みだった。
「どうして、わたしを連れて行くの? 目が見えないわたしなんて、足手まとい以外の何でもないよ」
疑問に思ったので、わたしは訊ねた。
わたしに逆らう術はない。「付いてこい」と言われれば付いていくしかない。
しかし、足手まとい以外の何者でもないわたしを、殺すのに躊躇したのだとは云え、
連れて行く義理などない筈で。
蝉丸は、――だが、心底、太く、逞しい声で答えた。
「――馬鹿者。弱者を守るのが、強化兵の――俺達の役目だ」
こうして、わたしと彼の旅路は始まったのである。
浩平君にも雪ちゃんにも会えるかも知れない。
僅かな希望の光と、辺りを包む闇、そして風が、本当に心地よい。
手は優しく大きい。まだ彼を完全に信頼出来るわけではない、けれど、暖かかった。
浩平君の手に似ている、と、少し、感じた。
【川名みさき 坂神蝉丸と行動開始。】
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