The Big Sleep


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『私、後悔はしておりませんわ……』
 
  
 アイドルを夢見た少女がいた。

 けれども少女は厳格なお屋敷で育てられたせいか、柔らかな
表情を表に出すのが苦手だった。
 歌も人並みには歌えたが、その歌には自分で自分の未来が感じ
られなかった。
 そもそも、旧家の流れを組む両親が、アイドルなとという、
不確かな進路を許すはずはなかった。
 ただ少女の、ブラウン管の中から人々を魅了してやまなかった
『アイドル』という存在への、あこがれは消えなかった。
 少女は様々な教養を与えられ、それらを難なく身につけて成長
を続けた。
 
 
 大学も半ばまで進級したところで、両親が不慮の事故で失われた。
 ここで彼女の将来が決まった。
 家の問題と、自身の才能不足の、両面からあきらめていた夢。 
 しかし、自らがなれないのであれば、せめて作り出す側へと、
彼女は考えた。
 幸い少女は物事の流れがよく見えたし、修めた知識も広く、
何事に付けても要領はいい方だった。
 時運もまた、彼女に味方したと言っていい。

 世界的なシンガーソングライター緒方英二が、若くして現役引退。
 その手で創立したプロダクションは、当初は色眼鏡で見られ、
入社にあたり競争相手は少なかった。
 もっとも、当時の選考は最終的に英二その人の手で行われたから、
競争相手の多寡は関係なかったかも知れない。
 そして、音楽の才能だけでなく、人を見る目も確かだった英二に
よって、スタッフ的には(あくまでコスト内でという意味だが)
最良の布陣で緒方プロはスタートした。
 彼女はその一人になったのだった。


 さらに時は流れ、緒方プロは次第にその存在を認められるようになり、
やがて緒方理奈それに続くように森川由綺を世に送り出したところで、
完全に業界のトップを独占したと言って良かった。

 彼女──篠塚弥生──の目的は、自らの担当するアイドル、森川由綺を
No.1に押し上げること。
 その夢もあと僅かと言うところまで来ていた。
 ……しかし、夢はまた失われた。
 森川由綺の死によって。

 ならば、別の人材をまた発掘すればいいと、他人は思うだろう。
 けれども、彼女にとって、由綺は既にただのアイドルではなかった。
 彼女にとっての由綺は、もはや失われた自らの半身とまで言える存在に
なっていた。
 
 その半身は永遠に失われた。
 由綺の恋人であった藤井冬弥もまた逝った。
 由綺にとって大切な人であり、由綺によく似た男だった。

 結局、弥生は二人を愛していたのだった。
 由綺を、冬弥をそれぞれを愛し、そして、二人の睦まじい様を愛した。

 その間に自分などが入っていけるはずがないと、そう信じていながら。
 だから、弥生は由綺にその思いを伝えなかった。
 また、冬弥を愛さなかった。
 愛していないと言った。
 されど、言葉と心は相反した。

 苦悶。
 
 島に来てからも苦悩は続き、やがて彼女は二人のために人を殺す
ことを決めた。

 そんなことをされて喜ぶ二人ではないと知っていながら、他に良い
手段が見つからなかったから。

 提示された条件の人数分だけ人を殺して、その見返りに二人を無事、
本土に帰す。
 その為に殺して、殺し抜いて。
 けれどもそれは間に合わなくて……。
 
  
 血を吐く思いで復讐を誓った彼女は、それまで以上に効率的に人を
殺し続けた。……その運が尽きるまで。

 
 どんなに睡眠をとっても、一人周りを警戒しながらでは疲労が取れなかった?

 どんなに休憩をとっても、二人のいない世界では心休まることはなかった?
 
 結局彼女は、些細なミスから自らの死を呼び込んだ。

 ……普段の彼女なら決して犯すことの無かった、本当に些細な判断ミスによって。

 様々な要因が彼女の判断力を奪い、削り取っていった結果だった。 

 とにかく彼女、篠塚弥生は死んだのだった。

 彼女の目的は何一つかなうことなく。

 けれど、彼女に後悔はなかった。

 
 
『私、自らの出来ることは何だってやりましたわ。
 それでもダメだったということは、私の力が不足していたということ。
 つまり……。当然の帰結だったというだけなのですから。
 由綺さんを、藤井さんを幸せにして差し上げられなかったのは、本当に……。
 本当に残念でしたけれど。
 私、後悔はしておりませんわ……』
 
 
 
 アイドルを、夢見た少女がいた。

 アイドルに、夢を見た女がいた。
 
 夢は……。

 夢は、夢にして終わった。
                          (END)

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