告白〜さよならは言わないままに〜


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「……っ!!」
名前を大声で呼んであげたかった。でも、出来なかった。
ゆっくりと彼女に近づいた。
「ゆ…う…いちっ……!!」
手を、伸ばす。力の限り。
「……!!」
祐一の口からしぼりだされる言葉。
「走ってきたんだけど、駄目だったな」
「お互い様…だよっ……」

――だけど…遅刻はしたけど……間に合ったよね?――

    ――…ああ――

ようやく、手と手が触れ合う。
「……!!」
抱きしめた。強く。
「ごめんなさい……」
そのセリフは、どちらの彼女だったんだろうか。

「……っ!!」
開け放たれた扉から、新たな二つの影。御堂と、詠美。
「……」
その光景に、声が出なかった。


一瞬の躊躇。だけど、しっかりと前を向いて。
未だ息が荒いまま、詠美が、ゆっくりと歩み寄って。
足元に、猫を従えたまま。
「忘れ物…だよ…」
すっと差し出される手帳。
「大事な…娘さんのなんでしょ?」
詠美もまた、泣いていた。
震える声を、絞り出す。
「………」
震える手で、傷ついたボロボロの手で、手帳を手に取った。
秋子の頬にもまた、伝う涙。
「……ごめんね、祐一…そしてごめんなさい…祐一さん……」
祐一に体重を預けながら、そう言葉を紡いだ。

「わたしのこと…好き…?」
「ああ……」
「名雪のこと…好きですか……?」
「ああっ……!!」
だんだんと力が無くなっていく秋子を抱きしめる。
弱々しくて折れそうな、体。
(こんなにも、秋子さんは弱かったんだ…)
秋子の頭を撫でつづけた。まるで名雪にそうするかのように。

「にゃあ……」
どのくらいそうしていただろうか。
猫が、秋子と祐一の周りをとぼとぼと回りつづけている。
「これからが、名雪と、祐一さんの始まりですね」
秋子が告げた言葉。

始まりの終わり。

一度、微笑んで。
そっと祐一の手の中で、息を引き取った。
「さよなら、名雪、秋子さん……」

「よかったの……?」
晴香が、遠慮がちに、そう言った。
「ああ…」
祐一が、そっと秋子の体を横たえる。
「俺って、汚い奴だよな…本当は、茜が…茜のことが……」
いったん言葉を途切る。誰も、何も言うこともなく立ちすくんでいた。
誰も、言葉など挟めることはない。
誰も、何も言うこともなく立ちすくんでいた。
「だけど、名雪も、秋子さんも大切な、かけがえのない人だったんだ」
そっと、秋子の顔の血を拭う。
「だけど、最後くらい…本当に最後くらい、幸せな夢を見させてあげたいじゃないか!」
「……」
「最後ぐらい…幸せな夢を見させてあげたかったから…
 悲しむ顔なんて見たくなかったから。
 つらいのは…現実だけで充分だから」
秋子の顔は微笑みで彩られたまま。
「俺、間違ってるのかな…?」
うつむいていた顔をあげる。その表情はひどく歪んでいた。
「きっと、正しかったんだと、思うわ」
一瞬の間の後、晴香がそう告げた。

【090 水瀬秋子 死亡】

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