同じ道


[Return Index]

 茜がいれば、それでよかった。
 ずっと茜の側にいられるだけで、幸せだった。
 その為に、全てを捨てた。
 そう思っていた。

 それは違う。
 全てを捨てたと思い込み、そんな自分に酔っていただけだ。
 本当に全てを捨てたのなら、あそこで繭を見捨てるべきだった。
 中途半端だ、何もかも。
 その結果が――これだ。

 辿り着いた先のこれは、何だ?

 見るも無惨な、そんな表現が最適だった。
 絵のような風景、現実味がない。
 思えばこの島に来てから、全てのことに現実味なんてなかったのだ。
 全ては映画のように、ただの映像として処理される。

 風が吹いた。
 冷たい、冷たい、朝の風。

 この冷たさは、何だ?
 映像は、幻想は、こんなものまで知覚できたのか。
 大発見だった。

 違うだろ。
 そんなわけ、ないじゃないか。

「あ……」
 一歩前に踏み出そうとして、止まる。
 そのまま膝を折り、崩れ落ちた。

 相変わらず目の前の光景に現実味はなくて。
 それでも、それは間違いなく現実で。
 かつての自分は、それを記憶ごと封印した。

 赤い夕焼けが、雪の絨毯が一瞬脳裏に浮かんだ。
 そうだ、前にも同じようなことがあった。
 親しかった女の子が、自分の目の前で、樹から落ちた。
 そう、それは遠い昔の、忘れられていた記憶。

「――君」

 女の子が呼ぶ。
 その顔が、今も思い出せない。
 だが関係ない。
 今度も、記憶ごと封印してしまえばいいんだ。
 記憶ごと――

「できるわけ、ない……」

 目を閉じれば思い出せる。
 茜と詩子と、三人で遊んだ日々を。
 日溜まりのような温かさの中、どこまでも続くと思われた日々を。
 楽しかった、世界には自分達しかいなかった、そんな輝いていた日々を。
 簡単に忘れられるほど、もう、子どもではなかった。

 閉じられなかった扉から、現実という波が押し寄せる。
 詩子と約束した、今度こそ、今度こそ茜を守る。
 それを信じて、詩子は逝ったのだ。
 両手に残った、あの感覚を忘れない。
 茜も、信じてくれていたと思ったのに。
 最期に彼女は、生きることを放棄した。
 きっと自分と繭のために、自らの命を捨てて。
 馬鹿だった、自分も、茜も。
 詩子や晴香に、とても会わせる顔がなかった。
 そして今度こそ。
 全て、失った。

 どのくらいの時間、そこにいたのだろうか。
 気付けば、隣に繭が立っていた。
「……立てる?」
 声をかけてくる。
 答えられる気力はなかった。
 元より返答は期待していなかったのだろう。
 繭もその場に座り、いつの間にか回収していた茜の荷物のチェックを始めた。
「……これは?」
 その手が止まる。
 ロケットが入っていた。
 当然、支給品のはずがない。
 茜の私物だった。
 蓋を開ける。
「……写真。里村さんと詩子さんと、誰?
 祐一、この男の子、誰かわかる?」
 ロケットを受け取り、写真を見る。
 三人の子どもが並んでいる。
 場所は、おそらくあの空き地だった。
 明らかに小学校時代のものなのに、開けられた様子は殆どないように思えた。
 だけどこんな所にあるということは、常に持ち歩いている大切な物なのだろう。
 茜がこんなものを持っているなんて知らなかった。
 空き地に並ぶ、三人の子ども達。
 茜と詩子と、男の子。
 確証はないが、きっとこれが、茜があの空き地に縛られている理由だと思えた。

 ……そうか
 ……自分にはまだ
 ……出来ることはあったんだ

「これ、俺が持つよ」
 ロケットを手に、祐一は繭に言った。
「……もう、大丈夫なの?」
「あぁ、いつまでもここにいても、仕方ないじゃないか……」
 疲れきった声色で、それでも必死に前を向こうとする強さを込め、言った。
「そう、じゃあ、行こうか?」

 タンッ

「……え?」
 何が起こったのかわからず、繭は自分の体を見る。
 血が、胸から血が流れていた。
 前を向く。

 タンッ タンッ

 そこで、意識は途切れた。
 祐一が銃をこちらに向けているのが見えた、気がした。


 茜の所持品の中にあった銃で、祐一は繭を撃った。
 繭の崩れ落ちる姿を、辛そうに眺める。

 茜はあの空き地へ帰ることを望んでいた。
 最期までそれが全てに優先する目標だったかはわからなかったが。
 ならば、せめて自分は、叶えよう。
 茜をもう一度、あの空き地へ返してあげよう。
 生きているなら、あの雨の空き地から解放してあげたかった。
 それはもう叶わぬこと。
 写真の中の三人は、笑っていた。
 あの頃の自分達のように、きっとこの頃は茜も信じていたはずだ。
 自分達だけの世界を。
 せめて、せめてもう一度、その時へと。
 それが自分のやるべき、本当に最期の役目だった。

 生き残る。
 絶対に生き残り、茜をあの空き地へ連れて行ってあげよう。
 そのために、殺そう。
 遺品のロケットを強く抱き、荷物を集め、歩き出した。

 かつて全く同じ目標を抱き、行動した少女がいた。
 その末路が目の前の光景であることに、祐一は気付いているのだろうか。

 おそらく気付いているのだろう。
 だから自分は、どこまでも、非情に。
 もう何も、失うものはないのだから。

[←Before Page] [Next Page→]