間に合いません


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「初音!?」
 強い眩暈に襲われた千鶴は、やっとのことで立ったままの姿勢を保った。
 定時の放送が流れた。
 その中で初音の名が呼ばれたのだ。
 ハンテンダケを持つはずの来栖川芹香の名も呼ばれた。
 今回呼ばれた人数は予想よりもずっと多かった。
(まだ、殺し合っているというの? それとも、あの神奈とかいうのが……)
 力を失居、肩を落とす千鶴。
 梓の名が呼ばれなかったのは幸いだったといえるかもしれない。
 けれど……。
(間に合わなかった!? 間に合わなかったということなの……?)
 眩暈に遅れて、背筋が嘘寒さに襲われる。
 もちろん、初音が自分と同じような手段に出た可能性も千鶴は考えた。
 しかし、分かってしまった。
 初音がもう、この世にいないのだということが。
 理屈はこの際、関係なかった。
 感覚で、それを悟ってしまった。
 初音がこの世を去ったという事実が、千鶴を苦しめる。
(何のために梓を向かわせたのか。
 何故、梓は間に合ってくれなかったのか。
 何故、何故、何故……)
 千鶴は己の思考がねじ曲がりかけていたのに気が付き、さらに愕然とする。
(梓の反対を押し切ってこっちに来たのはわたし。
 あゆちゃんの意見を通したのはわたしのエゴ。
 梓を信頼して送り出した? ならば、その結果にもわたしが自分で責任を負わないければ。
 梓を恨むのなんて筋違いなのに……。
 探知機があっても危険なことには変わりのない、そんな状況に梓を一人で送り出して。
 わたし、なにをやっているのかしら……。
 ……でも。でも、大局的には正しかったのよ。
 そうよ。こっちにわたしたちが来ていなければ今頃は……。
 大局的には正しかった? ここでまで偽善者ぶるの、わたしは?
 妹を二人も失って何が正しかったっていうの!?
 わたしのせいで。
 わたしのせいで失われた命は、その結果は、どうやっても正当化なんか出来ない!!
 わたしは、わたしは……)
 全ては自分の判断の結果なのだと、千鶴は己を責めた。
 しかし、あまりのことに自らの心の中で整理がつかないでいた。
「こっちは間に合ったって、いうのにね……」
 自嘲するように呟くと、千鶴はうつむいたまま立ち尽くした。
 長いこと沈黙が続いた。
 困惑するあゆとスフィー。
「うぐう……」
「千鶴さん……?」
 スフィーは心配になって、千鶴の顔を下からのぞき込んだ。 
「!!」
 スフィーは、自らの行為を悔いることになった。


『なぁ、あずさ。もしもだけど、かおりちゃんを誘拐した奴が目の前にいるとしたら……。どうする?』
『ぶっ殺してやる!!』

 遠い昔のような記憶が梓の中で浮かび、そして消えていった。
 自らの誕生日が過ぎて数日後、大好きだった伯父が死んだあの夏。
 耕一との再会を果たしたあの夏。
 悪夢のような事件が続いたあの夏。
 そして。
 ……耕一と結ばれたあの夏。
 様々なことがあったあの夏から、まだ一年も経っていない。
 なのに梓は、更に異常な状況に投げ込まれていた。

「初音初音初音初音初音」
 あの天使のような微笑みが脳裏に浮かぶ。
 しかしその次の瞬間にはその顔が苦しげにゆがむのだ。
 仕舞いには、無惨な遺体となって浜辺にうち捨てられている……。
 初音にそれを強いたのは、あの彰という青年。
 女みたいな顔して、華奢な体格のくせに!
 初音はもっと小さくて、もっと華奢だったから抵抗できなかったのだろう。
 くそっ、くそっ、くそっ!!
 あんなに家族想いで、器量が良くって、あんなに笑顔が似合っていて……。
 あんなに良い子なんて絶対にいないのに。
 何故あの子が死ななければならないのか。
 何故あの子が殺されなければならなかったのか。
「あの男は許せない。絶対に、許せさない!」
 そう、必ず後悔させてやるんだ。
 あの子を、初音を殺したことを!!

 激情に駆られたまま、梓は駆けだした。
 彰という名の青年の姿を求めて、梓は駆ける。
 その感覚は、異常なほどに研ぎ澄まされていた。


「マナちゃん、俺たちも梓を追うぞ!」
「う、うん……」
 わたしの視線はさっきまで梓さんの居た場所に落とされていた。
 そこにあるもの。
 梓さんが激情に我を忘れ、取り落としていったもの。
 あれは探知機だった。
 背中に背負った銃はそのままだったけれども……。
 あれを拾えば梓さんの後を追うことが容易になるだろう。
 だけど……。
「マナちゃん?」
 だけど、わたしは探知機のことを言い出せないでいる。
 嫌な女だな、あたし……。
「ああ、あれか!?」
 わたしの視線を追って耕一さんが探知機に気が付く。
「ありがとう、マナちゃん。これで梓にもすぐ追いつけるよ」 
 耕一さんは本当に嬉しそうに、お礼を言った。
「う、うん……」
 耕一さんが梓さんの走り去った方角に向けて駆けだした。
 わたしは手を引かれるままに足を動かす。
 藤井さんの時だって。
 耕一さんの時だって。
 何でわたしが好きになる人には、もう好きな人がいるんだろうか?
 お姉ちゃんの時のように、『自分で何かを成し遂げたとき、もう一度藤井さんの前に現れる』なんて、言えない。
 何になりたいのかなんて解らないまま、口をついて出た言葉。
 確かに色々と考えた上での結論だったけど。
 何かを成し遂げることが出来たらいいな、とは思ってたけれど。
 結局あれは、大人になり切れていないわたしの精一杯の強がりで。
 そして、わたしの精一杯の逃げ口上だったんだから。 
 医者になりたい。
 お医者さんになって、いろんな人たちの命を救いたい。
 今のわたしの人生目標はそれだった。
 でも、耕一さん。
 この人を手放すのとそれはまた別問題で……。
   
 耕一とマナは駆けてゆく。
 それぞれが異なる思いを抱えて。
 しかし、探知機の中に求めるべき光点は見つかるはずがなかった。
 駆けだしたばかりの二人はそれを失念したままに……。

 ……そして。

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