遺書。II


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――強さが、欲しい。
殆ど失われてしまった血、無くなった左腕。立ち上がる事も、生きている事すらも困難な傷。
――強さが、欲しい。
殆ど萎えかけているココロ。復讐心すらも消えてしまいそうな程弱り切った、身体。
――強さが、欲しい。

絶望的な痛みと共に、僕は再び目を覚ます。
大地を擦る音と共に、自分のすぐ横に柏木梓が倒れ込んだのが切っ掛けとなる。
薄目で彼女の様子を見る。彼女もまた、傷ついている。
恐らく、僕が神奈を殺さなかった為に。
その為に下手をしたら全滅だ。初音の仇を取るどころじゃない。
僕が死ぬ事等どうでも良い、けれど、結局誰も護れなかったのなら。
僕は――なんて、無様な男だ。
反吐が出る。なんて弱さだ。なんて僕は、弱い。
なんで僕は、変な躊躇を毎回毎回覚えているのだろうか。
畜生。ちくしょう。畜生ッ。

梓の傷は、それ程深いようには見えなかったけれど。
彼女の方が、自分よりも優れた戦闘力を持っているだろう事を考えると、状況は余りに絶望的だった。
――力が、欲しい。
腕力だけじゃない。何もかも決める事の出来る、強いココロが欲しい。
――このままでは、きっと、皆が死んでしまう。
僕が引き金を引かなかった所為で、僕が神奈の言葉に惑わされてしまった為に。
武器も奪われた。立ち上がったところで、僕に出来る事など何もない。
囮にすらならないかも知れないが、――だが。

――ひとつ、大きな心臓の音がする。

鬼飼い。
神奈が言い放ったその言葉の意味に気付くのに、それ程の時間は要さなかった、と思う。
血が大量に失われて、意識が朦朧としているのにも関わらず、だ。
土壇場での恐ろしく早い頭の回転が、僕にその言葉の意味を瞬時に理解させた。
柏木耕一の圧倒的な戦闘力、そして、その妹である初音の血を呑んだ後の僕。
それが何を意味しているのか。
――柏木家の血には、鬼の力が眠っているのだと。
あの血を呑んだ後の自分を思い出せば良い。そう、自分の身体に力がみなぎったような感触を、
そして、突然生まれた不思議な、自分の身体を支配しようとする声も。

――そう、か。

何処か冷静さを欠いた思考状態だったから、こんなくだらぬ結論に至ったのかも知れぬ。
初音の血を呑んだ事で、僕の身体には不思議な意志が生まれたのだと云う事。
初音の意志が、この身体にまだ残っていたのだと云う事。
そんな、まるで物語の中の主人公のような、そんな状況だったけれど。

――それで、良かった。


梓が身体を起こし、僕から離れてしまった。
きっと、また闘おうとする為に。
でも待って、君にしか、たぶん残せないんだよ。
だから、お願いだ。もう少しだけ僕の傍にいて。
遺言を、
――聞いて欲しいんだ。勝手な事を云って、ごめんなさい。


まだ僕、七瀬彰の意志が残っている状態としては、多分最後の言葉になる。
皆で頑張って生き残ろうと思って、闘ってきたけれど。
それでもここまでみたいです。
自分が正しいと思う事をやって来て、途中でたぶん、狂ってしまったのだと思います。
スフィーさんを躊躇無く殺したのが、今となって考えると、馬鹿な事に思えます。
初音の仇を取る為、と、大儀の為に僕は銃を放った。
祈りながら、脳髄に弾丸を叩き込んだ。
――正しくないとは判っていたけど。
それでも、正しいと信じなければ、仇を取る事なんて出来ないと思ったからでした。
うん、ばかだった。――ばかだった。
……僕のココロはもう死んでしまう。
友人のところに、――初音のところに、行くのだと思えば怖くはないけれど。
ごめんなさい。
ごめんなさい、ごめんなさいッ――――――――――――


――どの言葉も、どれだけ伝えたくても、実際に声になる事はなくて。
柏木梓は立ち上がって、千鶴達の方へ駆けていってしまった。
それは、誰も聞く事のない。誰も読む事のない、遺書となった。

――――――――――――僕の中の鬼よ、聞こえているなら、返事をしろ。
一つ呼吸をして、僕は自嘲気味に笑った。笑えたかどうかは判らないが、笑ったつもりだった。
僕を――七瀬彰の、最初にあったココロを、食い殺せ。
お望み通り、この身体をお前にくれてやる。
どうせ死に間際の身体だ、自由にするが良い。

だけど。

「あれを、殺してくれ」
唇を噛んで。涙が頬を伝っているのを感じながら。
「皆を、少しの間だけ、護ってくれッ――――――――――!」

――ココロの奥底で聞こえた咆吼を、僕は確かに聞いた。

それが、鬼の了解だったのだと考える他は、どうしようもなかった。
頼むぜ。契約は破棄するなよ。

………これが多分、僕の最後の瞬間になるのだろう。

僕は自分の身体が立ち上がる感覚を覚えた。
力強く、何もかも支配できてしまうような、そんな錯覚すらも。
あるいは錯覚でさえなく、本当にすべてを支配する力を得たのかもしれない。
神奈の姿を見詰めながら、立ち尽くす自分を感じる。


すぐに意識が消えていく。意志も、願いも、全部。
七瀬彰は、ここで終わりだ。七瀬彰の願いも、ここで終わりだ。

――その願いは全部、託そう。
僕の心の中のこいつに、

そして、柏木耕一に。

耕一、僕たちは友達だったよな?
勝手に僕が思っていただけかも知れないけど、僕はお前の事、好きだったぜ。
ありがとう、こんな絶望的な戦場で、お前に会えて良かった。
願わくば、またいつか何処か、別の場所で。

そして、最後に僕は。
――もう一度だけ、微笑った。

初音。まだ僕の意識が残っている内に、云いたいんだ。
――――――ありがとう、ありがとう、ありがとう。
ありがとう。
君のおかげで、僕はここまで生き延びる事が出来た。本当にありがとう。
――けど、今から君の元へ行くよ。
近くに行けるかは判らないけど、きっとここよりは近い場所だと思う。
駄目な僕だけど、どうか、赦してくれる事を。


そして血の脈動が僕の身体を支配して、それが最後になった。





――大地に叩き付けられそうになったが、その巨大な羽根は彼女の身体をその衝撃から守り通した。
落下の瞬間、ふわりと身体を浮き上げて衝撃を殺したのである。
神奈は自分を投げ飛ばしたのが誰かと云う事を上手く認識できなかった。
柏木千鶴を殺して、後二人鬼を殺せば、この戦いに自分は勝利できた筈なのだが。
柏木耕一も柏木梓も、自分の視界の中にいた。
あの時、自分を投げたのは?
神奈が身体を起こした瞬間。

たん、

という軽い跫が聞こえた。
神奈はゆっくりとそちらを振り向いた。
そこに立つ痩躯の男が誰であるかを認識するのに、神奈は多少の時間を要した。
「鬼飼い、か」
先程左腕を引き千切って殺した筈だが、まだ生きているというのか。
「まあ、死に損ないの鬼飼いなど、すぐに殺して――」
「残念だな」
俺は鬼飼いじゃない、そう七瀬彰は呟いた。

「――――――まさか」
「そういう事だ。この男の身体に巣食う――お前の言葉で云うなら、鬼だな」

不敵に笑う目の前の男は、確かに先程対峙していた時の七瀬彰とはまるで違う。
先程、一瞬の迷いの為に自分を殺せなかった――――今までの七瀬彰とは。
神奈は、一瞬身震いを覚えた。
長瀬の末裔――七瀬彰に、遂に宿ってしまったのだ――柏木の、鬼が。

鬼とはもっと凶暴な、野蛮な存在だと思っていた。
先程の咆吼からもそれは感じる事が出来たのだが、目の前に立つ鬼は、果たしてそのような野蛮さからはかけ離れている。

「さっきはあまりに嬉しくて叫び声をあげちまった。やっとこの身体を乗っ取る事が出来たわけだからな」
七瀬彰――いや、七瀬彰という新たな鬼は、左腕がなくなっているというのに。
その表情には、余裕さえも見えるではないか。



「あの優柔不断な七瀬彰からやっと奪えた訳だ。あいつもいちいち執拗い奴だよ」
言葉遣いは乱暴だが、その節々に、ひどく穏やかな柔らかな知性が眠っているように感じるのも、気のせいではないだろう。
「――まあ、一応頼みは聞いてやったんだけどな。取り敢えずこれで、七瀬彰が護りたかった奴らは護られる」
その鬼は。心底強い目で、そう云った。
「ほう」
「何でか判るよな?」
「判らぬのう、説明してくれるか?」
神奈は心底身震いしながら、それでも微笑んだ。
それは、目の前の天才と戦えるのだという、不思議な恍惚。
この身体の性能、自分の限界――それらを、完全に見極める事もある。
自分の全力で――この、天才を葬ってやろうではないか。

鬼は。
「お前には借りがある」
その僅かに太くなっているように感じる、その右腕に力を込めると――

「俺のこの手で、人の女を殺させた訳だからな」

――七瀬彰の貌をして、呪詛の言葉を吐いた。

「――ここで俺が、お前を殺してやる」



――――――そして灰になったこの身体を、両手に抱いて。
――――――風に乗せて、あの海へと――還してください。





【鬼in七瀬彰vs神奈備命in神尾観鈴 ――――――――――――開幕。】

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