そして、私は


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          『なぜ、不可視の力を欲するのか?』

「そんなこと決まっているじゃないですか」
にっこりと――満面の笑みで由依は言った。

ぎゅっと握り締められた小さな拳。
そこから、辺りの闇には消すことの出来ない輝きを、力を感じる。
すす汚れた服装に、少し乱れた髪の毛。
よく見れば、露出した腕や足には少し黒ずんだ痣や擦り傷が付いている。
一体今までどのような仕打ちをされてきたか、
一体今までどのように過ごしてきたか、
そのことの一端を窺い知ることが出来るだろう。
だがその彼女の瞳にはいまや、同じように消すことの出来そうに無い輝きが灯っている。
それは、乗り越えてきたことの証。
とても上れそうに無かったほどに高く、心に聳えていた壁を。
心に傷を抉られて、でもそこで心を留めないでいられた――。
小さな奇跡――。

隠し通路は、……とにかく冷えた。
これで風でも吹いたならとてもじゃないが、一晩を明かすことなんて出来ない。
出入り口がふさがれていて本当に良かった、そう由依は安堵する。
結局のところ、追っ手から逃れて隠れていられる場所など此処しかなかった。
……少なくとも、私は此処しか思いつかなかった。
classB棟の中ではどこも隠れられる気がしなかった。
それなりの人数がいるし、どこから自分のことがばれるか心配でしょうがない。
誰もいないところなんて使っていない時の食堂か精錬の間くらい……。
でも食堂はいずれ人がやってくるし、もし精錬の間になんていて見つかったら……。
……あまり、考えたくない。
だからclassB棟に戻ることは考えられない。
人数が多いことはclassCだって一緒だからそっちに行くことも考えられない。
いったらいったで……やっぱりどこから自分のことがばれるか……。
その点でいったらclassAへ行けばいいのだろうけど、あのときから郁未の姿を見ない。
classAは……よく分からないことが多すぎる。
そういえば……。

「あ……」

だから此処に落ちのびてきたんだ。すっかり忘れていた……。
ゆっくり、混乱していた記憶が整理されていく。
確か私は晴香さんと……。
ふと辺りを見渡す。
周りには誰の人影も気配も無い。
他に特に目に付くようなものも無い。
はぅ……。
私はせむかたも無くため息をついてしまった。
はぐれちゃったんだ……。
また、振り出しに戻ってしまったかな……?
でも、くよくよしても仕方ない。
今、自分にできることを探さないと――。

あらためて、自分のおかれていた状況を整理してみる。
自分が一体どのように動いて、そして此処に行き着いたのか。
一緒にいた人たちはどうなってしまったのか。
そして、今、自分は何をするべきか。
逃げることに精一杯で、その辺を整理する余裕も無かった。
……逃げる?
私は一体何から逃げていたの?
何で逃げていたの?
…。
……。
………。
「よし、まずはこの辺りのことを整理しましょう!」
誰もそのセリフを聞く人はいないと言うのに、
由依は無意味にやたら意気込んでそう言った。
……いや、意味ならあった。
ただ一人、わけもわからないうちに放り出されてしまった。
いつ泣き出しそうになってもおかしくない自分を、
いつへたり込んでしまうかわからない自分を、
支えるために、そのために気合を入れる。
そのためだけで十分だ……。
「え、と確か晴香さんと一緒にいたはずだから」
むぅ、と腕組みして目を閉じてみる。

だからどこかで晴香さんと落ち合ったはずなんだけど……うーんどこだったかな。
あ、でも私が晴香さんと会える場所なんて限られているよね。
……って此処しかないじゃないですか!?
ん〜〜。
でも晴香さん何日目くらいからか来なくなっていたような気がするなぁ。
どうしたんだろう、ホントに記憶が曖昧だ。
困ったなぁ。じゃあ今晴香さんはどこにいるって言うのぉ?

バチィィィッ!
                             フラッシュ・バック。

ごぉおおおぉぉおぉぉぉぉぉぉぉ……!
    「凄い地鳴り……一体どうしたんだろう?」
                     「――――あれ、こっちにも」
    「――――」
                         「晴香さんじゃ――!?」

        (血っ、血まみれ!?)
『あなた……誰?』                  
            「――へ?」

                                 ばちぃぃッ!

――あ……そうだ、私はあの凄い地鳴りに乗じて逃げようとしたんだった。
そしたら偶然晴香さんを見つけて……って晴香さん、もしかして記憶喪失!?
うぅぅ……まずいなぁ……。
これじゃあもし私が見つけても素直に一緒に動いてくれないかも……。
どうしよう……あれで晴香さん結構頑固な上に人の事見下すし、
しかも自分の体調とか問答無用で突っ走って逆に失敗したりとか……。

『パチィィィン!』
「いったぁぁああああ! 晴香さんがぶったぁぁあああああああ』
『普段の自分の貧乳ぶりを棚に上げて偉そうなこと言うからよ!』
『そんなこと言ったって大体貧乳はそれと無関係じゃないですかっ!』
『そう言うセリフは貧乳を卒業してから言いなさいよ!』
『どうして少し胸がある人はいつもそう鼻息荒くて高圧的なんですかぁぁあああ!』
『それはアンタが貧乳だからよ!』

「だからそれは貧乳とは無関係じゃないですか――って晴香さんいたんですかっ!?」
そう言って後ろを振り向く。
だが、そこには誰の人影もない――。

「……」

そっか。やっぱり、私はひとりなんだ……。
風が吹く。
さっきまでは吹いていなかった風が、通気ダクトを通って冷たく由依に吹き当たる。

「……」

だから、どうしたの。
決めたんだから、私、やるって。
だから、これくらい、つらくない。
今は一人でも、きっと郁美さんも、晴香さんも見つかって、そして――。
みんなで、帰れる。
だから……これくらい、我慢できる。
それにまだ私、自分の目的を果たしてないもの――。


「結局のところ――」 
高槻は言った。
「声の主が求めているのは心の強さだ。
 そしてそれは奴の――不可視の力に
 耐えられる”器”を手にする、
 ということだ」

高槻の口調は淡々としている。
「ELPODは心の痕を顕在化する。
 ”器”を得るということは
 即ちそれに自らの力だけで
 打ち勝つということ」

黒服の男は言った。
「……それは、FARGOの意図とは
 違ったものなのか?」

「傷痕を克服するということは
 意志を強くすること。
 たとえ始まりには心が欠けていても
 終りにはふさわしき証を手に入れる。
 ――故に、我々はその欠けた部分に
 楔を打ち込む。
 我らに服すべし――という命令。
 ”声”を埋め込む。
 だが、
 もしそれが為されていないなら――」

「それは――?」

「――処理する。
 それもまた、ひとつのロスト体に過ぎん」
    ずっと探していたもの、それがこの先にある。
そう思って、ずっと追いかけてきた。
目的の先に、それがある。
一人でいるのはいやだ。
だからいつまでも此処にはいれない。

大丈夫、もう心を包んでいた暗闇は晴れた。
精錬は、痛くてつらくて悲しくて苦しかったけど
私はそれに耐えて来た。
汚された。もうあんな思いはしたくなかった。
だから私は心を閉じた。
ゆらゆらと揺さぶられているだけで
全部終わっている。
そんな風にしていればいいなら、この生活も楽だった。
痛いなら痛くないと思えばいい。
苦しいなら苦しくないと思えばいい。
つらいならつらくないと思えばいい。
悲しいなら……楽しいと思えばいい。
でも――
――それは果たして”耐えている”の?――
――違うと思う。

私は今、つけを払っているんだ。私が犯した罪の――。
だから、どんなにつらくても目を背けてはいけない。
どんなにきつくても、まっすぐ立ち向かわなくちゃいけない。
――そして、私は目を開く。

暗闇の中で彷徨ってた瞳が、ようやく目印の光点を見つける。
痛みにごまかされちゃいけない。
つらさに騙されちゃいけない。
思い出せ――。
私が私である理由、私がここにいる理由を――。


名倉由依。
16歳。
家族、両親と姉一人。
普通の、ごく平凡な家庭に生まれる。

『そんなこと決まっているじゃないですか』
『だって、そのために私はここにいるんですよ』
『大切な家族を取り戻すんです』

そして彼女はどこかへ向かう。
手には傷、他には何も無い。
だが、その瞳には不思議と不安が感じられない。
強い輝きと意志を秘め、そして足取りもしっかりしている。
どこに向かうのか――此処からでは良く見えない。

彼女が去っていくさまを、巳間良祐は静かに見守っていた――。

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