葉子さんのお料理教室
朝霧に包まれる住宅街…のなかの1軒の民家に、
鹿沼葉子(022番)は居た。
高槻を討つための下準備、武器調達のためだ。
しかし、所詮は民家。
使えそうな物といったら…
(この包丁ぐらい…でしょうか)
その包丁を手にとって掲げてみる。
何の変哲も無い、正真正銘の包丁だった。
ふっ、と息をつく。
(やはり、そう上手くはいかないものですね)
だが、最低限の手は打っておかねばならない。
包丁の取っ手の部分を、箒の柄の部分に縛り付けて……
即席槍の出来上がりだ。少々不恰好だが。
唐突に、お腹が鳴った。
慌てて辺りを見回す。
(…誰かに聞かれて、ませんよね)
腹の音を他人に聞かれるなんて、とても恥ずかしい事だ。
周囲に誰もいない事を改めて確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
そして、ひとつ決心をする。
(…朝食を……作りましょう)
とは言っても一般常識が年齢一桁代のところから欠如している葉子にとって、
ガスコンロを扱う事など危険極まりない。
なので、レトルト食品を探してみることにした。
だがそれも、元からこの家には無かったのか、はたまた他の参加者が持っていったのか、
なかなか見つからない。
それでも戸棚を漁り、執念で見つけ出した物は――
パックのご飯。
(これなら、何とか出来そうです…えぇと…)
パッケージに書かれた指示に従って、ぺりぺりとフタを剥がす。
(その次は……)
電子レンジに入れて、加熱しろ、と書いてある。
(電子レンジ……?)
母が使っていたのを見ていた記憶が何となく残っている。
きょろきょろと辺りを見回すと、その記憶に大分近い物体が目に入った。
(これ、ですよね?)
恐る恐るセットし、ボタンを押す。
低く起動音が響く。どうやら間違っていなかった様だ。
出来あがるまでする事も無いのでソファーに腰を下ろす。
「ふぅ……」
つい、溜息。
実際葉子のやった事といえばパックのご飯をレンジにかけただけなのだが、
何分なれない作業、随分と疲れた。
(家事って、大変なのですね…)
しみじみと、痛感する。
やがて、チン、と小気味良い音が響いた。
(出来あがった、と言う事でしょうか…)
レンジのドアを開くと、美味しそうな白米が湯気を上げていた。
早い朝食。
白米を箸で上品に口に運びながら、ふと、ある3人の事を思い出した。
(確か…折原さんに長森さん、七瀬さん……でしたか)
絶望的な状況下において、固い絆で結ばれた3人。
一緒に話した時間はごく僅かであったけれど、彼彼女らの目は、この状況下においても希望に満ちていた。
……だけど。
出会いと別れは一対。永遠なんてものはこの世に存在しない。
(現実とは…厳しいものです)
葉子も放送を聞いている以上、長森瑞佳が死亡した事は知っている。
(拠り所を失った心の行き先は……)
喪失を糧にして、一人立ちするか。
新たな拠り所を求めるか。
それとも……
(心を、閉ざすか……)
そしてまた、あの日の情景が蘇る。
『母』という、この世でたったひとりの存在を殺めた、その日の。
あの日から、自分は独りで生きてきたつもりだった。
誰にも頼らず、独りで、自分が強い人間だと信じこんで。
だけど、それは、嘘。
心を閉ざして、FARGOと言う組織に寄りかかってやっと心の平穏が得られるような人間の、
何処が強いと言うのだろうか?
強い人間なんて、最初から居なかった。
ただ強がっていた、強いフリをしていたただの人間がひとり、いただけだ。
(それに気付かせてくれたのも、郁未さん…貴方です)
だからこそ、いずれ彼女に立ち塞がるであろう高槻は、討たねばならないのだ。
気がつくと、箸はパックの底を引っ掻いていた。気付かぬうちに、全部たいらげていたのだ。
「………あら」
お腹は、まだ何かよこせと合唱している。
一刻も早く高槻を討ちに行く、もしくはもっと強力な武器を探すべきなのだが、
本能にはやっぱり逆らえない。もう少し、何か無いか探してみることにした。
(腹が減っては戦は出来ぬ、といいますし)
心の中で言い訳をしてみる。
冷蔵庫のドアを開くと、分かりにくい場所に卵が一個隠れていた。
手にとってみると、ひんやりとした手触りが気持ち良かった。
だが、このままでは食べれない。
(生卵は……遠慮したいです)
どうしたものか、と考えること、暫し。
(…………ゆで卵を作りましょう)
イケナイことを、思い立ってしまった。
生卵を、電子レンジにセットして、加熱させる。
数分後には、久し振りのゆで卵が味わえる筈だった。
…………しかし。
ぱんっ
卵はレンジの中で、景気良く爆ぜた。
「………………」
呆然とした後に、間も無く食せる筈だった卵がもう食せる状態でないことに気付く。
「……安物の電子レンジを使ったのが間違いでした」
その意見がすでに間違いなのだが、
とりあえず何かのせいにしないとやってられないので、電子レンジのせい、と言うことにしておいた。
結局、後に残ったのは、中途半端な空腹感のみ。
葉子はがっくりと肩を落として、民家を後にした。
【022
鹿沼葉子 即席槍入手、ちょっと空腹】