僕たちの失敗 -母さん-


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「か、母さん…」

 そう力無く呟くと、「ワザの二号」こと北川潤(男子・029番)はマウスを放り投げて虚空を見上げた。解析に見切りをつけた後は、OSに入っていたゲームをちくちくやっていたのだが、体力と気力を根こそぎもっていかれそうになってやめたのである。
 一方「チカラの一号」こと宮内レミィ(女子・094番)はもずく発掘後、「もうチョットいろいろ見てきマース」と言ったまま店内のどこぞへ姿を消したまま帰ってこない。フロンティア精神に生きるヤンキーの心理は、北川にはいささか理解しがたいものがあったが、ペリー以来、幽玄ジャップはルイジアナママに連戦連敗を重ねてきたこともあって、もはやどうこういうことはあきらめていた。

 ソリティアはペケが20回でたところでやめた。ハーツはどうがんばっても三回に一回はスペードのクイーンをねじ込まれてしまうし、マインスイーパは腹の爆弾ともずくを思い出してしまうからさくっと放棄し、フリーセルにいたってはルールを知らない。OSのヘルプに頼ることは北川のプライドが許さないからこれも放棄した。スパイダーソリティアやピンボールは論外だ。

 結局、北川は再び解析に戻ることにした。全てのCDが揃っていない今、それは風車に向かって突っ込むドンキホーテのようなものではあったけれども、何もしないよりはいいだろう。ひっそりとした室内には北川がキーを叩くカタカタという音だけが規則正しく響いてるだけだった。

 そして遅々として進まない解析にそろそろ匙を投げようかと思ったとき。

「ワーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
「うぉっ、母さん!」
 突然レミィに思い切り肩を叩かれ、仰天した北川はまたまた親類に援助を乞うハメになった。ぜえぜえと振り切れそうな鼓動をしずめながら、彼はヤンキーのリメンバーパールハーバーの恐ろしさを実感した。やはりゼロファイターではスーパーフォートレスには勝てない。

「またまたイイモノ見つけてきましたヨー! このスーパー最高ネ! 見て見てー!」
 レミィは北川の前に麦藁帽子を突き出して思い切りはしゃいだ。それはつばの大きな麦藁帽子で、つばの縁の藁が寝起きの髪みたいにほつれていた。
「か、母さん…」
 彼女は麦藁帽子をかぶると、その場でくるりと一回転した。少し綻びだしたセーラー服と新品の麦藁帽子のミスマッチ具合が返って北川に新鮮なものとして映った。

「エヘヘー、いいでショー! 麦藁帽子ダヨー。似合いますカー? ジューン!」
「か、母さん…」
 まだ米軍の本土上陸のショックが抜けきらない北川。お構いなしに喜ぶレミィ。

「小さい頃にネ、まだニホンにいたときにちょうどこんな麦藁帽子持ってたノ。とても気に入りで毎日かぶってまシタ。ある日家族でハイキングに行ったときもその帽子をかぶっていったノ」
「そして谷沿いの道を歩いてタラ、急にぴゅうって強い風が吹いて」
 彼女は「ぴゅう」と言いながら手を回した。
「谷底に落ちちゃっタノ」
「とても悲しかったデス。Dadが同じような麦藁帽子を三つも買ってくれたけど、その代わりにはならなかっタ」
「だからわかるノ。だからなんとなくわかるノ」
「何が」
「これじゃなくちゃ駄目ってものはあるノ。何でもそう。これじゃなくっちゃ駄目ってノハ」
 レミィはそこで言葉を切った。彼女の声が掻き消えそうになって、北川は耳をそばだてた。
「これじゃなくっちゃ駄目ってのは、どうしようもないノヨ」
 レミィはそう言うと下を向いた。ノートパソコンの画面はさっきから手つかずのまま、今はスクリーンセーバーに切り替わって、ペルシャ絨毯のような幾何学模様を描いていた。

「ヒロユキは……!」
 レミィは急に顔をぱっと上げた。
「ヒロユキとワタシはネ……!」
 「ヒロユキ」とレミィは幼なじみで毎日一緒に遊んでいたこと。だけど父親の仕事の事情で遠く離ればなれになってしまったこと。その時にビンに二人の約束を書いた紙を詰めて木の下に埋めたこと。高校生になって帰国できたときに偶然再会できたこと。レミィはまくしたてるように一気にしゃべった。

 北川は「ふうん」と相槌を打つだけだった。別に素っ気なくあしらったわけではない、彼にはレミィが同情を欲して甘い言葉をかけてくれることを望んで言葉を紡いでるのではないということをわかっていたからだ。
「………ヒロユキはワタシにニホンの事、たくさんたくさん教えてくれたんだヨ。だからワタシ、頑張ったノ。ニホン大好きになれるようにいっぱいいっぱい頑張ったノ」
「ヒロユキのおかげで、ワタシステイツとニホンの両方が母国になったんだヨ」
「そいつはよかったじゃないか。二つの母国か、なんか俺には羨ましいな。両方の好きなところ嫌いなところ一編に分かり合って人を大きくさせることができるんだろうな」
 溜まらなくのどが渇いてきた。言葉の内容とは裏腹に声はとてもかすれていた。
「だからネ」
 そこまで言うと、レミィは急に真剣な表情になった。
「ヒロユキには本当に感謝してるノ」
「そして、ワタシはヒロユキに……………」
 泣いているのか、と思ってレミィの顔をうかがってみたが、それは外れていた。彼女の口元は力無く笑っているように見えたが、二つの青い瞳はしっかりと強い光を放っていた。普段の状態とも、またトランス状態とも違う、それは北川が初めて見るレミィの顔だった。

 ヒロユキ。彼女の口から何度も何度もでてくる男の名前。北川の知らないその男は、やはり北川がまったくしらない女と絡み合うように抱き合ったまま幸せそうな微笑みを浮かべて死んでいた。レミィが「ヒロユキ」の事を語る時、彼女はものすごく幸せな顔をする。とても嬉しそうに微笑みながら喋る。
 ちくりちくり。少し、ほんの少しずつ胸が痛みだした。それがなんであるのかは、北川にもよくはわからなかった。ただ心のどこかに目に見えないような小さな棘が引っかかって、それはなかなか抜けてくれないまま次第に大きくなって北川を引き裂こうとするのだった。

「麦藁帽子もヒロユキもそう。同じナノ。本当にほしいなと思ったものは手に入らなかっタノ。一番欲しいものが手に入ったためしなんてないノ。いつもするりと、ワタシの周りを滑ってすり抜けちゃうノ」
「……………。」

 そうだ。一番欲しいものは決して手に入らない。一番欲しいものは、そうやって一番であり続ける。どうだ? 北川潤。お前は手に入れられるか?

 それでもジュン。欲しいって言えよ。僕はこれが欲しいですってさ。そうだ、よだれを垂らしてねだるんだ。犬みたいに。得意だろう? 香里が欲しいか? CDが欲しいのか? それとも目の前のヤンキーをむしゃぶりつくしたいか?

 あはっ、お前みたいなこすっからいヤツにはお得意だろう?

 なあジュン。

 一番欲しいものが手に入ったためしなんてない。一番欲しいものは、そうやって一番であり続ける。

 それでもジュン、よだれを垂らしてねだるんだ。犬畜生みたいにさ。それがお前の十八番だろう?

 北川はずっとそこに座っていた。一番欲しいものは、よだれを垂らしてねだれない。

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