喪失の黒
あの教会の中で。
ひとつの目標が、もうすぐ達成される。
悪夢の中を這い回った数日が清算される時が、目前に迫っている。
遠い夢をかなえる寸前のような感動が、そこにある。
-----このとき私達は、疑うことなくそう思っていた。
「おい詩子!待てって!」
先頭を行く少女、詩子さんはどんどん距離を開けていく。
「ああ、くそ。
繭!悪いが先に行くぞ!」
痺れを切らした祐一はスピードを上げ、みるみる小さくなっていった。
まだ教会までは距離があるというのに、私は既に息を切らせていた。
例え脆弱だった心が、きのこの奇跡で強くなっても、身体までは強くならない。
非力さに呆れ、うなだれる。
ほどなく私が衝突してしまった相手-----私を羽交い絞めにして、きのこ摂取
に協力してくれた(?)少女、なつみさん-----に追いつかれる。
「繭ちゃん大丈夫?」
「残念ながら、あんまり」
息も切れ切れに答える。情けない。
情けないが、走れないのだから仕方がない。
私の変貌ぶりに対応できないでいるなつみさんと、肩を並べて歩き始める。
ひとしきり私の変貌に驚いた後、なつみさんが本題に切り込む。
「茜さん、って言ってたけど…」
「ええ…祐一が、ずうっと探しつづけていた、相手、らしいの」
息を整えながら、大きく引き離されてしまった祐一の背中を見つめ言葉を交わす。
「照れ臭いらしくって、あんまり、教えてくれなかったけど…
髪が長くって、これくらいの三つ編みにしてて、マイペースな人なんだって」
私は身振りを加えて説明する。
実際見たわけでもないから不正確この上ないのだが、だいたいそんなもんだろう。
そんな気楽な説明の反応は、不釣合いな驚愕の表情だった。
「亜麻色の…三つ編みの…?」
これ以上ないくらいに目を見開いて、なつみさんは呟く。
どうして、そんなに驚くの?
私、そんなこと言ったかしら?
一瞬だけ疑問がよぎるが、流してしまった。
そう…後から考えれば、それは警告だったのだ。
けれど、記憶を遡れば祐一がそんな事を言っていたのを確かに覚えていたから。
覚えていたから、私は素直に答えた。
「ええ、そうよ」
それが”正しい間違い”だったとも知らずに。
スイッチを入れてしまったのだ。
…スイッチの音は、銃声だった。
その轟音に目を逸らした私は、なつみさんが振り上げた銃に後頭部を強打され
急速に視界を暗転させていった。
「ここから先は、あなたの見るべき世界じゃないわ」
自らの心さえままならず。
身体もままならず。
私は喪失の予感に、涙も流さず泣いた。
詩子が胸を抑えて、膝をつく。
俺は再び全速力で疾走する。
「詩子!」
そのままばたりと後に倒れそうな詩子を抱え込む。
頭だけが、かくんと後に倒れ、目が合った。
いや、合ったと思ったのは俺だけだった。
「か…は…」
あらぬ方に視線を固定したまま抑えた胸の苦痛にうめく。
「あんた…狂ってるわ…」
教会の中から声がする。
銃を持った手をだらりと下ろした茜と、鞘に収めた日本刀を手に椅子の上に立つ
少女。今にも抜刀しそうな姿のまま、固まっていた。
いや、震えていた。
「その娘が、あんたの言う”二人”の内の一人なら…間違いなく、狂ってるわ…」
「……言っておいたはずです。
最初のとき、既に狂っていたかもしれないと」
制するように彼女を睨み、静かに視線を滑らせて。
俺を、見た。
泣いていた。
「茜…」
「……祐一…」
出会いの喜びなんてものは、儚い希望だった。
ときおり無力に傾く詩子の身体を抱きしめて、俺は搾り出すように尋ねる。
「駄目…なのか?
…俺達では、届かないのか?」
茜は何も答えない。
「俺達は、茜、お前を愛しているよ。
それでも…それでも、お前には、届かないのか…」
茜は、俺の一言一言に鞭打たれるように身を竦める。
誰も動かない空白があって。
漸く、茜が再び視線を上げる。
わななかせながら、ゆっくりと口を開く。
「……私が待たなければ。
誰が彼を待つというのでしょう。
……私が、待ち続けなければ。
今までの私は、何だったのでしょう」
目を瞑ると、ぽたぽたと大きな雫が落ちていった。
「……私は…私は、あなたの事…」
苦悩の表情で言葉を紡ぐ。
「…嫌い、です」
半分の嘘と。
半分の真実をこめて。
茜は銃を持った腕を振り上げた。
俺は、動けなかった。
だめだ。
撃たせるな。
だめだ。
撃たせては、だめだ!
最後の一言を発した時、必ずこの娘は撃つ。
例えあたしが憎まれても。
これ以上、仲間を殺させていいはずがない。
あかりや、由依の顔が目に浮かぶ。
撃たせては、だめだ!
事情はさっぱり解らなかったけれど。
間違いなくそこにある悲劇を前に、震える身体を無理矢理引き絞りながら
彼女の言葉を聞いていた。
『…私は、あなたの事…』
愛の告白のような、その言葉を聞きながら。
あたしは弾丸のように飛び出した。
『…嫌い、です』
閃光のように長椅子の背もたれを駆け抜けて。
驚く白鳩達を砂煙のように巻き上げて。
七色の光の尾を引き、抜刀した。
虹のように弧を描いて。
喪失の黒き闇を断ち切るべく。
あたしは、振り下ろした。