断罪。
わたしは、それでもやはり怖かった。
頼るべき人はいた。自分をずっと護っていてくれた、――
けれど、他にもたくさんいた、頼れる、信じられる人から、逃げてきたのはどうして?
――そう。自分は怖かったんだ。
大切な人を傷つけるのが。きっと自分の中の、エルクゥが、
きっと。きっと、きっと傷つける。
だから逃げてきたのに。
彰お兄ちゃんを傷つけたくない。傷つけたくない。
わたしの為に、彰お兄ちゃんを傷つけるなんて、信じられる人を傷つけるなんて。
それが、すごく怖い。
傷つけて、彰お兄ちゃんに、皆に嫌われるのが怖いんじゃない。
傷つけて、殺してしまって、皆を失ってしまうのが、怖い。
でも、一人は嫌だ。
寂しい。怖い。怖い。怖い。
一人は嫌だよ。
前に向かって歩かなくちゃいけない。生きて帰りたい。
先に入った放送では、爆弾は既に解除された、という事らしい。
――でも、逃げられない。どうやって逃げれば良いんだろう?
どうやったら、誰も傷つかずに、帰れるんだろう?
前向きに行きたい。でも、皆が死ななくちゃ、自分は帰れないんだとしたら?
嫌だよ。皆が死ぬのも、自分が死ぬのも、嫌だよ。
日常に、そう、あの楽しかった日常に、帰りたいよ――
けれど、皆、もう傷ついている。日常は粉々のガラス片になっている。
その瞬間、楓お姉ちゃんの顔を思い出して、わたしは泣きそうになる。
もう逢えない、大好きなお姉ちゃん。
あれだけ泣いたのに、まだ涙が出る。
日常がだんだん壊されていく。帰れたとしても、もう、お姉ちゃんはいないんだ。
もう、わたしには、日常がない。
帰れたとしても、もう、何処にもあの楽しかった日々がないんだから、
生きていたってしょうがないかも知れない。
――ずっと死んでしまう方法を考えていて浮かばなかった。
でも、死のうと思えば簡単に死ねる。
舌を噛みきってしまえば、すごく、すごく苦しいだろうけど、
きっと終わりになる。
涙を拭いて、わたしは、小さく溜息を吐いて。
顎に力を入れて、それで、楽になれる筈だったのに。
――そこで、見てしまわなければ良かった。
「彰、お兄ちゃん……?」
わたしの顔を見て、驚愕の表情を浮かべて、そして、倒れた。
少しだけ、微笑っているように見えた。
「彰お兄ちゃんっ!」
わたしは思わず駆け出していた。
――君が傍に行けば、大切な彰お兄ちゃんは傷つくかも知れないよ?――
わたしの中から、そんな声が――聞こえた。
もう一人のわたしが、わたしを止めようとする。
けれど、わたしはそれを――強引に突っぱねた。
「わたしは、絶対に傷つけない! わたしは絶対に守るんだ!」
だから、あなたは邪魔なの!
出てこないで! わたしは柏木初音! エルクゥじゃない!
それで、わたしの中の声は――完全に途切れた。
わたしは、やっと柏木初音に戻った。
――俯せに倒れた彰の身体を起こす。額から流れる血は、ぽたぽた、と、わたしの服を汚す。
倒れてもまだなお離さない右手のサブマシンガン、そして、傷つき過ぎるほど傷ついた身体。
活力の息吹からは程遠い、乱れた息。あの優しかった微笑みを作る事すらままならぬ、そんな身体。
「彰お兄ちゃん! しっかりして」
「眠い、眠い」
「彰お兄ちゃんっ!」
何とか、何とかしなくちゃ!
大切な人をこれ以上、失いたくない!
街に、街には薬なんかがあるかも知れない。
ここからそれ程離れているわけではない。
わたしは、自分よりずっと大きな身体をした彰お兄ちゃんを担ぐ。――まだ、サブマシンガンを離さない。
わたしの身体も、疲れていないと言うわけではない。
けれど、漸くわたしは、自分の意志で、行動を行っているのだから。
それ程、苦ではなかった。
吐息が温かい。――まだ、彰お兄ちゃんは生きている。絶対に死なせたくない。
街までは1キロも無いはずだ。わたしは大きく深呼吸をすると、森の中、最短距離で動き出した。
――その時、――七回目の、放送が流れた。
わたしは、がぁん、と――頭を打ったような、そんな衝撃を受けた。
「おはよう、諸君。これから定時放送を行う。
――017柏木梓 020柏木千鶴――」