影の世界へ
もしも、この大きな木に登ったなら。
二階の窓から、なんだか間の抜けた、滑稽な様子を見ることができる。
ベッドに腰掛けた子供が腕を組んで、成人女性を詰問する姿がそこにある。
「じゃあ、なんでよ…」
ぽかんと口を開けて思考を停止しかけるマナに、千鶴は答える。
監視のこと。発信機のこと。爆弾のこと。死亡放送のこと。
耕一と七瀬、そして初音のこと。
「ふーん…」
マナ自身も、高槻の所在を予測するにあたり、管理体制を考察したことがある。
無線の隠しカメラと、その情報を集めて送る送信施設の存在。そう考えた。
しかし、この部屋ひとつに関しても、死角なくチェックすることはやはり不可能だ。
それに発見されれば壊されてしまうだろうから、どうしているのだろうとは思っていた。
「衛星、ねえ…」
ちょっと話が馬鹿馬鹿しく大きい。このゲーム自体、そうなのだが。
しかし…宇宙スケールとは…。
ひとしきり感心した後、なんとなく立ち上がり、上を向いて考えてみる。
「…ま、関係ないけどね」
結論は実にあっさりとしたものだった。
「あたしは、もう誰かと戦う気もないし。
高槻を倒そうと思ったこともあるけど…結局追い出されちゃった下っ端でしょ。
それに今、あたしが吐いたら…不自然だもの」
そうでしょう、と確認するようにマナは言った。
なるほどこの娘は頭がいい、千鶴は感心しながら答える。
「…そうですね、せめて相打ちの形をとらないと」
管理の抜け道を通る条件を、二人で確認してみる。
全てを確認した、そう思ったところでマナが鞄を手にする。
「それじゃ、先に行くわ」
「…はい」
そうだ。
自分は、この少女と同行するわけにはいかない。
行けば遠からず衛星に発見されるだろう。
この少女に限らず、全ての生存者と同行することはかなわない。
…少なくとも、日の当たる場所では。
戸口を出ると、マナは振り向かず天を見つめて言う。
「それじゃ、行くから。
耕一さんと七瀬さん、それに初音さんに会ったら無事を伝えておくわ」
「はい、お願いします」
「だから…あなたも頑張ってね。
あたしの分も、お願いするわ」
「…はい」
機関銃(これが”あたしの分”らしい)を手に、千鶴は頷いた。
何のために管理システムを欺いたのか。
それは、もちろん管理側と対決するためだ。
他に何の利点があるだろう?
脱出にせよ。
打倒するにせよ。
千鶴達は、三人だけで戦う他に道はない。
光の世界を避けるように、影の世界を行く他に道はない。
…それは覚悟していたことだが、やはり辛いことかもしれない。
帰路を考えても、時間はまだ余裕があった。
それでも、なんとなく寂しくなって、千鶴は駆け足で学校に舞い戻った。
そのころ、教室の一角には巨大なバリケードが築かれていた。
扉を封鎖するように積まれた机が天井まで達しようとしている。
「梓さん、ボク疲れたよぅ…」
「これで最後だから頑張れって…よっ…と」
これでひと安心だろ、そう言って梓は床に座り込む。
それに習って、あゆもぺたんと座る。
「千鶴姉、遅いなあ」
「そうだね…」
二人で時計を眺める。
そのとき、あゆのお腹がくーと鳴った。
「ははっ、あゆ、ホントに食いしん坊なんだな」
「うぐぅ…」
梓は笑って、恥ずかしそうに小さくなるあゆの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「まあ最近、なんだかんだでマトモなもん食ってるしね。
初音の料理も、なかなか上手いもんなんだよ」
「へぇー…」
それを受けて、あゆは驚くべき一言を発する。
「ボク、千鶴さんの料理も食べてみたいなっ!」
「 …… 」
「?」
完全な空白が、そこにあった。
「あー…アタシ、ちょっと寝るわ」
「えっ?」
あゆに背を向けて、ごろんと寝転ぶ梓。
「お、おいしいんじゃないのっ?」
「うん、そう思っていればいいよ。じゃあ、おやすみ…くー」
「え、えっ、そう思っていればいいよって、なにっ?」
「くー」
「気になるよう…梓さんっ、梓さんっ…」
その半時後。
扉を開くなり押し寄せる机に、あやうく下敷きにされかけた千鶴が
梓を叩き起こす頃には、あゆは二度と千鶴の料理を食べたいとは
言わないようになっていた。
…あゆは知っていた。
ちゃんと食べれるものを使っても、謎なものになる場合がある事を。
【017柏木梓 020柏木千鶴 061月宮あゆ 再び合流】
【088観月マナ 発信機情報を胸に往人、耕一&七瀬、初音を捜索】