Little prayer


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「ほら、居候。起きんかい」
 ……がつん、という音と激痛に往人は目を覚ました。
 頭をさすりながら身体を起こす。
 と、目の前には一升瓶を抱えた晴子の姿。
「ほれ、飲もか」
 晴子は、にんまりと一升瓶を差し出す。
「……殴ったか? それで」
 笑顔の晴子とは対照的に、明らかに不機嫌な往人の顔。
「よっしゃ、やっぱ男は酒ぐらい飲めんななぁ」
 その視線を無視し、晴子は意気揚々とコップになみなみと酒を注ぐ。
「殴ったか?」
「ほい、あんたの分や」
 やはり無視して、ずいっとコップを往人の方に突き出す。
「……」
 往人は観念し、渋々そのコップを受け取る。
 もはや、ここまで来たらどうにもならない。
「さあ、飲むで〜」
 上機嫌な晴子に、往人は取り敢えず尋ねる。
「……で、あんたのコップは?」
「これや」
 と、持っていた一升瓶を掲げた。予想通りの回答だった。
「というわけで……乾杯〜」
 ごちん、と鈍い音と共にコップと一升瓶が触れ合う。

 それは、遠い夏の日の夜。
 ――国崎往人が、神尾家で迎えたあの夏の夜。

 ――ちちち……と、外から聞こえてくる虫の音が心地よい。

「全く。神様ってのも残酷やなぁ。そうは思わんか?」
 どん、っと畳に一升瓶を叩き置きながら晴子は往人に言う。
 その口からは、アタリメの足が顔を出していた。
「神様?」
「そや」
 ぐびぐびとラッパ呑みしながら、晴子は頷く。
「普通、神様ってのは皆を幸せにするためにいるもんや。そうやろ?」
「会ったことないからわからない」
 ちびちびとコップの中身を呷りながらも、冷静に受け答えする往人。
「おるで、ここに女神様が!」
 びし、と自分を指差す晴子。
「……あんた、もう酔ってるだろ」

 ――扇風機から流れてくる、ぬるめの風が気持ちいい。

「まあ、うちは結構ヒドいことやってるし、
 神様のご加護〜ってのはないのかもしれんけどな」
 手掴みにしたピーナツを頬張りながら、往人は返す。
「どうした? いつものあんたらしくないな」
「こんなことになってしまったからなぁ、愚痴りたくもなるわ」
 そしてまたラッパ呑み。
「こんなこと?」
 往人は鸚鵡返しに繰り返す。そう、繰り返してしまった。

 ――それが、終わりの始まり。

「なんや、もう酔ってしまったんか?」
「いや、そのつもりはないが……」
 空になったコップに、晴子は持っていた一升瓶の口をつけて、とくとくと注ぐ。
「ほれ、だったら飲み」
「……ああ」
 突如訪れる沈黙。何時の間にか、外の虫の声も聞こえなくなっていた。

 何故だろう? 酷く肩が痛い。どこも怪我をしていないのに。
「神様は残酷やなぁ……」
 そして再び呟く、その言葉。
「あんな良い子が、どうしてこんな目にあわんなあかんのやろ」
「……観鈴のことか?」
 そういえば、観鈴は……どうした?
「なぁ、観鈴はどこにいるんだ。寝てるのか?」
「いいや」
 晴子は空になった一升瓶を置くと、
 無理して笑おうとするような、そんな表情で往人に言った。

「――」

 ――そして、夏の夜は終わり。

「なぁ、居候」
「断る」
 鮮やかな速攻。息を吐かせる暇もない程のカウンターだった。
「なぁ、居候〜」
「断る」
 今度は艶のある声で攻めてみたが、やはり効果はなかった。
「せめて、内容ぐらいは聞き」
「あんた、やっぱり酔ってるだろ?」
 晴子は笑う。
「当たり前や。なんで、こんな目に会わなあかん? 答えてみ。……答えてみいって!」
「晴子……」
「おっと。すまんな、居候。堪忍や。……さて、お願いの内容やが」
 そこで晴子は背を向け、神尾家の居間は闇に染まる。
「観鈴に、ウチはええ母親だったか……聞いておいてくれんか」
 つまり、それは。
「やっぱ、神様は残酷やわ。だって――」

 ――肩が、痛い。どこも怪我なんかしていなくて、
 ここは。穏やかなあの夏の日の夜なのに。だったはず、なのに。

 激痛に頭をぶん殴られたような形で意識を取り戻した往人は、吐き気を堪えながら身体を起こす。
 いや、見回そうとしたのだが、往人はその有様に思わず顔を歪めてしまった。
 ――景色が、最後に見たものと変っていた。
「いったい……何が……」
 そして、視線の端に何かを捕らえる。
 往人は立ち上がろうとして――よろめく。 なんてこった。腕の感覚は無いし、まるで身体が鉛のように重い。
 見れば、あちこちには恐らく自分のものと思われる血がこびりついている。
 そして、ようやく思い出す。先程の爆発、それに巻き込まれたらしい。
 運が良かったのか、それとも思う以上にタフなのかはわからないが、とにかく――生きている。
 それなら、行かないといけない。
 荒れる息をだましだまし、ゆっくりと彼女の方へ歩み寄った。

 そこにいたのは、神尾晴子だった。
 往人はなんとなく、そんな気はしていた。
 彼女も先程の爆発に巻き込まれたのだろう。うつぶせで倒れており、見える傷が痛々しい。
「おい、晴子。しっかりしろ」
 なんとか大きな声をだそうとするのだが、傷が痛んでなかなか上手くいかない。
 それに、晴子はぴくりとも反応しない。――気絶したままなのか? それとも……。
 その考えを振り払い、もう一度声をかける。だが、晴子は何も応えない。
 もう一度。往人は擦れた声で、搾り出すように言った。
「……おい。頼むから……」
 往人はまだ動く左手で晴子の腕を掴むと、取り敢えず仰向けにさせようと力を込めて引っ張りあげる。

 ずるり。
 やけに生々しい音と共に――晴子の身体から、掴んだ腕が抜けた。

 何が起きたのか理解できずに往人はただ呆然と腕を握ったままで動かずに
 視線はせわしなくその腕と地面の晴子を行ったり来たりを繰り返し
 何を言おうにもまるで金魚のように口をぱくぱくとさせたままで語れず
 ただじっとその場に腕を握りしめたまま立ち竦んでふと我に返り――そして。



 神様は残酷だ。
 ――愛していた娘。その傍で看取られて死ぬことすら叶えてくれない。

 探し回った。それでも、見つからなかった。
 神尾観鈴はいなかった。それでも往人は辺りをぐるぐると回り探し回る。
 それらしい物体を見つけては、確認し、ほっとする。
 それの繰り返し。

 痛い。
 身体だけでなく、心が――悲鳴を上げている。

 初めて、近しい人の死を目の当たりにしてしまった。
 こうならないよう、願っていたのに。
 俺の知らないところでいなくなってしまった、みちるたち。
 そうならないよう、守ろうと誓ったのに。

 どうして、こんなことになったのか?
 自問自答しては、浮かぶ罪悪感と後悔に押しつぶされそうになる。

 それでも、観鈴は見つからない。
 諦めきれなかったが、ひとまず晴子を弔おうと思い――そして握力が無いことに気づく。
 さっきまでは晴子の腕を握りしめることも出来ていたのに。今は、土すら掘ることも出来ない。
 しかも、気を抜くとこちらの方が倒れてしまいそうだ。

「おいおい――なんだよ、これは」
 思わず、声が出る。新手のギャグか?
 だとしたら、酷く――ひどく、笑えない。



 晴子の言ったとおり。神様は残酷だ。
 ――弔ってやろうと思っても。それすら許してくれない。

「すまない、晴子。だが、あんたの頼みは聞いたから」
 往人は、何も出来ない目の前の死体にそっと呟く。

 決めたこと。
 観鈴を探すこと。
 ぼくは――いや、俺は。生きている限り、彼女を探すことを決めた。

 彼女がしんでいるのかいきているのかはわからない。
 でも、目的が欲しかった。自分の命を繋ぎとめるだけの意味が。

 このゲームの主催者を倒す。このゲームに乗っているヤツらを倒す。
 そう決めて行動していたが、もうだめだ。
 銃は握れない。もう、俺は相手を攻撃する術が無い。

 神尾観鈴と神尾晴子。この二人を守り抜こうと決めた。
 だが、これももうだめだ。
 観鈴はここにはいないし、晴子は――。

 だがら、観鈴を探すことに決めた。
 幸い、まだ歩くことが出来る。目も見える。耳も聞こえる。声もなんとか出せる。
 観鈴を探すことは出来るはずだ。

 後、どのぐらい持つのかわからない。
 このまま倒れてしまったらどんなに楽だろう。

 だが、晴子と約束してしまった。
 晴子のため、そして自分のために。俺は観鈴を探す。



 だから、神様。もし、アンタがいるというのなら。
 ――せめて、遺言ぐらい……言う時間を与えてくれ。

【023 神尾 晴子 死亡】
【残り21人】

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