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歌を捧げよう、大切なひとの為に。


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少しまだ冷える大気の中を、砂利と靴が擦れる音だけを響かせながら、俺たち七人は――ある場所に向かって歩いていた。
先程までの沈痛な雰囲気とは対照的に、皆が皆、それなりに楽しそうに話をしながら、割と明るい雰囲気であった。
一人そんな様子を眺めていると、ざんぎり頭の漢、いやいや乙女がこちらの視線に気付いたようであった。
「なんかちょっとだけ、寒いわねー」
――七瀬留美がそんな事を云いながら自分の横に並ぶ。
「うん。まだ夏なんだけどな」
真っ白な雲が僅かに覆ったその青は、遠くで輝いている太陽は。確かに夏の様相をしていたけれど。
ちょろちょろと流れる川の音と林の底から吹き付ける風の柔らかさは、確かに鳥肌が立つ程冷え冷えとした物だった。

「もう、何ヶ月も経ったような気がするな。ううん、何年も、何十年も経ったような気さえする」
やけに苦しい笑顔だったと思う。
「――やっぱり、つらいものね。ここ最近、まともに眠れなかったもの」
「俺も、同じさ」
俺は少しだけ肩を竦めて笑う。

「すごく、悲しくなる時がここ数日だけで何度もあったよ。どうして生き残っちゃったのかな、って」
彼女は、今度はどうしようもなく寂しい笑顔を見せていた。
目的地がやがて近付いてきている。
「……」
「――まだ、見つけられない。さっきマナちゃんと少しお話ししたんだけどね」
彼女は、医者になるんだって気張ってる。自分が何をすべきかしっかりと捉えて、前を見据えている。
七瀬は絞り出すような声で云う。
マナは――あの島で良い出会いをしたのだ。彼女の心を真っ直ぐに向けるような、強い何かを。
何度となく俺も、あの島で彼女の魂に救われてきたから――それは実感できる。

「私は、何が出来るかな、耕一さん」
殆ど、泣かんばかりに七瀬は囁いた。
だが俺は答える事が出来ない。俺だって――似たようなものだったから。
だけど――きっと、答えは見つけられるだろう。すぐに、信じられない程すぐに。



「うわあ……――」
あゆ、七瀬、晴香、マナ、繭。皆が一斉に驚嘆の声をあげた。
遠くまで拓けた用水路。殆どガラスと同じくらいに透き通った水面を、俺たちは橋の上から眺めるに至る。

梓をちらりと見る。唇を少し噛みながら何かに耐えるような表情をしている。
――まだ少し、早かっただろうか。俺の視線に気付くと、梓は本当に自虐的な笑みを、俺に見せた。
多分俺が彼女に見せているのと同じような、残酷な笑顔を。

初音と、楓と、千鶴さんと――皆でここで遊んだ。
花火をした思い出。俺がここで溺れて死にそうになった思い出。
そして、あの満月の夜に――千鶴さんに抱かれて死にかけていった、思い出。
――このどうしようもなく冷たい風が吹き付ける場所で、俺が何をしようとしたか。
こんなつらい場所で、何をしなければならなかったか。自分たちの他には誰もいない、この物静かな空間で、何を。

俺と梓を除く五人は、何やら楽しそうに水辺を眺めている。
「綺麗な場所だねっ」
あゆが楽しげに笑う。他の四人も、すごく楽しそうに笑っている。
彼女らがこんな笑顔を見せてくれただけでも収穫だったけど。
俺が本当にやりたかった事はそういう事じゃないんだ。
すう、と息を吸う。出来るだけ、大きく。



「千鶴さ――――ん! 楓ちゃ――――ん! 初音ちゃ――――んっ!
 俺たちは――――っ! 元気で、やってくから――――!」
大気を震わせるような、大きな声で。出来るだけ大きな声で。明るい太陽が輝く下で、俺は力の限り、叫んだ。
大切だった人たちの事を。泣かないように、泣き崩れてしまわないように、出来るだけ胸を張って――。
他の皆は俺のそんな様子を呆然と見る。ただ、呆然と。

――そうさ。この為にここに連れてきたんだ。
ここなら今は、誰もいない。誰もいない。叫びを聞くのは、俺たちと――俺たちの、大切な人たちだけだ。
別れはいつだって唐突だ。だからこそ、別れの言葉は力一杯、心の底から叫ばなければならない。
あの日のぬくもりを、忘れない。――俺は皆の事を、まだ――ううん、ずっと、愛しているから。

一瞬びくりと自分の横で震えた梓も――顔をあげると、同じように大きく息を吸った。
「千鶴姉ぇぇぇっ! 楓、初音ぇぇぇっ! あたしは大丈夫だっ! 大丈夫、だからぁっ………!」
そうやって、力一杯叫んだ。――叫んで、そのまま、崩れた。
「祐一くんっ、秋子さんっ、千鶴さんっ……――おじさんっ……! ボク、頑張るからねっ!」
続いて、あゆが。そして、七瀬が。
「折原っ、瑞佳っ、北川やみんなっ! この乙女の、……乙女の、あたしの心配なんて、しなくて、いいんだからっ!」
皆が皆、力一杯。繭も、晴香も、唇を強く噛み締めながら、大地に踏ん張りながら――。
「こうへいさんっ、みずかさんっ、きたがわさん……みゅーも、がんばるよぉっ」
「良祐っ、郁未っ、由依っ……あたしの事っ……! 誰にも負けない、誰にも負けないで――生きていくからっ!」

歯を食いしばって、こぼれ落ちそうになる涙を堪えながら。マナも、喉が裂けるような大声で。
「聖センセイっ、佳乃ちゃんっ、きよみさんっ、おねえちゃんっ、藤井さんっ! わたしは、わたしだからっ! わたしらしく、生きていくからっ」
ポテトも、ぴこぴこと。
(おめえら……俺の心配なんてしてる暇、ねえだろ? 俺が心配なら、まあ、好きに心配すれば良いけどよっ……!)

ここは良い場所だ。柔らかな風と、美しい空と、優しい香りと。
――別れを告げるには、どうしようもなく、残酷な場所だけど、残酷でない別れはない。
残酷でない別れならば、それは別れではないのだから。
本当に愛していなければ、大好きじゃなかったならば――それは別れと呼ぶのではないから。

百人という人間が、あの島の中で強く生き、死んでいった。それぞれに出会いと別れを繰り返して、
弱い心に任せて引き金を引いて、強い心で別れを拒絶して、優しい心で愛しい人を護ろうとして。
すべてが上手くいく訳がない。上手くいったのなら、誰も死ぬ事などなかったのだろうし。

だから俺は七瀬の横に立ち、彼女の耳元で囁く。
「――生きていけばいい。何かを為すとか、考えなくて良いんだ。今はただ、笑いながら生きていけばいい」
彼女は、目尻に浮かぶ涙を拭うと、大きく頷いた。

「――そうだよな、千鶴さん」
気が付けば、俺も泣いていた。たぶん、漸く俺は泣く事が出来たのだ。
心に刻まれたやわらかな傷痕は、きっと長く癒える事はないだろう。
きっと、長く、永く。
だが、人は傷を背負って生きていく事も出来るんだ。
そして、背負って生きていける事こそが、俺の、俺たちの幸せなのだ。



取り敢えず、あたしは前を向く事を選んだ。
何か大きな事を為そうとしても、きっと上手くはいかないんだ。
今は、取り敢えず生きていこう。幸いな事に、島で出会った悪友はあたしの横で笑っていてくれるだろう。
それにこの自分を慕ってくれるちびっこい可愛い奴もいるんだ。
「乙女、志望よ」
誰も敵わぬ位の乙女として生きていってやる。誰よりも優しく、誰よりも強く、誰よりも――



復讐とか、そういう事は今は考えない方が良いかな――良祐。郁未、由依。
取り敢えず今は、――のんびり眠りたいんだ。
もう好きなだけ力は使える、簡単に復讐は出来るんだけどね――
私は、取り敢えず今はそれを拒絶する。横にいる悪友との、赦されるだけの幸せな暮らしを、楽しみたいから。
「ごめんね、勝手な女で。勝手な妹で――お兄ちゃん」



誰に誓った訳でもない。だけど、わたしには取り敢えず確たる目的が出来た。
出来るだけ人を救いたい。あの島での戦いは、それこそ死ぬ程に苦しかったけど、
それでも――意味がなかった訳じゃない。あんなにたくさんの、素敵な人たちと出会えたのだから。
強く生きていきたい。何よりも、強く。聖センセイ、佳乃ちゃん、藤井さん。
「わたしは、わたしだからね」



ボクは、すごく弱くて弱くて仕方がなかった。
ボクがもう少し強かったなら、死ななくて良い人達はもっとたくさんいたんだ。
おじさんの顔。憎まれ口を叩きながらも、自分を懸命に護ろうとしてくれたおじさん。
「大好きだよ、おじさん」
おじさんがいてくれたから、ボクはこうやって元気でいられたんだ。
笑う。ボクはずっと笑っているよ。だから、心配しないでね。



いやなことはいっぱいあった。だけど、いやなことよりもいっぱいいっぱいうれしいことがあった。
すごくやさしくしてくれたきたがわさん。まもってくれたおじさん。
けっきょくいちどもあえなかったけど、だいすきだったこうへいさんとみずかさん。
すごく、だいすきだったんだ。わたしは、だいすきだったんだよ。
「みゅー……がんばるっ」



大好きな姉。大好きな妹。もう、彼女らと再会する事は、少なくともしばらくの間はない。
多分彼女らの何倍もの苦痛の中であたしは生きていくのだろう。
だが、それすらも幸福だ。あたしは少なくとも彼女らの代わりに生きていく。
「あんたらの分まで、楽しんで、苦しんで、幸せに暮らしてやるから」
出来るだけ長い間、笑っているよ。本当にありがとう――。



ふと、あの島で出会った強かった友人の顔を思い出す。
きっと彼が――七瀬彰がいなかったら、俺はもっと早くに死んでいた筈だ。
彼がいなかったら、きっと大切なものを護ろうとする前に、大切なものが腕の間をすり抜けていってしまっただろう。
彰だけじゃない。郁未も、浩平も、あの島で出会った皆、俺に言葉をくれた。強く生きていく為の言葉を。
「俺はせめて、生きていこう」
誰の為でもない。取り敢えずは自分の為に。きっとそのくらいの我が儘は赦してくれると信じている。
どこかの誰かの未来の為に、俺は生きていこう。誰かの為にある、優しい未来の為に。



やがて、雨は止むだろう。

そしてきっと雨はまた降り出すだろう。

けれど、その雨だっていつかは止む。

止まない雨は、ないのだから。

やがてぽつぽつと、真っ青な空から雨が降り注いでくる。殆ど雨と感じないような、柔らかな雨だった。
ただ、水面に薄く広がっていく波紋を見詰めながら。

俺はもう一度だけ、涙を零したのだと思う。

【 END 】

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