長い長い夜の祈り。


[Return Index]

やがて、雨は止むだろう。



「――終わったんだね」
少しだけ悲しそうに、自分の横でマナは囁いた。
「うん」
多分俺も、少しだけ悲しそうな顔をしていたに違いない。さて――どのくらい時間がかかるだろうか、笑顔まで。
俺とマナちゃんは二人で、仏壇の前で正座していた。梓とあゆと二人が懸命に働いているのを、
全く手伝うような気がしなかったからである。
別にここに彼らが眠っている訳ではない。ここに眠るのは、俺の親父だけだ。
俺は、――真っ黒な位牌を見詰めて、懐かしい親父の顔を思う。
「――護れなかったよ、親父」
その言葉を、本当に誰にも聞こえないくらいの大きさで――マナにだって聞こえないくらいの大きさで。
声に出してしまったら、きっと俺は泣き出してしまうだろう。
自分が抱えている重荷に耐えきれず、洪水のように涙を零してしまうだろう。
まだ。

「料理っ、出来たよっ」
沈痛な雰囲気の中、あゆの明るい声が殆ど唯一の救いであるかのように響く。
ここの沈痛な雰囲気を読み取ったのだろう、彼女は出来る限り大きな、明るい声でそう、叫ぶような大きさで云う。
「ボクのお手製の料理だよっ」
鍋つかみを付けた手でVサインをする。それ故に、まったくVになっていないのがおかしかった。
「――うん、それじゃあ行こうか、マナちゃん」
俺は涙をちょっとだけ堪えて、あゆのように明るい声でそう提案する。マナは小さく頷くと立ち上がる。
俺も立ち上がろうとしたが――
「あうっ」



長い間正座をしているとこうなる。バランスを崩して硬い畳に顔を全力で叩き付ける。ごきりと嫌な音がした。
鼻が真っ赤になっているだろう。……こういう場面でこういう事をやってしまう俺。なんて無様なのだ。
「あはははっ、耕一さんってバカだねっ」
「あはっ、ボクより100倍くらいどじだよ、まったくっ」
だがまあ、二人が心底おかしそうに笑ってくれたので――ちょっとは救われた。

「さ、柏木梓お手製の料理。たあんと食べちゃってくださいっ」
そういうと梓はエプロンを外し、にっこりと笑った。
目の前に広がるは本当に美味しそうな料理。――久々に食べる、贅沢品であった。
――だが……梓らしくもない、
「珍しいな、こんな失敗するなんて」
真っ黒になったお好み焼き。あの梓がこんな失敗をするなんて……はっ!
「うぐ……」
顔を真っ赤にして俯くあゆ。
「――あ、いやあ、なかなか美味しそうなお好み焼きで」
「……うぐぅ」
すぐに耳元で囁くは梓。
「お好み焼きじゃないんだよ」
「……マジか」
「マジです」
じゃあなんなんだ、これは。

……説明は無しかっ!



ともかく俺たち四人は、残りの三人の到着を待たずに箸を手にとって料理を食べていたのだが――そんな折にである。
ぶるぶるぶるーっ、とばかりに排気音が聞こえてくる。ついでに……何やら、サイレンの音も。
嫌な予感を覚えたのは俺だけじゃなかった。残りの三人も、多分俺と同じような顔をしていたから。
「もしかしたら、三人かな?」
あゆは少しだけわくわくしたような、しかし少しだけ不安に怯えたような顔でそんな事を呟く。
自分もなんとなく彼女ら三人ではないか、とは想像できた。いや、だがそれ故――何故、サイレン。
いやいや、多分偶然だ。きっとこの近所の何処かで急病で倒れた人がいるんだ。そうに違いない。
と、考えようとした瞬間だったのだが――

がらがらがっしゃーんっ!

「ちょっと待てぇぇぇぇっ!」
慌てて俺は駆け出す。間違いなくこの家の塀に突っ込んだ音である。
誰がいきなり、ってまあ、大体想像はつくのだが、取り敢えず俺は玄関へと向かう。あゆとマナも自分に続く。
長い廊下を駆け抜け、少し埃が溜まった廊下に気を払いながらも――玄関へと到着する。
そこで乱暴に扉を開けて現れたのは。
「おひさしぶりっ、耕一さんっ」
前より少し髪が伸びた、端整な顔立ちの漢と、
「と、取り敢えず匿ってっ」
長髪を乱れさせ息を吐く、美しいヤンキーと、
「みゅ、みゅ〜……こわかったよーっ」
漢に抱かれてじたばたする、可愛い中学生と。

まあ、つまり。現れたのは、あの島で出会った、友人達であった。



ともかく、七人全員が揃った。――三人が到着した後、警察の事情聴取を受けた事は想像に難くないだろうか。
高速道路でバイク三人乗り――アホかっ。つーか死ぬわっ。
「無免許だったしね」
あはは、と笑う。――アホかっ。

用意されたやけに大量の料理に箸をのばしながら、丸机に胡座を掻きながら座る他の六人の顔を見る。
別れてから数日しか経っていないのに、結構皆、顔立ちが変わったように思う。
それはそうだ――あの異常な空間で見せる表情が、このような取り敢えずは安息と共に在る事が出来る場と同じである筈がない。
それに――この数日の間に、それぞれに葛藤があったのだ。生き残った事の幸福と不幸とを同時に噛み締める、
ただ一人で、目の前に広がる道の事を考える時間を経たのだ。
多分――だらだらと生きていた頃には考えた事もなかった、人の可能性について。
多分俺の顔立ちだって、数日前とはまるで違う。大切な人を失って生きていかなければならない苦痛。
それは考えているより、ずっと――重い。
しかし、まだ一粒たりとも涙が零れない。あの島で泣いてから後、ずっと。
ただ布団の中で、胸を焼くような苦痛に抱かれるのだ。心臓をえぐり取られたように、心が悲鳴をあげる。
彰に刺された左腕や首元も夜の間ずっとずっとずっと身を焼く。
身体の痛み以上に、心が焼かれるような。

なんとなく明るい話をしようとしながら上手くいかない、そんな不思議な雰囲気で進んだ食事が終わると、
一挙に言葉数が少なくなった。
ただ息を吐く音だけが、静かな居間に響く。
きっと誰もが、悲しそうな顔で。



    知ってる? お葬式はね、死んだ人たちに敬意の念をもってあの世に送る儀式なんだけど、
    お通夜はね、みんなでわいわい騒いで、元気にやっている姿をみせる儀式なの。

千鶴さんはあゆや皆に、そんな事を云ったらしい。
彼女らしいといえば、彼女らしいのだけど。こういう雰囲気じゃ、そうは上手くいかないだろう、な。
これじゃあ、皆に心配かけちまうかも知れないな。

俺は――だから、提案した。出来るだけ明るい大きな声で、強引に笑顔を作りながら。
「少し離れた場所に、良いところがあるんだ。食後の運動にもちょうどいい」
梓は何かを云おうとしたが、だが何も云えなかったようであった。
彼女は直感的に悟ったのだろう――俺が何処へ向かおうとしているか。
この数日、一度だって向かった事がなかった場所だ。帰ってきてから、あの場所の事だけは思わないようにしていたのだけど。
「うん……良いかもな」
梓は、少し俯きながらも笑って、そう云った。
「うん……行こう」
全員が、少しだけ顔を上げて――多分懸命に、笑った。

[←Before Page] [Next Page→]