蟠り
白い煙が鼻を突く。
もう、ずっと前から知っている――はずの――その心地よい香りが、
なんだか今はひどく色褪せた、乾いた味にしか感じられない。
灰色……そう、灰色だ。
セピアと表現するには少し劣等、無機質で粗雑、艶も潤いも無い。
丁度、目の前のこのコンクリート壁のそれにも似た……灰色だ。
目の前には誰もいない。
前後左右を見渡しても同じ事だ、誰もいない。
ここには俺しかいない。
だがそれでよかったはずだ。
邪魔者は要らない。
要らないものは排除する。
そして、最後に俺が残る。
どうしようもないほど単純で、完璧な計算。
いや、理想だ。
そして、その通りになった。
つまらない不可視の力など無くても。俺は今の位置にまで来た。
それが支配するということだった。
自らを傷つけてまで手に入れようとする……無駄なことだ。
糸を引くのだ。
そして、それを手繰るだけ。
全ては操り人形のようなもの。
そして、それを操れるものはただ一人。
俺だけだ。
俺だけだ。
俺だけだ。
俺だけだ。
俺だけだ。
おれだけ……。
「……ちっ」
プッ、と俺は咥えていた煙草を投げ捨てた。
地面に落ちてもまだ、その煙草は煙を上げる事を止めない。
湿った口元が、妙に切ない。
いらつく。
どうしようもなく、いらつく。
燻った――この煙草の煙のように――思いが、ひどく鬱陶しい。
そして、俺は靴の踵でその煙草を踏み潰した。
「……」
拭えない、この程度では。
まだ、俺は許せないものがあるのか。
手に入れたはずなのだ、全てを。
この狂った領域を支配して、
あの邪魔な”月”を排除して。
それなのに、何故――。
「何故、こんなにも乾く――?」
…。
……。
………。
答えは出ない。
出るわけが無い。
とっくに失ってしまったものを、
いまさら追い求めても仕方ないだけだ。
がちゃん。
――そして、高槻は部屋を出た。
黒い音が、誰もいない廊下に響く。
靴音はやけに固く重く感じられ、そしてそれを恐れたかのように、他に音は無い。
少し長い道程を経て、ようやく高槻はそこに立つ。
”class”の刻印の為されていない、暗く閉ざされたそこを見る。
「後始末は、最後までそれを徹底してやらねば意味が無い」
聴く人が聞けば、高槻らしくない消え入るような声で、またも一人ごちた。
それは、彼に向けられて放たれた言葉だったのか。
それとも、他の誰かに向けられたものなのか。
それを知る者はいない、彼以外には。
「……」
無言。
そして、沈黙。
光を発さぬ濁った瞳、その先に一人の女の姿がある。
暗闇に伏して動かない、その姿。
――彼女の名は巳間晴香と言った。