つかのまの、やみ


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もうなにもかもがいやになっていた。
今日はネームを終わらせようと思って、一生懸命かんがえてたのに。
夏こみの当落発表前に入稿をすませて、したぼくたちをおどろかせてやろうって、
そう思ってたのに。
だけどしたぼくはいない。みんないない。
こんな場所、こんなしんきくさい場所、いたくない。
「詠美っ…止まり!!」
聞き慣れた叫びも、いまはこわいだけだ。
目を合わせたら、おしまいだ。
ぎゅっと目をつぶって、あたしは夜の住宅街を走り抜けた。
絶対に追いつかれないように、せいいっぱい急いで。

あいつは、あたしのことがきらいに決まってるんだから。
いつもわがままいって、困らせてたから。
面倒ばかりかけるおおばかだって思ってるんだ。
だからあたしも、あんたなんて、しんようしない。
すこし悲しくなったけど、それはしかたのないことだった。

と、
風をきるような、音。

「な…っ」

植え込みに突き刺さっていたのはショートボウガンの矢だった。
いきができない。やだ。やだ。やだよ。
目を動かせば、そこには白衣のひと。
眼鏡のおくがつめたくみえた。こっちにくる。
「どうも腕が鈍ってるようね、調子が出ないわ」
きりり、と音がして、もう一度照準が合わされた。

やだ。ちょっと、あたし、なにしてるんだろ。
やだ、ほんと、なんで、はしれないんだろう。
なんで足がこんなに、うごいてくれないのよ。

「ごめんなさい。痛くないようにするから、我慢して」
「うそっ」
そのひとは笑っていた。
きりきりと腕を引く。
「や、」
もういちどで、たぶんあたしは――――

目をつぶったと同時に、ぱぁん、と、何かが弾ける音がした。

「何さらしてんねん、この人殺しがァッ!!!」

温泉――パンダ。

ぱん、ぱん、とまた続けて音がして、植え込みや街灯を割った。
はっと見れば、白衣のおんなの腕と腹が、あかかった。
その手には何も持っていない。なにも……え?
ぱぁん。
もう一度その音を聞くと同時に、あたしは腕をひっつかまれていた。
「早う逃げるで! 同人女は夏こみまでは死ねんのや!」
「え、え、」
いくつも曲がり角をまがって、足がついていくのもやっとだ。
だけど今走らないと、今は、早く、
「ええか、向うの山まで行くで。
 うちらの前に出たんはあの女しかおらん、充分まける」
「あ――――」
ろくにしゃべれなかった。
だってこいつは、あたしをきらいなはずで。

『この島の露としてあげるわ、温泉パンダ!』

あたしは。

「行くで、詠美!」

とんでもなく、ばかだった。

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