誰も死にません。
未だ目を覚まさぬ長森を背負い、浩平は七瀬と共に森の中を歩いていた。
「ここらへんで良いんじゃない?」
七瀬が指さした先には、ちろちろと音を立てて流れる川が見えた。
浩平は頷くと、茂みの裏に長森を寝かせた。そして七瀬と顔を見合わせ小さく息を吐いた。
「まあ、取り敢えず長森が目覚めるまでここで休んでおこう」
長森を捜すため必死で走り回ったわけで、歩いている内にある程度回復はしたが、それでも二人とも疲れている。
まだ戦いは始まったばかりだ。休める時に身体を休めておかなければ生き残れる可能性は少ないだろう。
しかし――どうやって最後まで生き残るというのだろう。
最後の一人まで殺し合わなければならないのだとしたら――自分は、目の前で暢気に休んでいる二人をも――。
いや、何か方法があるはずだ。その為に二人と行動する事に決めたのだから。
オレは、やる気はないんだ。噛みしめるように呟いた。
――先の、住井の言葉。――無意識で人を殺したんだ。
オレは、二人を護るために、人を殺すかも知れない。
決して殺したくなんかない。だが、殺してしまうかも知れない――。
――そして、その時。
一つ、浩平は決心した。
護るために、殺す。
絶対二人を護ってやる。それが浩平の、この戦いに於ける、最初のデタミネーションだった。
「ところでさ、折原」と、七瀬が不安そうな顔で浩平を見つめてきた。
「何だ?」
返事をすると、
「その、腰に挿さってるの、ってさ」と、恐る恐る、浩平の腰の辺りに指を差した。
「ん、ああ、拳銃だがそれがどうしたっ」
と云うと、
「何でそんな物騒なもの持ってるのよっ!」
と、すごい剣幕で七瀬は鋭いツッコミを入れてきた。
「さすがだな、七瀬。やはり本場のツッコミは違うな」
「本場ってなによ、このばかっ」
七瀬は唇を尖らせながら喚いた。
「というか、さっきお前に見せなかったっけ? だからお前オレにツッコンだんじゃないのか?」
「そんな覚えないわよ、ばかっ」
「ほら、お前の拳なら拳銃にだって勝てるって独り言云ってた時だよ」
云うと、七瀬は、あー、あー、と、納得したように手を叩いた。
「あれはそう云う意味だったの!」
「知らずにツッコンだのか、お前は」
さすが本場である。
「で、どうもこれがオレの武器らしい。……まあ、七瀬の天下を獲った拳にはとてもかなわないだろうが」
「んなわけあるか、どアホぉ!」
同じネタに三度も突っ込んでくれた。ボケ甲斐がある漢だ。やべっちよりすごいツッコミかも知れない。
「漢ってなによぉ、ばかっ!」
また口に出してしまった。
「冗談だ。……で、お前の支給品は何なんだ?」
七瀬は慌ててバックを引き寄せると、
「ま、まだ見てないっ」
と、慌ただしくバックを開けた。
「……なんだ、それ」
浩平はそれを見た瞬間、思わず爆笑するところだった。
銀色。金属。やけに重そうな質感。
というか、浩平は爆笑してしまった。
「タライ……?」
七瀬は眉を顰めた。タライ、と、もう一度呟いた。
「わははははははははははははは」
「わ、笑うな折原っ!」
「わははははははははははははは」
「くっ」
「わははははははははははははは」
「や、やめて、折原っ……あたしがみじめになってくるっ」
「わははははははははははははは」
笑い疲れて、七瀬が悔し涙まで見せてから漸く浩平の笑いは止んだ。
「そ、そんなに笑わなくても……」
半泣きで七瀬は呟いた。
「わ、悪かった、悪かったってわはははは」
七瀬は本当に泣き出しそうである。いや、間抜けな支給品である。笑ってもいいじゃないか。
これで銃弾を避けろとでも云うのか?
ふと浩平は思いついて、タライを手に取った。
半泣きの七瀬は、怪訝な顔をして、突然真剣な顔をした浩平の顔を覗き込んだ。
「よくやった、七瀬っ」
「え?」
「ほら、水場が近いだろ」
「ああ! ラッキーじゃんっ」
「オレ、ちょいと水汲んでくるわ」
と、タライを手に浩平は駆けだした。
綺麗な水だった。多分飲めるだろう。身体を拭いたりも出来るだろうし、
消毒したり、洗濯したり、他にも色々用途は考えられる。
支給された水だけで乗り切れるかは判らないから、水場を覚えておけばこれは結構有効だ。
静かな流れの川に足をさらしてみた。気持ちいい冷たさだ。
顔をじゃばじゃばと音を立てて洗って、ごくりと水を飲む。
支給されたものよりずっと冷たく、美味しい水だった。
しばらくこの辺で行動するのも良いかも知れないな。
タライいっぱいに水を入れて、浩平が立ち上がった時。
ガァンッ!
川の真ん中で、水が激しい音を立てて撥ねた。
……誰かが対岸にいるっ!
浩平は腰の銃を手に取ると、弾丸が来た方向に、パァン! と引き金を引いた。
もう一度水が撥ねる音がした。何だ、銃くらい使えるじゃないか。
呼応するように、また何度か水面が撥ねた。
襲撃者の姿は確認できないが、近くにいる事くらい判る。
だが、まだ対岸にいる筈なのだからまだ時間は稼げる。
タライの水をざぶりと投げ捨て、浩平は軽くなったタライを持って二人がいる茂みに戻った。
「どうしたの、折原っ」
「瑞佳はまだ起きないか?」
「う、うん、ど、どしたの?」
「敵が来たんだ。……しゃあねえ」
浩平は眠っている長森に近付くと、起きろっ! と耳元で叫んだ。
だが、いっこうに目覚める気配がない。ならば……
むにゅり。むにゅり。
「うわぁ!」
一瞬で目を覚ました。ううむ、なかなか敏感な乳である。
「な、何おっぱい揉んでるのよ、ばかっ!」という七瀬の怒りの声を聞き、
「おっぱい揉んだの、浩平っ」長森は泣きそうである。
というか、乳揉むだけで目覚めるならもっと早く揉んでおけば良かった。
「今はそれどころじゃないっ! 敵が来た、逃げるぞっ!」
ガァンッ! と、もう一度水が撥ねる音が聞こえた。そして、じゃぶじゃぶという音も。
「来る! 早く、荷物持って、走るぞ!」
……ざぶざぶと川を抜けた長身の美丈夫、月島拓也(059番)は、
「仕留め損なったか」と、右手に構えた巨大拳銃――44マグナムを見ながら、
「まあ、いつでも殺せるだろう」と、薄く笑った。
瑠璃子……るりこるりこるりこ。
るりこ。るりこああ、逢いたい。
お前と一緒に帰るためなら全部こわしてやるこわしてやるこわしてやる。