Only One


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 ひとつ、肩を叩かれた。
「……諦めたらそこでゲームオーバーだぞ、青年」
 不敵に口の端をつり上げて、いつものように彼は言う。
 唯一違うのは、彼がレミントンM31RS――ショットガンだ――を脇に抱えていることか。
「……はい。英二さんも……気をつけて」
 返した言葉は、震えていなかっただろうか。
 去りゆく後ろ姿を見送って、藤井冬弥(076番)は緒方英二(012番)とは
 反対方向のブロックへと駆けだした。
 忘れない。森川由綺(097番)が乗せられたトラックの番号は、間違いなく3だった。

 ――――要するに、二人は探す人間の分担を決めることにしたのだ。
 英二は理奈と、弥生。冬弥は由綺。
 出来るならば、はるかや美咲、マナ、彰も助けたかった。
 離れて行動するリスクは高いが、バラバラに彷徨っている彼女たちの
 生存確率を上げるためにはその方が有効だ、と話し合って判断した。
『12時間後、B棟3階3号室で落ち合おう』
 5番ブロックスタート地点近くの住宅街。
 展望台や灯台、山頂ほどには目立たない、5階立てのマンション群。
 ある意味盲点とも言えるそこが、彼らの前線基地となる。

 何時間走ったか、冬弥は覚えていない。
 道中放送が入ったけれど、そんなことは関係なかった。
 妙な力なんて持ち合わせちゃいないし、自分が見も知らない女の子を殺せるはずがない。
 大切なのは、まだ自分の友人たちは生きていると言うことだ。

 ……鬱蒼とした茂みを抜けると、一気に視界が開けた。
 大きなキャンプ場だ。少し離れたところにはテニスコートもみえる。
 その緑に、一瞬はるかを思い出した。
 だが、それが命取りだったのかも知れない。

「ぁ、はは、あはは、あはははははははは!!!!!!!!!!」

 瞳にうつったのは、およそ信じがたい光景。
 だってそうだろ、まさか血塗れで笑う少年が、自分に向かって飛びかかってくるなんて――――

 がつっ、と、鈍い音が響いた。
 苦悶の呻きを短くあげ、バランスを崩した佐藤雅史(042番)は地面へと這いつくばる。
 冬弥の支給武器、伸縮式特殊警棒が、間一髪で雅史の顎を捕らえていた。
(なんだ、なんなんだよ、こいつ―――!)
「あはは、いたいな、もう、しょうがないなあひろゆきは、あははは」
「だ、誰だよひろゆきって……!」
 後ずさる。
「ひろゆきは、ひろ、ゆきじゃ、ないか……はは、あは」
 常軌を逸した目の色に、不可解な言動、千切れた腕。明らかな異常。
 逃げなければ。でなければ――殺される。
 身を翻し、冬弥は元来た山岳の方向へと走った。
 無我夢中で、振り切ることだけを考えて、ひたすらにジグザグに曲がる。
 ひとつ、もうひとつ、またひとつ。
 足が自分のものじゃあないみたいだ。だけど動かなければ。動かさなければ。

「遅いよ、ひろゆきぃ」

 ぞっとする声と共に、ごきり、と。
 関節が外れたようないやな音が耳に届くと同時に、冬弥は大木に叩きつけられた。
 いや、違う。むしろ――蹴り飛ばされた。

(嘘だろ、こんなに簡単に吹っ飛ぶ、わけ……)
「やだなひろゆきあかりちゃんをさがしてたの?
 でもだめだよあかりちゃんはぼくのものになったんだきもちよかったよ
 いっぱいないてたからきつかったよすごくかわいかったすごくすごく」
 ……わからない。何のことなのか、意味がわからない。
 がっ、がっ、と、続けざまに容赦のない蹴りが浴びせられる。
 例えるなら鉄球で全身を殴られているような。
 まるでボールを足で弄ぶような、だけどそんなものとは比にならないこの痛み。
「かなしかったんだよ、ひろゆきはなんでもぼくのものをとるんだ、
 わかる?おぼえてる?あかりちゃんもしほもみんなみんなみんなひろゆきが」
 ばきっ。ばきっ。
 胃液が零れて、上着を汚す。視界はとうにあやふやだ。
 草むらがざわめく音だけが鮮明にきこえる。
 土と血の匂いだけがたしかなものになる。
(あぁもぅ、なに、やってんだ、おれ……)
 苦しい。くるしい。
「――や、――………!」
 何も見えない。ユキ。ゆき。由綺。
 いやだよ。こわい。怖いよ由綺。俺まだ死にたくなんか――――

 とかかかかかか。

 ――――その軽い音と共に、衝撃は途切れた。

 はぁ、はぁ、と。
 乱れた呼吸を整える。
 震える手を下ろす。
 できるだけ静かに、ゆっくり、足を前に動かして、歩く。
 そして。

「冬弥君…だい、じょうぶ…?」

 声を。

「ぁ…ゆ、」
 最後まで言えずにげほげほ、と咳き込むその姿を見て、
 私は横たわる死体にもかまわず駆け寄った。
「大丈夫、息できる…?」
「なん、とか」
 苦しそうだった。背中をさすって、手を貸して立ち上がるのを手伝う。

 ……目を見開いたまま息絶えた男の子と目があったのは、忘れようと思った。

「ごめん…ひどいもの、見せた」
「ううん、冬弥君のせいじゃないよ」
 撃ったのは、私だから。
 手の中のニードルガン。
 高速で針を撃ち出すそれで、私は自分の意志で人を死なせたから。
「本当、ごめん」
 何度も何度も、冬弥君は謝る。
 そんな彼を見て、優しい人だと今さらながらに思う。

 私たちは道を戻り、キャンプ場の外れにあったログハウスで
 おぼつかないながらも何とか冬弥君の応急処置をした。
 幸い、骨までは折れていなかった……はずだ。

「私もね…ずっと冬弥君のこと、探してた。
 美咲さんは私より前に出ちゃったから追いつけなくて、
 マナちゃんは、出口で待っててくれたんだけど……」

 思い出すのもつらかった。
 3ブロック出発地点の建物の周りを囲む、広い林の中で。
 男の人が女の子を撃ち殺す現場を。
 そしてその男の人が、別の三つ編みの女の子に殺されるところを。
 二人ともが目の当たりにしてしまったのだ。

 「見つからなかっただけ、よかったと思う。
 だけどマナちゃんは怯え切っちゃって、もう誰ともいたくないのって、
 私を突き飛ばして一人で」
「……いいよ、言わなくて」

 ああ、こんな時も、彼の声は魔法みたいに。

「マナちゃんもはるかも彰も美咲さんも、見つける。
 必ず英二さんが理奈ちゃんと弥生さんも連れてきてくれるから」

 みんな一緒に生きて帰れるなんて、そんな気休めでもいい。
 柔らかすぎる嘘でもいい。

「大丈夫、だから」

 ぎゅっと慰めるように抱き寄せられて、涙が出そうになった。
 だけど泣かない。
 前と同じに弱いままじゃ、冬弥君の足手まといになる。
 護られるだけの彼女になんか、なりたくない。

「でも、冬弥君が死ななくて、本当に良かった」

 あと少し遅ければ。この腕の温かさも、感じることが出来なかったなんて。
 その恐怖に比べたらずっとましだ。

 ……こらえるように、目を閉じた。

 降ってきたのは、彼のキスだった。

042佐藤雅史 死亡【残り86人】

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