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「はッ……はッ……はぁッ……!」
 観月マナ(088)は森の中を一人、ひた走っていた。
 『あの光景』を見た瞬間、マナの中で機能していた理性の箍は外れてしまった。
 代わりに湧き上がってきたのは恐怖。どうしようもない恐怖だった。
 気がついた時には、せっかく出会えた従姉を突き飛ばし、どこともわからない場所を全力で駆けていた。
(なんで……なんで人殺してるのよ! バカじゃないの……!?)
 足がズキズキと痛む。が、彼女の意思で歩を止めることはできなかった。
 周囲は薄暗く、道も悪い。鋭く硬い下草や枯れ枝が、マナの腕や足を傷つけていた。
「キャッ!」
 落ち葉に隠れるように張っていた太い根につまづき、マナは派手に転倒した。
「痛……いたい……よぉ……」
 緊張の糸が切れてしまったのだろうか。涙が後から後から溢れてきた。
 擦り傷や切り傷で身体中が痛かったし、何より精神的なショックが大きすぎた。
(あの女の人……なんだって人なんか殺せるのよ……他の人もみんなそうなの?
 わかんない……私も人を殺すの? 殺せるの……? お姉ちゃん……藤井さん)
 パキッと、どこかで枝を踏む音がした。
 胎児のような姿勢で、木にもたれかかって座り込んでいたマナははっと顔を上げる。
「誰!? 誰かいるの!?」
 その言葉に答えるものはいなかった。
 どころか、サクサクと足音は徐々に近づいてくる。
「き……来たら」
 一瞬言葉に詰まったが、すぐに続ける。
「来たら殺すわよ! わ、私のレーザーで焼き殺してやるんだから……!」
「そうか。……よっと」
 邪魔な枝を手で払いながら、足音の主が姿を現した。

 暗い森の中では場違いに感じられる、白。それは白衣に身を包んだ長髪の女――霧島聖(032)だった。
「来ないで! 殺すって言ったでしょ!?」
「ありもしない武器でそう簡単に人は殺せない」
「え……」
 ジャカッ!
 聖が大きく腕を振ると、握り締めた指の間に一本ずつ、計四本のメスが現れた。
「ひっ!」
「私は医者だ。しかも腕のいい医者だ。患者の嘘くらい見抜けないようではな」
 聖は目を細めて笑うと、マナの方に一歩踏み出した。
「こ、来ない――」
 ガカカカッ!
 聖の放ったメスはマナの頭を紙一重で外し、正確に頭部を固定する形で後ろの木に刺さった。
「……ッ!」
「診察中は黙って医者の言う通りにするものだ。動くと可愛い顔に傷がつくぞ」
「え……」
 問い掛けるようなマナの視線には応えず、聖は目の前で膝をついた。
「おーおー、随分と傷を作ったじゃないか。染みるぞ、これは」
 抵抗できないマナから靴と靴下を脱がせ、白衣のポケットから消毒液を取り出すと、その中身を豪快に腕や足の患部に注ぐ。
「〜〜〜〜!」
「おお、耐えるか。見かけによらず気丈だな、君は」
「あ、当たり前でしょっ……! 動いたらメスで切れちゃうじゃない……!」
「おっと、すっかり忘れていた。それは気の毒なことを」
 聖は悪びれずに言うと、刺さったメスを引っこ抜いた。
 それをポケットに突っ込むと、出した手には今度は救急バンドの箱が握られていた。
(あのポケット、一体どれだけものが入ってるのよ……)
 激痛に耐えながら、マナはずっとそれが気になっていた。

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