不実


[Return Index]

夜が空を覆う。
木々にさえぎられて月も見えないところ。
一人ぽつんとたたずむ影。
柏木千鶴(020)は悩んでいた。
いやな男……、それがもっともふさわしい呼称だったあの男。
確か、高槻と言った。
高槻が持ちかけてきた提案は、私を揺らがせるのに十分な内容だった。

「こちら側に回って、平和ボケしている連中を一緒に殺しませんか?」

誰がそんなことを!
もちろん私はそんなことはできない、そう言った。
だが、高槻の話には続きがあった。
あの男の態度は、口調こそ慇懃だったが、
あからさまな私たちに対する卑下が伺って取れた。

「鬼の血というやつですねぇ〜。ええ、調べさせてもらいましたよ。
 ニンゲンの命を欲し、それを達成するための力を備えている。
 狩猟者でしたっけ? いやー、非常にぴったりだ〜。
 そんなのが動いてると思うとぞくぞくしますよ。
 それでですねぇ〜、やっていただけるんでしたら、せめてあなたの縁者の
 方々だけでも命を救って差し上げましょう」

助かる……。
なんという魅力的な取引だろう。
しかしそのために私は……。

「あ、そうそう。勘違いしてもらっちゃ困るんですがねぇ。
 別にあなたの鬼の力事態に期待してるんじゃないですよぉ?
 むしろその性質のほうですねぇ私が期待してるのは。
 ……なぜって?
 あなたたちの力は島の中では制限されるんですよ。
 武器を持った人間を相手にしたら十分脅威でしょう。
 でもそういう役の人間がいないとゲームが盛り上がりませんからねぇ、
 われわれのささやかな演出ですよ」

私が……手を汚せばいいの?

「まあ、ありていに言えばそういうことです。
 姉妹思いのあなたのことです、
 まさか断るなんてありませんよねぇ?」

にたっと笑う高槻。
この男……本当の下衆ね……。

「もちろんあなただけじゃないですよぉ?
 百人もいるんですからねぇ、それなりの人数をそろえさせてもらっています」

そんなこと……そうハイハイと返事できるわけ無いじゃない……。

「おや、思ったより博愛主義者だ。
 自分の家族より見ず知らずの人間の命のほうが大事だと?」

…………。

「まあいいでしょう。あなたが殺さなくても状況は自然に”死”を
 求めることになるでしょう。まあ結末は一緒になりそうですねぇ。
 ああ、もちろん途中で気が変わってやる気になったというなら
 大歓迎ですよ?
 きっと派手に殺してくれるでしょうからねぇ。
 もちろん、それでもご家族の命は保障しますよ。
 でもまあ、あんまり決断が遅いと誰か亡くなっているかも知れませんがねぇ。
 はっはっはっはっ……」

…………。
最低の男だった。
でもあいつは切れる男なのかもしれない。
同じ鬼の血を引く姉妹の中で、
”私にだけ”声をかけたのだから。
あの男の嗅覚だろうか。
たぶん高槻は分かっていて私に話を持ちかけた。
……私が、躊躇無く人を殺せることに。
あまり思いたくは無いが、まさかえこひいきでもされているのだろうか?
皮肉にも私に支給された武器は私が最も馴染むもの。
何かの金属でできた”爪”だった。

まだ、妹たちや耕一さんの死は放送されていない。
だが柳川は死んだ。
もっとも戦闘にに長けていたはずのあの男でさえ死んだ。
死は、皆に平等にやってくる。
いまなら……、今ならまだ間に合うかもしれない。
今からでも、始めれば……。

ザワザワザワザワザワ……。

急に風が吹いた。
枝がしなり葉がさざめく。
千鶴の意識は一瞬飛んでいた。

「――――え?」
動揺したような声。
それは決して千鶴の放ったものでは無い。
戻った意識、そしてその視界の真ん中に、さっきまでいなかったはずの女性、
高倉みどり(54)が立っていた。
千鶴は黙って彼女を見つめた。
大方、わき道からはみだしてきたんだろう。
そんなに距離が開いていない。
「え、えーとこんばんわ?」
同じ年くらいの女性だと思って安心したのか、彼女は挨拶をしてきた。
千鶴は応えない。
ただまっすぐみどりを見るだけ。
笑うわけでもなく、怒るわけでもなく。
「あのー……」
千鶴が返事をしないことに少しみどりは戸惑っていた。

ほんの刹那の沈黙。そして、

「……こんばんわ」
それを聞いてみどりはほんの少し安堵した。
この人は人殺しじゃない、とでも思ったのか。
そして千鶴はゆっくりと表情を笑顔に変えた。
瞳がかすみ、口元が乾いた、やや危うげな笑みに。

「えっ?」
気付く間もなかった。
その瞬間、一気にみどりに走りよった千鶴は、両手に装備した爪で
彼女を十文字に引き裂いていた。
「そん……な」
みどりは懇願するようにつぶやいた。
そしてまもなくその命は尽きた。

高槻が鬼畜なら……、私も鬼畜ね。

木々の狭間からこぼれる月明かりが、千鶴の両手に装着された爪を照らす。
白銀に光る爪の上で、滴る血は鮮やかな紅に映えていた。

[←Before Page] [Next Page→]