面影
―――月影。
みあげるとそこに、しろいかげのひかり。
面影。
「瑠璃子さん…」
僕の思いは、その一言で、宙に浮かんで、消えた。
「それが…、探している人の名前ですか?」
隣で天野さんが訊ねる。
「はい」
僕は短く答えた。
彼女もそれっきり、何も言わない。
…ぼくも、だれかをころすことになるのだろうか。
そう仮定してみて、僕の思考は停止寸前になった。
さっきは、天野さんにああは答えたが、まだ、心の整理はつかない。
つい、ほんのつい昔までの僕なら、他の選択肢さえ思いつかなかっただろう。
(でも、今の僕の望みは、瑠璃子さんに会うだけで、ただそれだけで)
それだけで、いい。
「手段と目的は」
唐突に天野さんが語りだす。
「…必ずしも、いつもうまい具合に折り合いがつくとは限りません」
「……」
「でも…」
ここで、僕は初めて、天野さんの顔を間近に見ることになった。
少し瑠璃子さんに似た、面影。
「私は信じています。貴方なら、きっと目的を優先してくれるでしょうことを」
「少し、疲れました」
そう言うと、彼女はその華奢な頭を、そっと僕の肩に寄せた。
「わ…」
あまりそういうことに慣れていない僕は、少しうろたえてしまう。
「すこし、お喋りがすぎたんでしょうか」
彼女は、ノドの奥でくくっと笑った。
「ちょっと…あの、天野さん」
「なんでしょう?」
僕に体を預けた姿勢のまま、天野さんは顔だけをこちらに向ける。
「こ…この状況で、寝ちゃうのは、ちょっと都合が悪いと思うんだけど…」
「どうしてですか?」
「僕だってほら…見ず知らずの他人な訳だし」
「大丈夫ですよ」
彼女は眼を閉じた。
「今私たちがいる木の洞というものは、あまり人目につかない場所なんですよ」
「いや、そうじゃなくて…」
「それに、昔、隠れんぼした時、あのこがここに隠れると、私はいつもあのこを探し出せないでいたものです」
「――そういう話じゃなくて、その、僕に裏切られるとか、そういうことは考えないの?」
「考えません」
彼女はきっぱりと答えた。
「そんなこと、別に根拠も何もないよ」
「根拠なら…少しは、あるんです」
彼女の声が少しずつ小さくなっていく。
聞いている僕のほうも眠くなっていくような、そんな声だ。
「…あのこの面影が、少しだけ、あなたの中に見えるんです」
「あの子って、もしかして天野さんが探している人のこと?」
「いえ…、その子とはまた別の子です。また会いたいとは、ずっと前から思ってましたけど」
「では、私は少し仮眠をとります。どこかで、ツインテールの騒がしい女の子が暴れていましたら、起こしてくださいね」
今度は本当に、天野さんは眠ったようだ。
穏やかで規則正しい寝息が、洞の中に響き渡る。
僕は、その寝顔を見て、半ば安心したような心持ちになった。
そして、ふと、何を思ったか、僕はずっと開けていなかったナップザックを開いた。
中のものを乱暴に取り出す。
黒い皮製の手袋と、ピアノ線。
(これで、縊り殺せってことか)
その際、掌が傷つかないようにとの配慮から、手袋があるらしい。
(まったく、これほど不要な思いやりなんて、ないよ)
手袋をつける。
レザーの擦れるぎりぎりと言う音が、そこから奏でられるだろうピアノ線の悲鳴を連想させる。
ピアノ線を手にとる。
そして、
伸ばしたピアノ線を、
また丸めて、取り出しやすいように、胸ポケットにしまった。