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 空気のような存在――
 咄嗟に形容を求められたら、そうとしか言えない人物だった。
「にゃあ、お人形さんみたいな人ですね」
 千紗ちゃんが、悪意無しに言う。
「初めまして、だね」
 その少女は、その瑠璃色の瞳をこちらに向けて微笑んだ。
「月島瑠璃子っていうの」
 唐突な自己紹介に、私は慌てて答えた。
「あ、私は雛山理緒って言います」
「私は塚本千紗と申しますです」
 少女は、静かで乱れの無い空気を漂わせていた。そう、能動的な意志がゼロとでもいうか――
 何か、ロボットのような感触だ。
「理緒ちゃんに、千紗ちゃんだね」
 言葉にも、感情が無い。いや、無いと言うより、見えない。
 私は、何ともいえず嫌な感じがした。
「じゃ、私たち、行くね」
 そう言って、千紗ちゃんの手を引いて、さっさと瑠璃子さんの横を通り過ぎた。
「にゃ、理緒ちゃん?」
 千紗ちゃんが驚いたような声をあげるが、関係ない。
「……理緒ちゃん、殺した」
「!?」
 私は、胸を撃ち抜かれた。なぜ、それを――。
「理緒ちゃん、人を殺したね。心が、返り血で濡れてる」
 そう言って、くすくす笑う。
「にゃ、にゃあ……。理緒ちゃん……?」
 千紗ちゃんが怯えたように、私の手から離れる。
 私は、殺人の事実を千紗ちゃんに伝えていない。恐らく千紗ちゃんは、私が隠していたと
 受け取ったのだろう。怯えた目線が、私を刺す。
「ち、千紗の事も、殺すつもりだったですか……?」
「そ、そんな訳――」
 千紗ちゃんが、一歩ずつ遠ざかっていく。私の視線に耐えかねたのか、そっと瑠璃子さんの方を向いた。
「……!」
 私は、心底ぞっとした。
 瑠璃子さんの目が、恐ろしいほど安らぎに満ちていたからだ。安堵を引きずりだす、母性を超越した
 何かが滲み出ていた。見ているだけで、全てを委ねたくなるほどに。
「にゃ、にゃあ、瑠璃子さん……」
 千紗ちゃんが、すがるような声を出して瑠璃子さんにすり寄る。
「いい子、だね」
 そう言って、千紗ちゃんの頭をなでる。
 私はどうする事もできず、ただ見ていた。が――
「にゃ……!」
 千紗ちゃんが急に悲鳴をあげ、くずおれた。

「千紗ちゃん!?」
「来ない方がいいよ」
 瑠璃子が、冷静な口調で理緒を制した。
 手に握られた、小さなコンパス。その針の先が、わずかに赤く染まっていた。
「遅効性の猛毒だからね。変に刺激したり介抱したりすると、却って死ぬのが早くなっちゃう」
「そ、そのコンパスで刺したの……? 毒を塗って……」
「そうだよ。お薬があるんだけどね」
「早く千紗ちゃんを助けてあげてッ!」
 理緒が、激昂して叫んだ。
「条件、あるけどね。いい?」
 瑠璃子が、くすくす笑った。
「人を、殺して。誰でもいいよ」
「ふざけないでッ!」
「ふざけてなんかないよ」
 理緒は、唇を噛んで怒りに震えた。そして、ふと感情を整えるように息を吐いた。
 少しでも優位に立つように、薄笑いを浮かべて、
「も、もし私が千紗ちゃんを見捨てて、あなたを殺すと言ったらどうする?」
 瑠璃子は、少しも動じなかった。そっと膝をついて、千紗に話しかける。
「千紗ちゃん。理緒ちゃんは、あなたの事を見捨てるって」
 千紗の頭をそっと抱いて、顔を理緒の方へ向ける。
「り、理緒ちゃん……千紗なら構いません。死にたくないけど、理緒ちゃんにそんな事させられませんです。
 私の事なんか放っておいて、に、逃げて下さい……」
「……!」
 理緒の中で、相反する感情が同時に沸騰する。
 健気すぎる千紗。非道きわまりない瑠璃子。両者に対する感情が、猛烈に渦巻いた。
「や、やればいいんでしょ……」
 理緒が、うなだれた姿勢から瑠璃子をにらみつけて呻いた。
「絶対に千紗ちゃんを助けてよ! 殺してくるから!」
 倫理観だとか、そんなものは消えていた。
 千紗の命と引き替えに殺される人間の事など、もはや念頭に無い。
 勢い良く反転し、理緒は猛然と走り出した。
「だ、ダメです……! 理緒ちゃん……」
 そんな声が聞こえたが、理緒は止まらなかった。

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