汝、何を望むか
弥生は喫茶店を後にし、林の中を歩いていた。
――由綺さん、一体何処に……――
結局の所たいした手がかりはつかめていない。
気ばかりが焦っている。
明確な手がかりのないままさまよう以上、あまり目立つ平野は歩き
たくなかった。逆に相手を発見するのも難しいが、何か建物を見つける
まではこのような行動をとるのが得策だろう。
由綺さん達に会うまで、死ぬわけにはいかない。
――しかし、由綺さんの大切な人とは? やはり藤井さんだろうか。
音楽祭の開催と共に終わるはずだった私と藤井さんとの契約。
毎週水曜の密会。それが未だに続いていることが問題だった。。
私は藤井さんをコマとしてみることが出来なくなっていた。
それどころか……。とにかく3人で一所にはあまり居たくは無かった。
しかし、もしもこの島を脱出する方法が本当に最後の1人まで殺し合う
こと以外に無かったとき、私はどうするのだろうか。二人以外の人間
を殺しつくし、その上で自らの命を絶つ? そしてあの二人に殺し合い
をさせるというの? ならば私自身の手でどちらかを殺すのか……。
果たして、どちらを?──
弥生は思索を止めざるを得なくなった。
前方に何かが見えた。
「由綺さん! ……ではありませんね」
林の奥に一瞬だけ見えた長い黒髪、背丈、後ろ姿とはいえ、あまり
に由綺に似たシルエットだったため、弥生は喜びかけてしまった。
しかし記憶を冷静にたどれば、身につけているものが異なっていた。
由綺が誰かの衣服を奪うなどしていなければ、別人ということだ。
錯覚で喜びかけてしまったことに舌打ちしたい気分だったが、弥生
はそんな様子をおくびにも出さず言ってのけた。
「こちらの得物は散弾銃です。妙な動きをしたら躊躇無く撃ちます。
おとなしく手を挙げてでてきてさえいただければ、こちらも撃つ気は
ございません。聞きたいことがあるのです」
弥生は慎重かつ足早に間を詰めながら奥に声を放る。
走り出した様子はない。まだ前方付近に相手はいるはずだった。
間もなく、正面から1人の女が両手を挙げて現れた。
──似てはいるが、やはり由綺さんではない……。しかも……──
白いうすぎぬを身につけた女はひどくはかなげで、由綺の醸し出す
雰囲気とは大きく異なっていた。
弥生は慎重に散弾銃を構えたまま、さらに間合いを詰める。
女はこの状況にも関わらず、おびえた様子を見せていない。
「私は篠塚弥生と申します」
弥生は女の様子をいぶかりつつもつとめて冷静に名乗った。
「質問に答えていただけますね?」
コクリ。女は静かにうなずいた。
──年は自分よりも下だろうか?──
少女と、大人の女との微妙なバランスを今にも消え入りそうな
弱々しい雰囲気がさらに危うさを感じさせる。しかし、女には
おびえがないのだった。
弥生は不思議に思いつつも、現実を優先させた
「伺いたいのは……」
由綺の、そして冬弥の消息を知りたかった。
二人の外見を詳細に話し、出会わなかったかと尋ねる。
「申し訳ありませんが、私……。どなたともお会いしておりません
ので……」
──またしても、迂闊だった。島に来てからの自分はどうかしている。
最初から誰かに会わなかったかを聞けば、時間は省略できたのに──
「その二人を、愛していらっしゃるんですね……」
気ばかりせっている弥生に、女は初めて自分から話しかけた。
「な、なにを。そんな、そんなことは……」
──確かに二人のことを説明する声には力が入っていたかも知れない。
けれども初対面の人間にそれを読まれるなんて──
自分の感情を読みとられ、動揺する弥生に、女は言葉を続けた。
「二つのものを追っては何も手に入れることは出来ません。
ましてや……」
「それ以上は言わないで下さい」
あくまで弥生は冷静なふりをして言った。
「それ以上は言わなくて良い」
その弥生の表情には、しかし、隠しきれぬ動揺が映し出されていた。
滅多に崩れぬ弥生のビスクドールのような容貌は今、脆くも崩れ
去っていた。弥生のそれは、いわゆる人間的な苦悩に塗り固められていた。
「既に私は死んだような身です。どうか、一度に多くの物は望めません。
私と同じ過ちを繰り返さぬよう……」
――一度に多くの物を望む? 私が? 私の望みは由綺さんを必ず
トップアイドルにして差し上げるということ。それが私の至上目的。
だから、由綺さんには必ずこの遊戯に生き延びて貰わなければ。
それさえかなえば利用できるものは何でも利用する。緒方プロの人間を
始め藤井さん……。そう、藤井さんだって。しかし……。でも。
あの方の由綺を思う気持ちは本物だ。自分の身を捨ててでも由綺さんを
守ろうとするに違いない。けれども、彼の存在は諸刃の剣でもある。
彼が由綺さんにしようとすることは、逆に由綺さんが彼にしようと
しかねない……。ならば二人の間はやはり裂くべきなのだろうか。例え、
藤井さんを殺す? 私が? 愛しているのに?──
再びねじ曲がり始めた弥生の思考は止まるところを知らず、
本来整った顔の、その眉間に苦悩のしわを寄せて彼女は何かを
呟き続けていた。
ずっと長い間。
一人で。
一人で?
そう、一人で。
弥生が自我を取り戻したとき、そこに白い女はもういなかった。