狂気の扉
鋏をくるくると回しながら、太田香奈子は明るくなりだした空の下をとぼとぼと歩いていた。
鈍く光る鋏は、所々赤い血に染まっている。時々、それを眺めては香奈子は一人悦に入る。
「殺せた……。わたしは、よわくなんか、ない」
弱くないなら、生き残れる。強いものが生き残るのは当たり前だ。だから、弱くない私は生き残れる。
「死にたいけど、死ねない」
そう無気力にこぼした言葉を、瑠璃子さんは不思議そうに見つめてこう言ってくれた。
「……だったら、殺せばいいんだよ?」
「え?」
「香奈子ちゃんが死ぬのと、他のみんなが死ぬのって……」
そこで言葉を区切ると、ふっと笑う。
「ひとりぼっちになるって意味では一緒だと思うよ。
香奈子ちゃんは、ひとりぼっちになりたい?」
「……」
ちょっと考えた。――そして、瑞穂は、もういないことを思い出して、
ゆっくりと首を縦に振った。
「うん」
「そう。……じゃあ、殺そう?」
「でも、私には人を殺せるだけの力が、無い」
持っている武器といえば赤旗だけだ。これで相手を殴り殺す? 馬鹿らしい。
香奈子の言葉に、くすくすと瑠璃子は笑う。
「じゃあ、自分より弱い人を殺そうよ」
「え?」
「自分より強い人を殺そうとするから殺せないんだよ。
香奈子ちゃん、弱肉強食、って言葉知ってる?」
うん、と香奈子は頷く。
「それと一緒。私たちはそんなに強くないから、強い人に殺される。だったら、
私たちより弱い人を殺していけばいいよね?」
――そうだ。そんな簡単なことに気付かなかったなんて。
「そう、だね」
「ふふ。香奈子ちゃんは賢くて助かるよ。じゃ、私からのプレゼント」
瑠璃子はディパックをごそごそと探ると、中から鈍く光る鋏を取り出した。
「これは?」
受け取りながら、香奈子はちょきちょきと切る真似をする。……切り難い。
どうやら、左利き用の鋏らしい。
「気をつけてね。その鋏、毒が塗ってあるんだ」
「毒?」
ぴたりと、持つ手が止まる。
「そう。傷口に入れば、30分ぐらいで死んでしまうよ」
毒と聞いて躊躇する香奈子に、瑠璃子は大丈夫だよ、という表情で話す。
「でも、私が解毒剤を持ってるから」
それを聞いて、香奈子は安堵する。
「あの……その解毒剤、私に渡してくれない?」
しかし瑠璃子は笑顔のまま、その願いを拒否する。
「ごめんね。他にも毒をつけた武器を渡した人がいるんだ。だから、私が持ってないと」
と、理由をつけて。その言葉に、少々香奈子は落胆するが、それなら仕方ないね、と納得した。
いや、納得させた。弱い自分に武器を与えてくれたんだもの。
――毒は怖いけど、これぐらい、我慢しないと。
「さぁ、行ってらっしゃい。強い人は、生き残れるよ。弱い人を殺してこよう?」
瑠璃子は優しく微笑む。その笑顔に後押しされて、香奈子は獲物を探しに出かけた。
そうだ。よわいやつはしねばいいんだ。――みずほのように。
そうだ。ころしていこう。よわいやつを。わたしが、たのしめるほうほうで。
さぁ、これからどうしようか?
るりこさんのところにもどって、ひとりころしたっておしえてあげようか?
それとも、さっきのおんなをころしにいこうか?
それとも、ほかのえものをさがす?
藍原瑞穂の死をきっかけに、太田香奈子は少しづつ、少しづつ狂い始めていた。
まるで、狂気の扉が音も無く開いていくかのように。
――決めた。
ふふ、と笑って、立ち止まっていた香奈子は再び歩き出す。
そして。――長い夜が明けた。