「霧島」
「――ばかみたい」
泣き続けるマナを冷ややかな目で見つめながら、きよみはつぶやいた。
「数時間前、私にケンカ売ったあなたはどこ行ったのよ。
所詮はチビっ子だったということね。あーあ、ばかみたい」
マナは顔を上げた。
そして気付く。目の前の女の人が、数時間前出会った彼女だということに。
「何があったかなんて訊いてあげないわ。そんな必要もない。
あなた言ったわよね? 『どうしてそんなことで殺さなきゃいけないの?』って?
私も同じよ。なんであなたに泣きつかれて殺さなきゃいけないの。
どうせ今のあなたなんかのたれ死にがオチね。
どっかのキチガイに勝手に殺されるなり、好きにしなさい。
自分の命を奪うも他人の命を奪うも同じことよ。
それがわからないなんて、やっぱりあなたはチビっ子ね」
どこまでも冷たく言い放ち、再び歩き出そうとする。
「うわっ、毒舌だよぉ」
二人の間に立ち、おろおろする佳乃。
「……霧島先生……どうすればいいのよぉ……」
涙混じりの声で呟く。
返事は期待していなかった……が、その返事は返ってきた。
「え、お姉ちゃん?」
佳乃が驚いたような声を上げる。
その反応に今度はマナが驚き、気付けばきよみも立ち止まり、ことの成りゆきを眺めていた。
「霧島……聖先生を……?」
マナが問いかける。
「うん。お姉ちゃんは凄いんだよぉ。なんでも治せるお医者さんなんだぁ。
なんと、トラクターも治しちゃうんだよぉ。
私、お姉ちゃん、大好きなんだぁ」
マナは、偶然というものに驚き、感謝した。
だが、直後に沸き上がる疑問。
「あなた……お姉さんが死んだのに……悲しくないの?」
「……え?」
佳乃の時間が、止まった。
「放送、聞いてなかった?
霧島先生は私の前で……私は足手纏いにしかならなかった」
今でも鮮明に思い出せる。
血に染まった聖、その声、言葉。
早く逃げろと、マナを思って、最後までそればっかりだった。
そして口には出さなかったが、妹のことも最後まで思っていたはずだった。
その妹が、今、ここにいる。
「嘘だよぉ……。
お姉ちゃんが、死ぬわけないよぉ。
だって、お姉ちゃんだよ?
お姉ちゃんは、なんでも出来て、それで……それで……」
佳乃の笑い声が、次第に悲しみに彩られていく。
「現実よ……。
先生、きっと最後まであなたのこと気にしてた。
会いたがってたから、連れて行ってあげる。
いい?」
動揺している佳乃に向かい、言った。
「嘘だよ……お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……。
そうだ!」
佳乃は自分の手首に巻かれていたバンダナを外す。
それは聖の施した枷であった。
それが、聖の死によって、解かれてしまった。
「これを外せば、魔法が使えるんだよぉ。
お姉ちゃんが言ったんだ、お姉ちゃんとお母さんに、帰ってきてもらうんだぁ……」
わかっていた。
そんなものは、存在しないということを。
ずっと昔から、わかっていた。
叶わない願いだということを、もう知っていたのだ。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
佳乃は突然叫び声を上げ、傍に立っていたきよみの持っていたものに手を延ばした。
「!?」
ふいをつかれたきよみは、その手にあった物を奪われる。
それは――メスだ。
マナが持ち、きよみに持たせ。
大元は……霧島聖のもの。
「お姉ちゃん……っ!」
佳乃はそのまま自分の手首を切り裂こうとした。
カチャン……という音が響く。
メスが、地面に落ちた音。
きよみが寸前で、佳乃の持つメスを蹴り飛ばした。
「いい加減にしなさいよ、あんた達……」
気付けば、きよみは震えていた。
「あんたらにとっては大切な人なんでしょうね!?
そんなの、今はいなくなった人間に甘えてるだけじゃないの!!」
マナと佳乃は、ただ呆然と、叫ぶきよみを見つめていた。
「で、その人が最後に『生きて欲しい』と願っても、あんた達はそうやって死を選ぶわけね!!
大切な人とやらが最後に残した願いごとも、全部無駄にしちゃうんだ!!」
止まらない。言葉が止まらない。
ただ、自分勝手な彼女らが、許せなかった。
綺麗事ばかり唱えて、それでも結局は自分勝手な彼女達を、嫌悪していた。
「その人に同情するわ!!
大切に守っていきたかった人達が、よりにもよって自分の死なんかで死を選んじゃって。
最後の願いすら叶わなかったわけ!!」
こんなに、こんなに自分の感情をぶちまけたことが、今まであっただろうか。
思い出せなかった――
「……あなたに、何がわかるのよっ!?」
呆然ときよみの言葉を聞いていたマナが、叫ぶ。
「こんな不条理なところで、大好きな人が殺されて!
大好きな人が変わっちゃって!
支えになってくれた人もいなくなって!
あなたに何がわかるのよっ!
弱くなることも許されないのっ!? 私にはっ!?」
マナは泣き叫んだ。
悔しかった。目の前の女が言ってることは、全部正しくて、事実だった。
「そんなの知らないし、関係ないわっ!!
だから、死にたいなら、死になさい。
先生とやらに謝りながら、後悔しながら死になさい、チビっ子!
私は例え自分の存在がぐらつくことがあっても、強く生きるわ。
あなたのような弱者を笑いながら、ね!」
きよみの言葉の一つ一つが、マナの心をえぐる。
もうこれ以上、聞いているのが辛かった。
まだ持っていたメスに手をのばす。
――先生。弱くて……ごめんなさい……――
ふと、誰かが手を掴んだ。
「……妹さん?」
佳乃は、ただ俯き、首をふっていた。
それでも、マナの手を離そうとはしなかった。
「あなたは、その子よりも弱いのよ。
肉親を失った子でも、生きようと決めたのね。
それでもあなたは、死ぬの?」
静かに、静かに、空気が流れる。
聞こえるのは、佳乃の泣き声。
とても痛々しく、それでも、生きることを決めた。
わずかに許された、弱さの声だった。