蒼天の雨
一歩。また一歩。前へ進む。――その足取りは重い。
だが、深山雪見はそれでも歩みを止めない。
鈍痛に、歯を食いしばって耐えながら、彼女は歩き続けた。
――後、一人なら。
雪見は、考えていた。
――後、一人なら殺せる。例え、道連れになろうとも。
だから、次が当たりになるように。そう願いながら、雪見は前へ進む。
「そんな怪我で、どこへ行くんだ?」
男の声が、した。雪見は立ち止まり、荒れた呼吸を整えて答えた。
「……人を、探しているの」
「……どんな奴だ?」
「黒髪で、おしとやかそうな女の子。そして、大きなリボンをつけた小さくてかわいい子。
この二人を殺した奴を探してるの。……知らない?」
「知らない」
男は、あっさりと答える。そこに、動揺は見られなかった。
「そう。じゃあ、用はないわ。さっさと消えて」
また、違った。雪見は落胆の色を隠せない。またこの島を探しまわる羽目になるのか。
「こっちも、ひとつ聞いていいか?」
「さっさと消えて、と言ったでしょう」
雪見は銃を構えると、ニ、三度引き鉄を引く。
「ちっ!」
素早く転がって、弾を避ける男。
「おい! あんたは今みたいに、人を殺してきたのか!?」
「……関係ないでしょ。私は、二人を殺した奴を殺さないといけないの。邪魔をしないで」
「……そうはいかない」
銃声が響く。
次の瞬間、雪見は腹部が燃えるように熱くなって――そしてその場に倒れた。
「無秩序に人を襲うような奴を、放っておくわけにはいかない」
国崎往人はそう言うと、構えた銃を下ろした。
「くぅ……」
まだ……まだ、大丈夫。もうだめだと思ったけど。まだ、大丈夫。
行かないと。探さないと。二人を殺した奴を殺しに行かないと。
足掻く雪見に、往人はゆっくりと歩み寄る。
「……もし苦しいんだったら、楽にしてやろうか?」
銃口を雪見の額に突き付け、無表情で往人は言った。
だが、その申し出に雪見は首を振る。
「……良い。……みさきも、澪ちゃんも、きっと楽には死ねてないから」
「だから、自分も痛みを甘んじて受け入れる、ってのか」
雪見は力無く頷く。往人は銃をしまい込むと、雪見の傍に腰を下ろしこう言った。
「変なとこで強情なんだな、あんた」
「……そうかもね」
ひゅうひゅう、と雪見の弱々しい呼吸が聞こえる。
往人は何をするでなく、じっとその様子を眺めていた。
「……ねぇ。何で行かないの?」
「もう少し、ここにいることにする」
「……自分で撃っておいて、助けてくれるっていうの、私を?」
「いや」
雪見の問い掛けに、往人は静かに首を振る。
「悪いが、俺に医学の知識は無い。知り合いに凄腕の医者はいたんだがな」
『いた』と言う表現。
――もしかしたら、自分が手にかけた者の中にその人がいたのかもしれない。
そんなことを、今更ながら思った。
「それに、あんたがまた起き出して人を殺すと困る」
「……だったら、止めを刺せば良いじゃない」
往人は表情を変えずに、その問いにこう答えた。
「あんたに止めを刺して良いか聞いたら、断ったからな」
雪見は、ふっと唇の端を歪めて微笑んだ。
「あなたも、変なところで律義ね」
「そうかもな」
相変わらず、雪見の呼吸は荒い。
「……ねぇ。お願いがあるの」
「なんだ」
努めてぶっきらぼうに、往人は聞き返す。
「私、夕焼けを見たいの。友達が好きだった夕焼けを。でも……さっきから眠くて。
お願い、何か話して気を紛らわして……くれないかしら」
「……悪いが、話は苦手だ」
しばし考えて、ぽりぽりと頭を掻く往人。
「そっか。じゃあ、一人でどこまで起きられるか頑張ってみようかな……」
「代わりに、こんなのはどうだ?」
往人はズボンのポケットから何やら取り出すと、雪見の前にそれを置く。
「……何?」
そしてこほん、と往人は一つ咳払いをし、前口上を述べた。
「――さぁ、楽しい人形劇の始まりだ」
とてとて……ぱたん。
能力を制限された、往人の人形劇。
それは、いつものような華やかさは影を潜め、ただ起きあがって、歩いて、転ぶだけの。
――そんな、滑稽な代物だった。
「……つまんない」
雪見のその感想に、往人は少々落胆するが、その通りだと頷く。
「俺もそう思う。普段なら、もっと派手に動かせるんだがな」
「そうじゃなくて……」
雪見はじっと人形を見つめ――涙を流しながら言った。
「みさきと澪ちゃんを殺した奴を探して……誰か見つけて、殺して……そして傷つく。
……ほら、私みたいじゃない……。私、つまんなかったんだね……」
とてとて……とん。
「そうかもな」
と、往人は雪見の元へ人形を歩かせるとそのまま起立の格好で立ち止まらせる。
「でも、せめて自分だけは正しかったと思ってやれ。
俺も、殺人を正当化する気はないが、自分のやってることは間違っていないと信じてる」
「……うん。そうする……」
「よし」
ふ……くるくる……とんっ……とととと、ぱたん。
その答えに、往人は人形をふわりと宙に舞わせてくるくると回し、
見事に着地を決めようとして――転ぶ。
「ふふ……すごいね」
「特別サービスだ。……本当は、上手く着地を決めるはずだったんだがな」
「ありがとう。……今の、澪ちゃんに、見せたかったな……」
雪見が、微笑う。だが、その瞳の光は鈍くなっていった。
「ねぇ……夕焼けまでは、まだ、時間があるかな?」
「残念ながら、まだだな」
「……そっか」
――空は、まだ蒼く。
「ねぇ……お願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「みさきと澪ちゃん……この二人を殺した奴を、殺してくれないかな……?」
「……考えておく」
「……ありがと」
――それは、嘘だとわかっているけど。
「ねぇ……」
「……」
――それでも、よかった。
往人は、人形を仕舞うと立ち上がる。
――空虚な心に人の想いを抱えるのは、やはりつらい。
そう思いながら、往人は涙をそっとぬぐった。
矛盾した行動。
人が死なないようにするために、人を殺す。
自分で殺して、その死を悲しむ。
狂っているこの島で。
――果たして、俺は最後まで正しい行動を取っていると信じ続けられるだろうか?
――蒼天に降る雨の上がりは余韻を残さぬほどに早く。そして、悲しみを帯びていた。
096 深山雪見 死亡
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