流れる涙をそのままに
「千鶴姉!」
びく、と振るえる千鶴。
怯えを含んだ悲しい瞳は、梓の視線を避けるように下を向いている。
ある意味、梓と千鶴は姉妹の中でも最も親しい。
もちろん生まれたはやさに由来する共に生活した日々の長さもあるのだが、
気性の凹凸がうまく合っているのか喧嘩もすれば助け合いもするという、互い
に腹蔵なくものを言える間柄なのだ。
しかし。
鬼の記憶に衝かれた初音に撃たれ、楓に切られ。
半ば心の拠り所をなくした千鶴は梓にかける言葉が無かったのだ。
「千鶴姉!!」
再び梓は叫ぶ。
叱られた子供のように、千鶴は涙を溜めて血塗れの面を上げる。
漸く口にした言葉には、ほとんど意味は無く。
「あず…さ…」
よろめくように、一歩下がる。
「ごめんなさい、あずさ…わたし、また…ごめんなさい…」
また一歩下がる。
「初音が、楓が…!」
踵を返して跳躍せんとする。
「千鶴姉!!!」
三度、叫ぶ。
「わかんないよ!ちゃんと聞かせてよ!
いつもいつもいつもいつも独りでなんとかしようとして!
失敗して、傷ついて、悲しんで!
そのくせ家では笑ってて、なんかあっても全然教えてくれなくて!」
梓の激昂に、千鶴が、あゆが、目を瞠る。
「梓…」
二人の視線が合う。
「ううん、この島に放たれたときから、わかってたよ…
きっと千鶴姉は手を汚してでも、みんなを助けようとするんだろうなって、
思ってたよ…
だから、聞かせてよ。ね?」
二人とも泣いていた。
「お腹、空いてない?
おにぎり、あるよ?
一緒に、食べよ?」
慌てて包みを開く。海苔の香りが広がる。
柏木家の食事はいつも梓が作っていた。
今では遠い平和な日常の香りが、たまらなく-----悲しく、嬉しかった。
「服もボロボロじゃんか、あたし二着あるし!
着替えなきゃ、ね?」
あゆごと抱きしめるように服を示し畳み掛けるように言葉を重ねる。
「だから、だから、行っちゃだめだよ!」
流れる涙をそのままに。
ゆっくりと目を閉じて。
千鶴は小さく口を開く。
「だめよ、梓…」
梓がびくりと震える。
「ちづ…!」
「手を洗わないと、ね?」
にっこりと笑ったその顔は、日常の千鶴のそれだった。
流れる涙をそのままに。
こころの鬼は、祓われた。
-----食後。
「それでさ、千鶴姉」
いまだもぐもぐと、おにぎりと格闘するあゆをよそに梓が話しかける。
服なんだけど、と二着-----スクールタイプとアイドルタイプの服-----を
並べて置く。
そのデザインにちょっと、いや相当げんなりする千鶴であったが、比較的
ましと思われるスクールタイプに着替える。
なかなか似合う。
子供の耕一が惚れるのも判ろうものだ。
「この歳でスクールタイプもなんだけど…これって…」
千鶴はアイドルタイプを手に取り立ち上がる。
-----大きい。
そこそこ長身の千鶴が肩の高さに持っても、余裕で引き摺っている。
3人目を合わせ、同時に首をかしげる。
「こんなの、誰が着れるっていうのかしら?」
「はっくしょん!
ぬおおー、なんか悪寒がしたあー」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
たぶん、大丈夫じゃない。
【梓のおにぎり5個から2個へ】
【千鶴着替え(スクールタイプ)】