誰が為に君は泣く
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
どこまで走ったんだろう。
もう、そんなことも考えなくなってしまった。
ただ黒い想念で心がいっぱいになっていること、
それだけははっきり頭で分かっていたと思う。
「兄さん……、冬弥くん……、由綺……」
信じていた人は、もう、皆いなくなってしまった。
私は……、どこまでいっても一人で……。
森を抜けて、歩道を走って、もう結構な距離を経ていた。
足が痛む。
もしかしたら、気付かないうちにひねっていたのかもしれない。
でも、立ち止まったら泣き出してしまいそうで……。
そうなったら、もう私はただの女の子なだけ。
きっと立ち上がれない。
兄さんの……、敵をとれない。
だから、痛む足をこらえて、ずっと走っていた。
胸が苦しい。
気持ちはまだ走りたがっている。
でも、私の体力じゃもう走れない。
仕方なく立ち止まる。
そこは、見たことも無い場所だった。
「……ああ」
うめき声をあげる。
体の苦しさに耐えかねたのでも、どこかを痛めてたのでもない。
私の周りは、惨状だった。
焼け焦げた地面。
吹き飛んだ歩道。
黒ずんだ何かの塊。
視界に入ったものはそんなものだった。
嫌ぁ。
何で?
何でこんなもの見せるの?
生々しい肉片や血痕が残っているわけでもない。
だが、そこの状況は恐いくらいのシュールさで私に何か訴えてくる。
コレが、殺し合いということ。
この島のすべてが、つまりはこういうこと。
憎しみも、恐怖も、何もかもが暴走し始めてる――。
「……うえっ」
込みあがってくる吐き気。
耐えられないはずの何かが、もう限界を超えて沈殿している。
私はその場にうずくまった。
苦しい。
昨日は結局何も食べていなかったから、胃の中は空っぽだった。
痛い。
痛い。
黄色い胃液が、何度も私の喉からこぼれた。
「……うっ、うっ、うっ」
肺が引きつる。
何も考えられない。
頭が真っ白になりそうだ。
次第にふらふらになる意識の淵で、一筋、何か輝くものがあった。
私は、もうずいぶんボロボロになってしまった体を引きずって、
それを確かめにいった。
「……これ……は……」
やけに重そうで、それですごく乱暴な印象を受ける……ナイフ。
私はそれを拾い上げた。
見た目どおりに、いやそれ以上にそのナイフは重かった。
「……神様なんてものがいるんだとしたら、感謝しなくちゃいけないのかな……」
とうとう私に力が手に入った。
マイクなんかじゃ、人を殺すことが出来ない。
あれは歌を歌うためのものだ。
そして私には歌しかなかった。
歌うことは私を昂揚させ、時には見知らぬ誰かの事を癒すこともあっただろう。
でもそれじゃダメだった。
奪うための力が、傷つけるための力が必要だった。
嬉しかった。
私は両手でそのナイフを抱えた。
これで、あの女を殺せる。
大好きな兄を殺した、あの女を。
私は、再び歩き出した。
頬から流れ落ちる雫。
それは随喜の涙でも絶望のそれでもない。
だけど、その涙は頑として止まろうとしてくれなかった。