いつも笑顔で


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水瀬秋子は痛めた右手にシップを張ると、少しくるくると手首を回してみた。
「…特に問題はなさそうね。」
捻挫というほどではない。もう少し時間がたてば気にもならなくなるだろう。
郁未と一戦交えた後、秋子は気絶した名雪の治療と武器の調達ののために森沿いの一軒家に忍び込んでいた。
名雪の治療はすでに完了している。
怪我はそれほどたいしたものではなかった。
頭部への強い打撃は後になって症状が見られることもあるが、少なくとも今は問題のないように見える。
現に名雪はもう目を覚ましている。
目を覚まして、ずっとしゃべりつづけていた。
「聞いて聞いてみんなひどいんだよ、みんなみんな私のこと傷つけるんだよ、
 私祐一守ったのに真琴から祐一守ったのに祐一私を守ってくれなくて、
 だから自分で自分の事守ろうと思って、
 琴音ちゃんも私のこと傷つけるつもりだったから私琴音ちゃん刺したんだ、えらいでしょお母さん、
 繭ちゃんだってそう、私がんばったよ、がんばったのに頭痛い頭痛い、
 祐一だよ祐一のせいだよ祐一が逃げるからいけないんだよ、
 何で逃げるの祐一、あゆちゃんだねあゆちゃんのせいだね、あんな子のどこがいいの、
 許せないよあゆちゃん許せないよお仕置きしてよ、
 もういや、みんなみんな大嫌い、みんなにお仕置きしてよ、ねぇ、お母さん…」
ずっとしゃべっていた。
そんな様子を見て秋子は理解しなくてはならなかった。
自分の娘が壊れてしまったということに。

しゃべりつづける名雪の顔は醜くて、先ほどの郁未のように醜くて、
にっこりと笑う名雪の笑顔が秋子の密かな自慢だったのに。
(あなたのお子さんもきれいな子でしたね、未夜子さん。)
未夜子と、先ほど自分が殺した人と、自分の娘のことで会話に花を咲かせたらどんなにいいだろうと、秋子は不意に思った。
こんな時、こんな所じゃなくて、そう大安売りのスーパーで並んでカートを転がしながら、
「まぁ、奥さんのお子さんも陸上部なんですか?」
「あら、じゃああなたのお子さんも?」
「ええ、名雪も一応部長なんですけど、あんなお寝坊さんで勤まっているのかしら…」
「まぁ、立派じゃないですか。うちの郁未も成績はいいようだけど、もう少し愛想ってものがないとねぇ。」
「うちのは少しのんびりしすぎてますわ。あれでも陸上選手なんて信じられませんよ。」
なんて、そんな会話ができたらどんなにいいだろう。
そうして、秋子はこっそりと思うのだ。
でも、どんなお子さんでも名雪の笑顔には敵わないわ、と。
(たいした親ばかね)秋子は胸中で自虐的に呟くと、なおもしゃべりつづける名雪のほうを向いた。
「名雪、もっとかわいくしなくちゃ祐一さんに嫌われてしまうわよ?
 ほら、笑って、ね?」
名雪は一瞬ぽかん、と顔をして、そうしてにっこりと笑った。
「うん、そうだね、お母さん。」
その顔が、とてもきれいだと、秋子は思った。
名雪には、いつもこんな顔を、してほしかった。
だから、秋子はこういった。
「名雪、一つだけ約束して。いつもそうやって笑顔でいて。
 名雪がいつでも笑っているなら、お母さん名雪のためになんでもするから。」
「ほんと!」名雪は弾んだ声を出す。「ほんとだね、お母さん!」
「ええ、約束よ。」
「うん、約束だね。」
(母親というのは本当に馬鹿な生き物ね)
それもいいでしょうと、秋子は思った。
秋子だって、名雪を見捨てた祐一が、名雪を傷つけた郁未が、名雪を壊したこの島の人達が憎かった。
でも、そんなことも、もうどうだってよく。
このまま名雪と共に壊れていくのもいいだろうと、
「えへへへ、じゃあまずあゆちゃんをね…」
嬉しそうにしゃべる名雪を見ながら、秋子はそう思った。

【水瀬秋子、名雪 怪我の治療、民家から武器(次の書き手に委任)を獲得】

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