形而下の戦い〜背走〜


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体が重い……。
本当に油断だった。
ただの女の子だと思ってかかった私の失策だった。

――篠塚弥生は、傷ついた体を引きずって、森の奥へと逃げ込んでいた。

食料も尽きかけ、武器も無くし、あまつさえ余計な手傷を負った。
「こんなところで、立ち止まっている暇は、無いというのに……」
だが、私はまだ生きている。ほぼ、五体満足に動くことは出来る。
今の環境でその状態を保持できたことは、正に千金に値するだろう。

「なによ、それじゃあアタシと同じじゃない」

リフレインする言葉。あの少女――確か、七瀬とか呼ばれていたか――の
言った言葉だ。
同じ……。そう、確かに同じだ。
誰かを守るために闘う。守るために傷つける。守るために――殺す。
そんな人間は、私ぐらいのものだと思っていた。
だが……。

「アタシは二度と、遭いたくないわ」

――同じ目的で戦う人間がいるのなら、私はそれを打ち砕かなくてはならない。
それが、私の戦いなのだから。

ザ……ザ……ザ……ザ……。
どうしても音が立ってしまう。
この体では足音を絶つのも楽ではない。
そのおかげで、危うくいらない苦労を負うところだった。
黒い少年――。
丁度すれ違う瞬間だった。
無造作に歩いていた私の足音に彼は”気付いた”。
あの場を凌ぐことができたというのは本当に運が良かった、としか言いようが無い。
あの少年に見つかるな、
あの少年にかかわるな。
狩る側に回ってからすっかり鋭敏になった本能が、心の中で高らかに
警報の鐘を鳴らした。
何故そこまで彼を恐れたのか? そんなことも分からなかったけれど……。
恐らく傷ついた体が、余計な戦いをするのを拒んだのだろう。

一歩ずつではあったが、着実に刻まれる歩み。
森の終わりは、すぐそこにまで来ていた。

「!?」
誰かいる!
弥生が見たもの、それは、何かを焦がれている様子でうろついている詩子の姿だった。
これは、チャンスなの……?
弥生は自問した。
あの女の子の付近になにやら鞄がある。もしかしたらあの中には食料が……、
あわよくば武器が眠っているかもしれない。
あれを奪うことが出来れば、ずいぶんこの先の行動が楽になりそうね……。
だけど……、さっきも女の子だと見くびってかかってこのような目にあった。
同じ徹など踏んでいられない。
だから……どうすれば……いいの?
一瞬の迷い。
そしてその後艶やかな笑みを浮かべる。

何を偽善的なことを考えているの?
狩る側に回った分際で?
あなたは今、見くびってかかった彼女にしてやられてことを認めた。
でもそれは本気でかかればいつでも殺せる、ということの裏返しじゃないの?
十人殺さなければならないのに。
まだあと九人も残っているのに。
由綺さんを、藤井さんを守らなければならないのに。

――だったらもうやることは決まっているでしょう、弥生?

ずいぶんと長い一瞬を経て、弥生は再び動き出した。

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