逢魔ヶ時
暮れなずむ夕日を浴びながら、弥生は痛む右目をつぶったまま武器を作っていた。
ストッキングを脱ぎ、つま先の方を結び、そしてその中に石や財布から
出した硬貨をつめてゆく。なんどか振ってみてちょうど良い重さに調整する。
横から力をこめて振ると遠心力を利用できる。側頭部にあたれば敵は一発で
昏倒するに違いない。そう弥生は思った。
その時風の流れが変わった。そしてその風に乗って人の声が聞こえてきた。
「暗いうちはあまり……いほうが……います」
「そ……な…」
声がしたところに弥生は接近する。しかしまっすぐ急ぐ事はしない。さきほど音を
立てたばかりに一人殺しそこね、あまつさえ右目を痛めたのだから。太陽を背にして
弥生は物音をたてないように移動する。一歩進むごとに足元に小枝等の音がするものが
ないかチェックする。その間にもさまざま興味深い話が聞こえてくる。
胃の爆弾があるのは間違いない、潜水艦か、無線で連絡をとりあって後、ヘリか飛行機がくる
地下通路、無線室、あるいは無線機を押さえれば……、そんな断片的な言葉から
脱出に関して話しあっているのだと弥生は推理した。一瞬彼らの話にのるか
のらないか弥生は迷った。弥生とてむやみに殺したいわけではない。殺さずにすむ
ならその方がいいのだった。
だが、よく聞けば語尾に力がない。全て根拠のない憶測を
話しあっているのだった。が、しかし主催者が10人殺せば二人を助けるというのも
また同じくらい根拠がないのも事実だった。ただ主催者の言葉である。1参加者の
なんの根拠もない憶測よりはましだろう、そう弥生は判断し、彼らを殺す事を
決定した。
再び慎重に接近を開始する。物音をたてないことを最優先したため接近に時間
がかかり、目的地に到着する前に放送がかかった。
『二日目午後六時だ、早速今回も定時放送いくぞー……』
人の死を放送するこれも、今の弥生にとってはどうでも良いことである。あの二人の名前が
呼ばれない限り。むしろ今ならば声の主達も放送に気をとられるし、なにより全島に聞こえる
だけの音量である。弥生の接近の物音も隠してくれる。チャンスであった。
弥生は急いで接近しようとした。が、その前に深呼吸を一回して頭を冷やそうと
努力する。人間は生きるか死ぬかの非常時において大事なことをぽっかり忘れる生き物
であり、冷静沈着なようでいても、実は普段の3分の1も冷静ではないのだと弥生に右目に走る
痛みが教える。だから自分のとるべき行動を何度も何度も繰り返しイメージしチェックする。
もう、先ほどのように44マグナムがあるのに、あるのを忘れて殺して損ねることなどあってはならないからだ。
チェックが終わると弥生は急いで接近する。放送が終わりかけていることもあるが、それに
もまして弥生にとってもうすぐ絶対有利の瞬間がくるからであった。
しかしその時間は短い。その時間が終わる前にけりをつける必要があった。
「詠美――っ!!」
「詠美さんっ!」
その声と同時に誰かが走り出してゆくのが見える。弥生は発見される危険と逃がしてしまう
危険を天秤にかけ、太陽は自分背後にあり逆光である事、焦っていることから背後には
注意をはらうことは無いと判断し、発見される危険をおかしても森の中からでて追跡することを決断した。
弥生が二人に追いつくと二人の背後にある木の陰に隠れ、そこから二人を観察する。
「どうして…ちくしょう、俺はどうして気づかなかったんだ……
詠美が、俺を必要としてくれてたのに…
絶対に離しちゃいけなかったのに……!」
「…和樹さんは悪くない…私が…和樹さんを頼りすぎていたから…
それに…こんなときでも、千鶴姉さん達の名前がなくて…ホッとした自分がいたんですから…」
「…違う…自分を責めるな…」
「…探しましょう…!まだ遠くへは行ってないはずです。
今の詠美さんを一人にしておくわけには行きません!」
「ああ…詠美…無事でいてくれっ……!!」
その場面に弥生の心はなに一つ動かなかった。弥生が理解したことは男の名前が
千堂であること、機関銃を持っていること、詠美とやらを追いかけていたこと、
中学生らしき少女の方に二人以上姉がいること、そのうちの一人が千鶴だということ、そして
右手の鉄の爪が武器であること、そんな散文的な事柄だけであった。そして殺す順番を
考える。どう考えても大の男であり、機関銃を持った千堂から殺すべきだった。
そして夜の帳が下りる。その瞬間どこに行こうとも人工の明かりがある日本では絶えて
久しい真の闇が訪れる。この瞬間こそ弥生が待ち望んでいた瞬間だった。痛みをこらえて
今までずっとつぶっていた右目を開ける。光が失われてから闇に眼が慣れるまでのわずか
な間、人は何も見えない。弥生のように初めから闇に眼をならしでもしないかぎり。
弥生の左目には闇しか映らなかったが、右目は二人の姿をはっきりとらえていた。隠れていた
木から飛び出て二人に突進する。左手の44マグナムは使う気は無い。
散弾銃とは命中率、威力、射程の全てにおいて劣る拳銃、弾丸の浪費を覚悟して何度か
試射してみた結果2メートル先の的ですら外したこともあるくらいだ、それに今は片目し
か見えていない。この状況で命中を期待する事は奇跡を期待する事と変わらなかった。
千堂と楓は何者かが走ってくる物音に気がつき、背後を振り向く。しかしまだ何も見えず
棒立ちのままであった。普段ならふたりとも違う行動をとったであろう。しかし、普段目が
見える人間が、一時的に盲目になっているところに急に予期せぬ出来事が起こると、人間は
思考回路が狂うのであった。
弥生は男―千堂に走り寄ると右手のストッキングを力いっぱい外から内に向けて振るい
千堂の頭に叩きつける。予想以上にストッキングが伸び、側頭部ではなく後頭部を強く打った。
千堂はそのまま力を失い、棒のように地面に顔から倒れ込む。続く動作で弥生は地面に倒れた
千堂の喉を力いっぱいかかとで踏みつける。何かがつぶれるような感触が伝わってくる。
弥生を手首を返し、左脇に構えていたストッキングを今度は内から外に向けて振るう。それ
を少女―楓は上体を逸らしてかわす。楓は右手の鉄の爪を弥生の肘を狙って振るう。
弥生はとっさに腕を縮め、かろうじてかわす。誤算であった。弥生の左目はまだ見えない。
こんなに早く闇に順応するとは思わなかったし、それに動きの速度も大の男と変わらない。
1つ間違えたら死ぬと弥生は恐怖心を抱いた。だが退くわけにはいかない。あの二人が
いつまで無事か解らない、もうこれ以上殺すチャンスを逃すわけにはいかないのだった。
距離が詰まったとき、二度ほど攻勢をかけてみた。だが見事にかわされる。逆に防戦に
追われ立場がひっくり返った。
突きかけられた。懐を深く構えてどうにかかわす。一転して体のバランスをとっていた
手を狙われる。両手を後方へ。とたんに左足が残り、そこを斬りつけられた。すり足を
使って後退する。先に倒した千堂の体に足に触れた。全身がぐらつく。
防御ががら空きになった。それを狙っていたかのように全体重をかけた突きが来る。
楓が一気に弥生に接近する。
弥生は倒れながら右手のストッキングを楓に投げつける。鈍い音がして動きが止まる。
上半身をひねりつつ、足を力一杯横へ払う。強い衝撃が伝わってきた。足首あたりを刈られ
楓はたまらず転倒する。
弥生は相手の体がどこにあるか見当をつけると躍りかかる。ほとんど正確に補足した。
左手の44マグナムを楓に押しつけ引き金を引き絞る。そこを中心に楓の服がみるみる
夜目に黒く染まってゆく。致命傷であった。
「耕一さん、どうしてわたしたちはめぐりあったとたん別れるんですか? 何度
繰り返せばいい──」
楓の言葉がそこでぷつりととぎれた。口を半開きにしたまま動かなくなっていた。眼が
大きく見開かれているがもう何も見ていなかった。弥生は右手で死体となった楓の眼を
閉じてやった。ただの感傷だとはわかっていたがやらずにはいられなかった。そのまま
少しの間弥生は動かなかった。まるで二人の冥福を祈るかのように。
しばらくの後、弥生は立ち上がり二人の装備を回収した後再び動き始めた。冬弥と由綺
を救うために。後7人殺すために。
【018柏木楓死亡・053千堂和樹死亡】