そして一つの決断


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当夜はマナを抱えて走った。この忌々しいゲームが始まってから、冬弥自身では自覚して
いなかったものの、精神的なバランスがかなり崩れてきていた。
それでもまだ残っていた理性が、マナを殺させる訳にはいかないと告げていた。ただ
ひたすらに走った。
マナを抱えての無茶な逃走であったが、それでもしばらくすると由綺と弥生の姿は見えなく
なっていた。それでもまだ暫く走り続け、適当なスペースを見付マナをおろし、
冬弥自身もマナの隣に腰を下ろした。
「よかった、無事だったんだね、マナちゃん」
「……うん。さっきは助けてくれてありがとう」
マナは助けてくれた事に関して、素直に例を言った。だが、その後冬弥が何か
いろいろと話し掛けても、マナはそれ以降、口を開かなかった。
「どこか怪我でもしたの」
マナの様子がおかしい事に気がついた冬弥は、今度はマナの体の心配を始めた。
そんなことないと言う風に首を横に振ったが、それでもマナは口を開こうとは
しなかった。
次第に冬弥も口を開くことを止め、沈黙が二人の間に流れる。
その長い沈黙を破ったのは、お礼の言葉以来一言も言葉を発していなかった
マナの方であった。

「どうしてなの」
「え…」
全く予想外のマナの言葉に訳もわからず、ただ呆然とする冬弥。
冬弥にはマナが何を言いたいのか全くわかっていなかった。

「どうして、藤井さんは、由綺お姉ちゃんを助けてくれなかったの」
マナの口調は決して強いものではなかったが、それでもその言葉で、冬弥はマナが
自分を責めているということを自分なりに認識した。

マナの方は、冬弥に対して怒っていると言う訳ではなかった。
ただ、前に一度由綺に襲われたにもかかわらず、それでもマナは心の奥底で冬弥が由綺の事を
助けてくれるのではないかという淡い期待を抱いており、その期待が最悪の形で裏切られた事で、
気力を失いかけていた。
「…仕方なかったんだよ。俺が由綺に逢った時にはもう由綺はあんなになっちゃっていて、俺には
何も仕様がなかったんだよ。だから俺はせめてこれ以上由綺に人を傷付けさせたくなかったから……」
別に言い訳を聞きたかった訳ではなかったマナは、なおも言い訳を続けようとする冬弥を制して
再び口を開いた。
「だから、だから藤井さんが由綺お姉ちゃんの代わりに人を傷付けるというの」
冬弥は続けようとした言葉をマナに先に言われて、そのまま沈黙するが、すぐに言葉を続けた。
「ああ、俺にはそれしか方法が思い付かなかったんだよ。もうこれ以上由綺の手が汚れるのを
見ていたくはなかったんだ。汚れるのは俺だけでいいと思ったんだよ」
その言葉を聞いて、マナは冬弥の由綺に対する愛情、そして優しさに触れる事が出来たような
気がした。そしてそれと同時に―ここに来る以前のマナならば多分わからなかったであろう―
冬弥の心の弱さというものも感じ取ってしまっていた。

「そう。それが藤井さんなりの優しさなんだね。あたしにもやっとわかったような
気がする。
…でもそれだったら何でその現状に甘んじてしまったの。何でその優しさを
由綺お姉ちゃんの壊れた心を治そうとする方向に使ってあげられなかったの。
こんな絶望しか感じられないような場所で、殺し合いをしろと言われていても、
決して人を殺したりせずに、自分を見失わずに、傷つき怪我をした人たちを
必死に手当てし続けていた人もいた。
自分の身の危険を顧みず、マイクを使ってみんなで協力して脱出しようと
訴えかけた人もいたというのに…」
マナの頭の中に、あの衝撃的な放送と、その後の爆破音、そして微かに
笑いを含んだ聖の顔が浮かんだ。
「…なんで藤井さんは諦めてしまったの」
最後の方は涙声になりながらも、マナは必死になって言葉を紡ぎ出した。

「……」
「あたし、こんな気持ちじゃ藤井さんとは一緒にいられないよ。それに
あたし、まだやる事が残っているから。もう行くね。
それと、さっきは助けてくれてありがとう」


尊敬した人の死、優しかった従姉妹の豹変、こんな島の中で憎まれ口を
叩き合いながらも、ほんの少しだけ心を通わせた仲間の死、さまざまな
挫折を経験し、気力を失いかけてはいたが、それでもマナは、医者の助手
としての使命を思い出し、冬弥の元を去り、聖の遺志を継いでこの島で
傷ついた人を助けつづけることを、再び心から誓った。


冬弥はマナが去って行った事にも気付かずに、ただ何かを考えていた
だけであった。
そしてふと何かを思いつくと、再び由綺たちのいる方へと帰っていった。


【藤井冬弥、観月マナ、別行動を取る】

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