インサニティ


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 パン、と乾いた音が月明かりの下で響いた。

「うん。やっぱりそうだよね。そうだよ」
「……何がですか?」

 拍手を打つように両の掌を合わせた由綺が、少し血に染まった衣服を
気にする様子も無く、「やっぱり殺しちゃったほうがいいよね」と嬉し
そうに微笑んだ。
 先程まで泣きじゃくっていた様子は、微塵も感じさせない。

「冬弥くん、わたしがいないと寂しがってないかなぁ。きっと寂しがっ
てるよね。マナちゃんってひどいよね。わたしから冬弥くん奪うんだも
の。殺すくらいじゃ許せないよそうだ捕まえたらね冬弥くんの目の前で
撃っちゃうよわたしそのくらいじゃ駄目かなぁ――」

 弥生は整った顔をほんの少しだけ歪め、う、と顔を左手で覆う。右手
に構えたオートボウガンが、かたかたと震える。

 こんな筈じゃなかった。
 私は、由綺さんをスターダムにのしあげるため、叶わなかった自分の
夢を、人生を、希望を、その全てを彼女に捧げ――ようとしていた。
 そうでなければ、私の人生は無意味になってしまうから。彼、藤井冬
弥を由綺と添い遂げさせようとしたのも、全て打算だ。由綺の気持ちが
どうとか、藤井の気持ちがどうであるとか、私の知ったことではなかっ
た。
 ただ彼が、由綺にとって不可欠な存在であると知ればこそ、二人の仲
を取り持とうとしただけだ。
 しかし――

「――どこにいったのかなぁ冬弥くんとマナちゃんお姫様だっこされる
なんてうらやましいなぁやっぱりわたしあのときコンサートに行かない
で冬弥くんといっしょにいるほうがよかったんじゃないかなぁ」

 弥生が見つめる由綺の視線が、宙を漂う。それはまるで――

「――ひょっとしたらあのときにでもマナちゃんと会ってたのかなぁそ
うだとしても仕方ないよねわたし仕事選んだんだもの冬弥くん優しいか
らそれに甘えちゃって甘えたかったんだもん!」

 ――狂人のそれだ。

「由綺……さん!」
「え、弥生さん? どうしたの、怒っちゃいやだよ」

 そこにある由綺の顔は、何時もの表情だった。青い月明かりに照らさ
れて、血に塗れるアイドル。右手に構えたニードルガンの銃口は、こう
している間にでも弥生に向けられている。
 狙っているわけではないのだろうけど、前後の判断がついていないの
は明白だった。
 にこりと微笑む口元、愛らしいアーモンドの瞳。化粧を施すこともな
く、整ったベビーフェイスは、まるで母をみつめる子供のように純粋無
垢な表情を弥生に向けていた。

「そう思わない?」
「ええ、思います」

 由綺に、何も聞かれた覚えはなかった。でも、由綺の考えはわかって
いたから、弥生はただ頷いた。

 壊れてしまったというのなら、私もそうなのかも知れない。
 また一人で呟き出した由綺から視線を逸らすことなく、弥生は言った。

「観月マナを殺しましょう」
「そうだよ。それがいいよね」

 由綺はまた、柏手を打つように、パン、と掌を打ちあわせ、嬉々とし
た表情で笑う。

 弥生の中にある由綺の姿は、何も変わっていない。何も。
 そう。マナを殺し、冬弥と由綺と共にこの狂った島から出て、私たち
は――私たち?――私は――私は?――私――

 青い月明かりだけが、何者をも拒まぬかのように、ただ静かに闇を照
らし出していた。

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