たい焼きは復讐の薫り


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「兄さんの敵を討つために、やっと手に入れた力。重火器の前ではちょっと
不安だけれど、いざとなればスイッチで刃をとばすこともできる……」
 理奈の右手で光っているのはスペツナズナイフだった。
――刃をとばす際には絶対に外すことは許されない。できれば、もう一つ
何か武器を手に入れたい――
 そんな風に思っていた理奈。
 しかし、武器が落ちているなどという幸運はなかなかにあり得なかった。
「待っててね、兄さん。この武器一つでだって、あいつをもう一度見つけて、
そして兄さんの仇を討つから……」
 新しい武器を見つけることができなくても、理奈の決意は鈍らなかった。
 黙々と標的を求めて歩き続ける理奈。
 しかし……。
 更に彷徨うこと数時間。
――最後に食べ物を口にしたのはいつ頃だったろう? ――
 いつしか理奈はひどい空腹に襲われはじめていた。
 しかし、ずっと都会で暮らしてきた理奈に、野山の物を取って食べる勇気は
なかった。腹をこわして、逆に体調を崩しかねない。
 どこからか、食品を手に入れなくてはならなかった。
「腹が減ってなはんとやら、って。昔の人も言ってたし……」
 そうして彷徨っていた理奈は、ついに住宅街のはずれにたどり着いたのだった。
「ここになら、何か食べ物があるかもしれない……」

「これは……たい焼き?」
 たい焼きの臭いは校舎から漏れ出て、住宅街にまで届いていた。
 たい焼きは、あまり強い臭いを発しない食べ物ではあったが、
 空腹の人間は食べ物の臭いに敏感になるものだ。
 街の中を歩き出してまもなく、緒方理奈は『それ』を嗅ぎとった。
――たい焼きだなんて……。あまりに非日常なこの島にありながら、
なんとのどかな薫りなんだろう……――
 自分の置かれた状態がもっとマシでなものであったなら、理奈の頬はゆるんで
いたことだろう。
 この臭いが本物ならばそこに食料がある。それを作り出している人間も。
 他の人間との接触は避けたいところだったが、もしかしたらその人物が、
兄の仇であるかもしれない。そうでなくても、警戒はしなくてはならない。
「もう、どれだけの人が正気なのか分からないんだからね……」
 右手のスペツナズナイフを後ろ手に握り直し、正面から見た分にはすぐ分から
ないようにして理奈は慎重に歩き出した。
 その、たい焼きの臭いに向かって。
「でも、こんな状況でたい焼きを作るような人とならば争いにはならないと、
そう思いたい……。」

 臭いの発生源付近には彼女が兄の敵だと信じている、茜その人がいる。
 そのことを無論、理奈は知らない。

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