別れの引き金
右手には小銃を持って、左手にはナイフを持って。
琴音はただ、走った。
目的は一つ、浩之に会うために。あかりに会うために。
信じられる人だから。
だから、二人の姿を見つけた瞬間。
「藤田さん! あかりさん!」
喜びの声を上げて、走り寄った。
「琴音ちゃん! 無事だったか!」
突然の声に戸惑いつつもそれが琴音だとわかり、浩之の顔から笑みがこぼれた。
あかりも、その横で驚きながらも手を振っていた。
二人の前で立ち止まり、一息つく。
「会えてよかったです。怖かった、です……」
そう言い、泣き出した。
「よしよし。よく頑張ったな」
浩之はそっと琴音を抱き寄せた。
あかりも優しく見守っている。
そのまま時間がすぎ、やがて琴音が口を開く。
「何人にも、裏切られました……。
私、また人間不信になっちゃいました……。
でも、私わかったんですよ」
――シンジャエバ、ダレモウラギラナイッテ――
――ミンナ、トモダチデイラレルッテ――
――ワタシ、ツヨクナレタンデスヨ――
――ヒロユキサン、アカリサン、ホメテクレマスヨネ――
声は、どこか遠い、遠い世界から聞こえた気がした。
それはある意味、間違いではなかった。
凍り付いた表情のまま、浩之は悟った。
この子は、今、別の世界にいるのだと。
何も見えない、何も聴こえない。
そんな間違った世界に。
「琴音ちゃん……何を、言ってるの?」
信じられないものを見たような、そんなぎこちない笑みを浮かべ、あかりは訊いた。
おそらくあかりも理解しているのだろう。
だが、理性がそれを認めないだけなのだ。
この少女は、壊れている。
「何を言ってるんですか? 私、間違ったこと言ってませんよね?」
琴音は不思議そうな表情であかりを見た。
その視線は、自らの言葉に含まれた『意味』がどういうものなのか、まるでわかっていないようだった。
極限の混乱状態の中で、自分の間違った思考が全ての中心だった。
「……琴音ちゃん、それは……違うよ」
ようやく、浩之が声を絞り出す。
「死んだら……裏切らないんじゃない……裏切れないんだ……。
それは強さじゃない、弱さだよ。
こんな状況じゃあ……みんな狂ってしまうけど、それでも信じることが強さなんだ」
そんな強さの先に何があるのかは知らないけど、と、心の中で言う。
綺麗事を言っているのはわかっていたが、自分のしてしまった罪と償いを考え。
そして、たとえ先に何があろうと、綺麗に人間らしく生きたいと。
それが浩之の出した答えだった。
もっとも、それより優先されることとして、愛する人を守ることがあったが。
「え……何を言ってるんですか?
浩之さんまで、何を言ってるんですか!?」
浩之の言葉は琴音に届かなかった。
当然だ、考えに考えて出した琴音の結論を、真っ向から否定する言葉だったからだ。
自分の否定――それは、『裏切り』だった。
少なくとも、今の琴音にとっては。
浩之は、裏切ったのだ――
左手のナイフで浩之の腹を刺し、そのまま間をとる。
浩之の体が崩れ落ちた。
「浩之ちゃん!」
あかりが叫び、浩之にかけよった。
「信じていたのに……藤田さんまで裏切るんですね?」
そんな二人に、琴音は銃を向けた。
「もういいです、死んで下さい。死んだら、裏切りませんよね?
ずっとずっと、友達でいてくれますよね」
琴音の指が引き金にかかり、
「だめだっ……」
浩之が小さく、それでもしっかりした声で言った。
腹にナイフが刺さったまま、傷口から血を流しながら、それでも、はっきりと。
「……引き金を引いちゃだめだ……嫌な、予感がする……」
「浩之ちゃぁん、喋っちゃダメだよ!」
「琴音ちゃん……引き金を引いちゃ、ダメだ……」
あかりの制止も聞かずに、琴音に言う。
琴音の指は引き金にかかったまま、止まっていた。
「琴音ちゃん、もう一度……言う。
琴音ちゃん間違ってる……だけど、俺達は裏切らない。
引き金を引いちゃだめだ……絶対に、よくないことが起きる……」
「ひろゆきちゃぁん……」
浩之の声から力が失われていく。
「琴音ちゃん、銃を捨ててよ!
浩之ちゃんを安心させてあげてよ!
浩之ちゃんを信じてよ!
ひろゆきちゃんが……しんじゃうよぉぉ……」
あかりの悲痛な泣き声が、琴音の心に刺さる。
それと共に、今までのことが、琴音の中に浮かんだ。
この二人に、どれだけ勇気づけられ、どれだけ励まされたことだろうか。
(どうすればいいの……。
浩之さんは……私を裏切って、私を信じて……。
でも、死んじゃえば、ずっと友達で。
だけど、撃ったらよくないことが起こるって……。
浩之さんは私を裏切ったけど、だけど、私を今まで支えてくれて……。
ウラギッテ、シンジテ……。
ドウスレバ、イイノ……?
ヒロユキサン……ドウスレバ)
限界だった。
ほんの僅かのきっかけで、琴音の心は崩壊するところだった。
次の言葉を浩之が言おうとして。
「何をしてるんだ!?」
そして、きっかけは、全く違うところから訪れた。
「――っ!?」
琴音は即座に声のした方向に向き直り。
引き金を引いた。
引いてしまった。
爆音が夜空に響く。
爆発した銃は、琴音の右腕を奪い去り。
極限状態だった琴音の心と重なり、ショック死を引き起こすには充分だった。
最後に、琴音は思ったのかもしれない。
自分は、道具にまで裏切られるのかと。
それは誰にもわからなかった。
琴音が倒れる。
浩之も、あかりも、声の方にいる二つの人影も。
ただ呆然と、それを見ているしかなかった。