あゆ攻防戦
とりあえず私は移動していた。無論、慎重に。
初音と七瀬さん――だったっけな?――の両名と合流後、直ぐにあゆの元へ走った。
当然、あゆの保護の為。
今ごろ千鶴姉達は保健室のすぐ隣――たしか会議室のような机ひとつないホール――にいるはずだ。
当然死体の――仏さんに失礼だな――ある部屋で待つのは気分いいもんじゃない。
本当は千鶴姉も…と言いたいとこだけど、今の状況で多人数で移動するのは得策じゃない。
それに…入り口付近で変な音も聞こえた。何かが壊れるような音。
ゾッとする。ここ…たしか昇降口以外の場所は封鎖されている…いや、されていた。
確かめたわけじゃないけど…千鶴姉ももしかしたら同じことを考えてたかもしれない。
千鶴姉の顔が、いつになく緊張に彩られていたから。
今思えばここに立ち入ったのは軽はずみだったかもな…。
でも…今はそんなこと考えてる場合じゃない。
私は、2Fへと…家庭調理室へと向かう階段を目指した。
(あそこを曲がれば階段…)
物音を立てないよう、慎重に。
このまま、無事に目的地に辿りつければいい。
梓もまた鬼の力を有してはいたが、今は普通の人間と大差ない。
少なくとも重火器を持った普通の人間相手に正面から戦えるとは思えない。
何故か?それは武器がないからだ。
とりあえず保健室の掃除用具入れから先のないモップ――木の棒ともいう――を獲物にしてはいるが、
ないよりましか…程度のものだ。
――里村茜。七瀬から聞いたその名を思い浮かべ、ぞっとする。
至近距離から躊躇なく発砲したその少女の名を。
その弾が外れたのは、あるいは躊躇したからなのかもしれないが、実際見たわけじゃない梓には分からない。
なんにせよ、正面からぶつかり合うのは避けたかった。
だが、あゆを見殺しにするわけにもいかない。
梓が一人あゆを保護に向かう理由――割と単純だ。
千鶴は、他の者を守る。梓は、あゆを保護し、守る。
どちらのリスクが大きいかはこの際どうでもいい。
とりあえず、この防弾メイド服のおかげで致命傷になる確率は多少は低いのだから、
千鶴が助けに行くのを除けば、梓が一人で移動するのが最も効率的だった。
(2F……!!)
階段を駆け上がり、慎重に前を向く。
(誰にも遭遇しませんように……)
だが…その願いは果たされなかった。
階段の踊り場から残りの段を一気に駆け上がり、2Fへと身を踊り出す…
それがそもそもの間違いだった。
廊下の向こう側に一人の女の影。
――里村茜――
梓がそれを肉眼で確認したとき…
暗がりの中でコルトガバメントが火を吹いた――!
パンパンパン!!
どっかの情けない音と共に、梓の体が不自然に歪む――
正確に胸に三発。
「かはっ……」
口元から血が滴る。
防弾チョッキを着ていなかったらそれで終わっていただろう。
仰向けに転がって床をすべる――。
態勢を立て直そうと転がる矢先――再び銃声。
先程まで倒れていた場所に弾丸が命中する。そしていくつかの何かがぶつかり合う音。
――それは跳弾であったのだが、梓は知る由もない――
運良くそれをかわし、なんとか物陰に身を潜めようとして――物陰なんてなかった。
近くの扉を開けて中に入ろうとしなかったのは幸運だったのだろう。
何故ならばそこには――
(防弾服…ですか…!?)
背後に人の気配がないことを確認しながら、
茜が近くの備え付けられていた消火器を力任せに前方に蹴りつける。
それは普段の茜からは想像もつかない野蛮な行動だった。
そして1発、2発!!
ドッ……!!
中に圧縮されていたものが破裂し、あたりに撒き散らされる。
白い煙の中、壁にぶつかる消火器の残骸の音が幾度か響いた。
間髪入れずに、後ろの階段――梓が使用したのとはまた別の――へと後ずさりしながら白い煙の向こうにいるであろう人物に3発ぶち込む。
「うっ!」
短い呻きが微かだが轟音の中聞こえた気がした。
そのまま身を翻すと、階段から3F方向へと姿を消した。
「あうっ……」
白い煙の向こうから飛んできた銃弾の内1発が梓の左肩を貫通していた。
ちょうど防弾服に覆われていないところだ。
(あゆっ……!!)
白い煙の向こうからまた銃弾が飛んできそうな気がして…
恐怖に顔をひきつらせながら梓は元来た階段へと一度離脱しようと床を這った。
その刹那…
近くの扉から何かの影が飛び出した。
何かを振り上げている。
梓にとって幸運だったのは――
鬼の力ほどでなくても常人よりは強い力を持っていたことでも、
それに対して無意識に腕が――傷ついた肩も含めて――動いたことでもない。
恐怖と緊張の中、硬直した手が持っていた獲物を離していなかったことだった。
ガチッ!!
その降ってきた何かの刃の部分でなく、その柄の部分をモップで防ぐ。
梓の力を持ってしても、押さえるのがやっと…という速度で振り下ろされた刃――
水瀬秋子――梓は彼女を知る由もないが――のナタであった。
梓の眼前までせまったそれは、わずかに梓の額を傷つけ、そこで止まった。
その受け止めた衝撃に、肩の傷が痛み、梓の顔が苦痛に歪む。
「くっ…!!」
暗がりからでた人物――秋子は一度呻くと、そのまま梓の使用した階段の上方へと逃走した。
(すまん、あゆっ…必ず…迎えにいくからっ!!)
梓は痛む肩を押さえながら、その階段から転がり落ちるように階下へと向かった。
その拍子幾本かの切られた前髪が、血と共に宙へと舞って、落ちた。
「いい判断です…」
再び茜は戻ってきていた。白い煙の向こうに。
茜にとって、相手の手の内が知れないというのは恐怖であった。
梓が、そして――もう一人いたことには今気づいたのだが――秋子が持っている武器が分からない以上
深追いは禁物と判断したのだ。
事実、仕留めたはずの梓は防弾チョッキにより一命をとりとめていた。
一度は戦闘から離脱した茜だったが、再び階下で戦闘の音。
もう一度戻り、不意をついて撃つはずだった。
だが、秋子はそのまま向こうへ――茜の銃の届かないところへ――
そして梓もまた階下へと消えたのだ。
(どうやら…閉じ込められてしまったようです…ここにいる人すべて倒して…出ることにします)
茜の腹は決まっていた。入り口は――何者かによって内側から封鎖されていた。
おそらくここにいる者の中に……殺し合いを望む者がいる。
もちろんそれを判断する手段はない。それならば――全員倒せばいい。
そしてゆっくり脱出の手段を探せばいい。
(生きてあの空き地へと帰るんです…)
狙われては敵わない。再び茜は階段から3F、そして4Fへと姿を消した。
秋子は先程よりも動揺していた。
名雪が――ここに入ってきてしまったのだ。
最初はあゆが単独行動、というか単独で隠れていたのをレーダーで確認し、保護するところだった。
(無論、秋子はあゆを含めいくらかの参加者の番号を探り当てている。死者の番号と照らし合わせて推理すれば簡単なことだ)
もちろん最初はあゆに危害を加える気はなかった。それをするのは名雪なのだから。
だが、名雪の身に危険がせまっている――。
これが名雪でなければ多分放置していたのだろう。
だが……
(本当は一人ずつ消すつもりだったけど…はやく…終わらせないと……)
名雪と、あゆ、そして他の参加者の位置を確認しながら3Fの教室へと入った。多分音楽室だ。
教室の前方にはグランドピアノが鎮座している。
名雪が入ってきた当初、
あゆをすぐに捕まえ、そして名雪を捕まえ、名雪の入ってきた場所から抜け出す予定に変更した。
だが、同じように梓、茜が近づいてきていたのだ、調理室に。
レーダーを持っている分秋子は有利なはずだったが…
調理室を目前にしながら、別の教室で息を潜めることを余儀なくされ…
そして心の焦りが今の結果を生んだ。
奇襲は、失敗したのだ。
茜が戻ってこないうちに一撃離脱し、一度態勢を立て直すことになった。
(どうすれば…先に名雪と合流する…?あゆちゃんはこの際無視する?それとも当初の予定通り全員消す…!?)
レーダーで名雪の、そして他の者の位置を確認しながら秋子は大きく息を吐いた。
秋子はこの島に来て、初めて――取り乱していた。
梓 【再び1Fへ】左肩銃弾貫通 胸に打撲等の疑いあり
茜 【4Fへ】
秋子【3F音楽室へ】