形而下の戦い〜傷痕〜


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――恐怖。
それは人間の本能に根ざした、もっとも原始的な感応の一つ。
たとえどんな状況でも、それはいつどこからでも派生する。

例えば、食事中。
例えば、睡眠中。
安らいでいるときにも、悲しんでいるときにも。
喜びを噛みしめているときにも、怒りで我を忘れていても。

恐怖は、いつでも、どこからでも現れる。
その発生源が、たとえさっきまで笑いを交えて会話していた相手だったとしても、
なんら不思議なことは無いのだ――。


葉子は狼狽していた。
なぜ銃を撃てないことが、いきなり殺すことにまで発展したのか、
その話の飛躍に全くついていけなかった。

「悪いが君が銃を撃てないと言うなら、
 僕はそれを”矯正”してあげなくちゃならない」

矯正?
予想だにしない単語が聞こえてくる。

「撃てないだけの問題ではないんだよ――」

そして再び少年の姿が消える。

シュパン。

今度は、反対側の袖が千切れ飛ぶ。

「くっ」

葉子はうめき声を漏らした。
体が傷つけられたからではない。
脇をすり抜けていったプレッシャーに飲まれたのだ。

「恐らくこの役は僕にしか出来ないだろう。それはFARGOの君を最も知っているのも僕だから」

少年は姿を見せない。しかし、その声だけは聞こえた。

葉子は槍を取り出して、それをつかえるように伸ばして構えた。

「悪いが――」

横から少年の声。葉子は瞬間的にそっちを向く。
少年は動かない。
その表情は以前、笑ったまま。

「そんな武器に頼っているようじゃダメなんだ」

再び少年の姿が視界から消える。
そして、一瞬後には構えていたはずの槍は真っ二つに折れていた。
だが、葉子にはそんなことより何より、少年の表情が目に焼きついて離れなかった。
笑い顔……、確かに笑い顔だった。
しかしその口元はわずかに乾き、瞳の奥に凍った輝きを灯していたのが、
葉子にははっきりと見えていた。

恐ろしかった。
鋭すぎる攻撃や移動速度などにそれを感じたのではない。
そんなことはとうの昔から分かっていた。
この人物は――人と言って差し支えが無いのだろうか――私たちとは違う
次元にいるなんていうことは。
そうではない。
彼のプレッシャーが重かった。
とても、とても重かった。
彼の眼が恐かった。
あまりにも、あまりにも恐かった。
耐えがたかった。
何もかもが分からなくなった。
ほんの数秒前までとの状況の落差が、私を真っ白にさせようとしていた。

左手に掴んだままの銃が重い。

「次で最後にする、撃てないと言うなら君は全てダメなことになる」

撃てない?
どうしてこの人はそんなことを言うのだろう。
撃てば人は死ぬ。
そして私は”力”を使って余計な人たちを排除してきた。
だったら一緒じゃない。
簡単なことよ――。

いつのまにか少年の姿を捕らえていた。
まるで無意識でもあるかのように虚ろに、
葉子は銃を持った左手を振り上げた。

少年は――笑っていない。

トリガーを……引く。

よぎる。
頭によぎる。
赤。
紅。
あかい。
血が、よぎる。
死が、よぎる。

お母さんの血がよぎる。

凍るように冷たく、私を見つめる二対の眼。

「あ、アあアぁあアぁアアァあアア!!」

トリガーが引かれる。

銃弾が飛び出す。

幽体離脱とでも言うのだろうか、
私と少年を、なぜか私は見渡している。

銃弾は、一直線に少年へと向かう。

少年は……、彼の顔が一瞬ふっと笑った気がする。

銃弾が、もうすぐ少年の胸を貫く

少年は例の本のページを本当の私側――銃弾の方向――へ向ける。

銃弾が、それにぶつかる。

それを貫……かない。

少年は、何かの溜めでも造ったように、体を撓らせる。

銃弾は、全く違う方向へと”反射”させられる。

時間にして、一瞬の出来事――。


「!?」

意識が戻った。
鳥瞰的に私は状況を見ていたらしい。
少年は――、何事も無かったようにそこに笑いながら佇んでいる。
気付けば、私は銃を取り落としていた。

「どうかな? これが巳間良祐の最高傑作、”反射兵器”の力さ」

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