闇
天野美汐(005番)は、疲労の極値に達していた。肉体的にも、精神的にも。
もしこの島から生きて帰れても、今日と言う日は今後何千回と夢に見るだろう。
幾人もの人達の死体を目撃して。
その中の一人に探しつづけていた真琴が居て。
そして――その死体の中のひとつを作り出したのは、他でもない、この美汐だった。
……さらには、たった今さっきも、3人、目の前で、果てた。
止めるのも訊かず、いや、止めたからこそ、3人は、死んだ。
小さな肩が、小刻みにかたかたと震えていた。
その小さな肩が背負うには、今日と言う日はあまりにも重すぎた。
「……ふ」
と、小さな声が漏れる。
それは嘲笑でもなんでも無く、ただ嗚咽を押し殺しただけの声だった。
美汐のことを気にかけていた長瀬祐介(064番)がそれを聞き逃す筈も無く、
すぐに「どうしたの?」と訊いた。
美汐にとってそれは余計なお世話だった。今はただ放っておいて欲しかった。
人がいっぱい死んだ。わたしも殺した。たった今も3人死ぬのを、ただ見ていることしか出来なかった。
なのに―――
不意に、美汐の頭に疑問がよぎる。
なぜ、この人は、こんなに平気そうにしていられるのだろう?
さっきまで、あんなに悔しそうにしていたと言うのに。
なぜ、もう立ち直っているのだろう?
美汐にとって、祐介のそれは気丈、どころではなく、すでに狂っている、とさえ感じられた。
……そう、狂っている。
ひとが何人も何人も何人も目の前で死んでいて、
その場でだけ悔しがって見せて、それでいてすぐに立ち直るなんて――
狂っている。
狂っている=人を殺す
無茶苦茶な公式が、その瞬間美汐の頭の中で成立した。
近寄ってくる長瀬さん。
長瀬さんは、狂っている。
長瀬さんに……殺される!
美汐は、手に持ったデリンジャーを素早く、祐介に向けた。
「え?」
祐介は、何が起こっているのか、理解できなかった。
ひどく遅くなった思考速度で分かったことは、美汐が、自分に、銃を向けている、ということだけだった。
それはつまり、どういうことだろう。
天野さんが僕を、殺す、というのだろうか?
信じたくは無かったが、この状況はそうとしか、思えなかった。
美汐が銃を向けたまま。
祐介は押し黙ったまま。
数分の時が、過ぎて行った。
「……長瀬さん…信じていたのに…」
美汐が言って、表情に影を落とした。
まさか美汐のなかで独自の世界が形成されていて、その中では今まさに祐介が美汐を殺そうとしているところだとは
当の祐介が理解できるわけも無く、彼の回らない頭はまた混乱した。
自分の意識が遠くに飛んで言ってしまったかのようだった。
で、祐介のその飛んで行った意識が戻ってくる前に、また美汐が言った。
「死んで、ください」
それで、上空をふわふわ漂っていた祐介の意識は戻ってきたが、混乱している事に変わりは無かった。
殺す?
僕が守ろうとしている人が、僕を殺す?
まだ祐介の頭はよくは理解してはいなかったが、ともかく、そういうことだとは、分かった。
なので、「どうしてだい?」と、訊かずには居られなかった。
美汐は「とぼけないで下さい」と厳しい口調で言ったが、やがて、ゆっくりと語り出した。
祐介がすでにこのゲームに慣れきって、狂ってしまったのではないかということ。
狂った人は、目に付いた人を見境無く殺していくということ。
無茶苦茶だ、と祐介は心の中で舌打ちした。
だけど、まあ、天野さんが思いのほかゆっくりと語ってくれたので、いくばくか冷静になれたと思う。
……つまりは、今の天野さんは、他人…とりわけ僕を信用できないのだ。
勿論、祐介が3人が死ぬところを見て辛くないわけがなかった。
というより、祐介が彼女に声をかけたから、琴音が驚いて銃を暴発させて、あの事態が起こったのだ。
祐介はその事に当然苦悩した。声をかけなければ、もしかしたらあの場は平穏に収まっていたかもしれないのだから。
だから、祐介は悔しくて、そして間接的とはいえ人を殺した自分を呪った。
まさしく、それこそ狂ってしまいそうになるほどに。
そんな祐介を現実に、正気の世界に繋ぎとめたのは、自分が守ると固く誓った少女、天野美汐の存在のお陰である。
ともすれば狂気の世界へ行ってしまいそうになる意識を、自分が美汐を守るという目的意識のもとに、必死で抑えつけたのだ。
なのに、そのひとは今、僕に、銃を―――
祐介は悲しくなった。
どんな形であれ、結局僕は天野さんを守りきれなかったんだ、と。
だったら、今僕に出来る事は――
祐介は美汐に背を向けて、歩き出した。
1メートル、2メートルと、二人の間隔が徐々に離れて行く。
「どこへ行くんですか!」と、祐介の背中に向けて美汐が叫びかける。祐介は答えない。
祐介はたっぷり20メートルは離れると、ワイヤーを取り出して、振り向き、言った。
「君の手をこれ以上汚す事は無い。
僕が自分の手で――自分を殺す、よ」
寂しげな、笑みを浮かべて。