朝が来る


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(私にはもう何もない、ってわけね)
 静かな夜の公園を散歩するかのように、マナは暗い森の中をゆっくりと歩いていた。
(藤井さんにはもう逢えない。お姉ちゃんは私を……殺そうとした)
 聖も、そしてついさっき、きよみまでもがマナを庇って、逝った。
 マナは疲れていた。生きるとか死ぬとかそういう問題ではなく、ただ疲れていた。
 今はもう何も考えたくなかった。何もかも忘れて眠ってしまいたかった。
 眠って、目が覚めたらすべて夢でした。……それを期待するのは間違っていることなのだろうか。
 それでも、マナの足は惰性で前へ、前へと運ばれていた。既に、意志も目的も失われてしまった。
 聖の妹、霧島佳乃。今となってはもう、崖の上で対峙した時の瞳のイメージしか残っていなかった。
(からっぽ、だった)
 光のない、意志の力の感じられない瞳。空虚な瞳。
 あの時持っていた石をマナの頭に叩きつけるのに、何の躊躇もしないだろう――そう思わせる目だった。
(でも)
 ――今の私、きっとあの子と同じ目をしてる。
 私も、もう何も考えていない。ただ、全部を投げ出して眠りたい。
(鏡、持ってなくてよかった)
 やっぱり、こんな時でも自分のひどい顔は見たくないから。
 この場でそんな発想が出てくるのが少し不思議で、マナは無理にでも笑ってみようとしたが、上手くいかなかった。
 その時、何かに足を引っかけ、危うく転びそうなところを慌てて踏みとどまる。
(なによ、もう……)
 何気なく足元に目を落としたマナは、見た。
 木々の隙間から差し込む月明かりに、その顔の部分だけが青白く浮き上がっていた。
「澤倉……先、輩」
 転がっていた死体は、憧れていた先輩その人だった。

 死体を座るように木にもたせかけ、服についた土埃を落とす。
 肌に飛び散った血を丁寧に拭い取ると、瞳を閉じ、両の手を胸の前で組ませた。
 穴を掘る道具はなかったが、これがマナにできる精一杯の弔いだった。
 実際のところ、そこにあった死体が美咲のものだったから、と言うわけではない。他の誰の死体であっても同じことをしただろう。
 それが、今ここに生きているマナ自身にとっての義務だと思ったから。
 と、そこで、マナはハッと胸を突かれたように感じた。
(私の……義務。生きている私の、義務)
 マナの双肩には、二人の命が背負われている。聖と、そしてきよみとの。
 自暴自棄になることは許されない。誰でもない、マナ自身がそれを許すことができないのだ。
(ホントどうかしてる……こんなんじゃ笑っちゃいますよね、澤倉先輩)
 マナは近くの木を思い切り蹴りつけた。硬い音がして、葉が何枚か落ちてくる。
(いつつつつ……目ェ覚ましなさいよ、観月マナ)
 足に伝わる痛みがマナの思考をクリアな状態に引き戻す。
 今やらなければならないこと。それはこの状況を脱却する方法を考えることだった。
(このゲームを終わらせるには、自分以外の全員を殺せばいい。……そんなのできるわけないし、させてもいけない。
 ならあの高槻とかいう男を叩く? 無理ね。警護の人間もたくさんいるだろうし、それに)
 ――私に人は殺せないから。
 他にも、マナにはどうしても引っかかることがあった。
(この馬鹿げたゲームをあの男は『金持ちの道楽』とか言ってたわね。と言うことは、よ)
 その金持ちたちがこの島にいるとは考えにくい。危険だからだ。恐らくは島の外の別の場所に集まっているのではないだろうか。
 となると、この島からそこまでに何らかの、この島の状況を伝える連絡手段があるはずだ。

(このゲームの存在意義はそこにあるのね。なら……目を奪う、それしかないわ)
 その連絡手段を断ち切れば、その金持ちたちの目的は果たされなくなる。
 当然高槻のところには何らかの連絡が行くだろう。それを聞いて、高槻が果たしてどうするか。
 自棄を起こして、全員の爆弾を爆発させるだろうか。多分、それはない。
 金持ちの道楽、と言ってもただ殺し合いを見ているだけではあるまい。参加者はギャンブルの対象にされていると見て間違いない。
 この島に参加者を集めるのにも相当の金がかかっているだろう。ならば、高槻が一瞬で全員の命を奪うとは考えにくい。
 それに、島の状況が向こうにわからない状態では、どれだけの人が死のうと何の意味もない。
 なら、どうするか。それはわからないが、焦って何らかのアクションを起こすことはほぼ確実だろう。
(その時ね。……勝負が決まるのは)
 この島の、自分以外の人間が全てゲームに乗っているとは思えない。絶対にこのゲームを終わらせようとしている人間が、いる。
 ――それなら、私はその人たちを助けられればいい。
 管理者側の目を奪うこと。そのためにできることを考える。
(この島の状況を外に伝えるとして、あちこちに管理者側の人間を忍ばせておくか……カメラを設置するか)

 だが、前者はちょっと考えにくい。武器を持った人間が大勢いる場所に、そのためだけにそんなリスクの大きいことはしないだろう。
 すると要所要所に配置されたカメラの映像を何らかの方法でそこに送っていると考えるのが妥当だろう。
 有線のはずはない。自分たちを観察しているカメラから伸びるコードを参加者が見て、切らないわけがないからだ。
(無線……多分海は越えられないわ。この島のどこかに、きっと中継用のアンテナがある)
 そのアンテナを見つけないことにはどうしようもない。しかし、どこにあるのかは想像がついた。
(この島の全域をカバーするために、カメラは相当数必要なはず……それだけの映像を管理するには相応の機材がいるわ。
 となると、どこかに本部として使われてる場所がある。アンテナも高槻も……そこね)
 恐らく、警備も厳重を極めるのだろう。しかし、ここでむざむざ殺されるのを待っているわけにも行かなかった。
 ――このゲームを、終わらせる。
 強い意志が、マナの瞳に宿る。これ以上悲劇が繰り返されるのはもうたくさんだった。
(澤倉先輩、ありがとうございました。やっぱり私……先輩みたいになりたいです)
 月光に照らし出されて、美咲の顔はひどく穏やかなものに見えた。
 眠っているかのように見える美咲の死体に深々と一礼すると、マナはまた深夜の森の中を歩き出した。その足取りに、もう迷いはない。
 そして――また、朝が来る。

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