闇、と、光


[Return Index]

天野美汐(005番)は、背中を向けて去ってゆく長瀬祐介(064番)の背中に向けて叫びつつ、
正直な所、多少安堵した。
他人が信じられないとは言え、やはり、心の何処か、潜在的な部分で管理者側以外――、参加者を殺すのは躊躇われたのだ。
これまで行動を共にしてきた祐介なら、尚更。
だから、祐介が背中を向けて離れて行くとき、きっとそのうち走り出して逃げるだろう、と思った。
勿論、もしそうなったとしても、美汐は祐介を撃つ気は無かった。殺したら、自分まで狂ってしまう気がして。
だが―――
美汐の予想を覆す言葉が、祐介の口から出た。
「僕が自分で、死ぬ」と。

祐介も、多少はおかしくなっていたのかもしれない。
美汐の事を思うなら、ここは敢えて(というより、もうそうするしかないか?)美汐と別れ、
他に協力者を見つけ(もしいなかった場合は、無茶かもしれないが1人で)、
それで高槻ら管理者側を倒してしまえばいいのだ。
極端な話、高槻を今この瞬間殺す事が出来たなら、べつに美汐がこの島のどこにいようと、それでゲームは終り、助かるのだ。
だけど、祐介は、今ここで、死を選んだ。そうすることで美汐が正気を取り戻すと信じて。
それはやはり、おかしくなっていた、としか言いようが無かった。

高鳴る心臓の鼓動を聴きながら、美汐はまさか、そんなことをする筈は無い、と思いこんだ。
逃げれるチャンスなのに、わざわざ手間を掛けてまで死ぬなんて。
突然襲いかかってくるというケースも考えられたが、それではこれだけ距離が離れた理由がわからない。
いくらなんでもこれだけ距離があるなら、飛びかかられるまでに弾を撃つ事ぐらい、できる。
だけど、祐介は離れて、それで、振りかえって、ワイヤーを手にした。
と、言う事は、つまり―――
また美汐の心臓が、どくん、と高鳴った。

或いは、祐介は自分に酔っているのかもしれなかった。
悲劇の物語の、悲劇の主人公を演じる事に。
そう、洗脳を受けてしまったヒロインは、主人公が自らの命を捧げる事によって目を覚ますのです。
はっきり言って三流のシナリオだったが、まあそれも悪くないかな、と祐介は内心思いつつ、
両手でワイヤーを握り、首の後ろに回す。
そして、ワイヤーを握ったその手を力一杯―――交差させた。

瞬間、血の花が咲いた。
ワイヤーが、祐介の首の肉をぎりぎりと引き裂いてゆく。
その光景を呆然と見ながら、美汐は一瞬の間に、ひどくたくさんの思考をめぐらした。

私を殺そうとしている筈の長瀬さんが、どうして苦しんでいるの?
…それは、ワイヤーで自分の首を締めているから。
どうして私を殺そうとしている筈の長瀬さんが、自分の首を締めなければならないの?
…それは、私が殺そうとした、から?
なら、何故抵抗せずに自らの命を絶とうとするの?
…それは………私を殺そうと、していない…から?
…長瀬さんは、もとの優しい長瀬さんのままだった…から?
狂っているのは、そう……

長瀬さんではなく……私。

一瞬で、それでいて永遠に続くかのような思考が止まり、
美汐が自分の意識を取り戻す前に、既に身体が、祐介のほうへと走っていた。
そして、叫んだ。
「長瀬さん!やめて…やめてください!」
冷静になった時、自分はこんなにも大きな声を出せたのか、と驚くのだろうが、
今の美汐には当然、そんな事を考える余裕は無かった。
そんな美汐を見て、祐介は安心した表情で、にこり、と笑いかけ、

その表情のまま、糸が切れたように、崩れ落ち、倒れた。

「長瀬さん……長瀬さん!」
うつ伏せになっている祐介の身体を裏返し、
美汐は必死で祐介に呼びかけた。
顔色は当然悪く、目も虚ろではあったが、意識はあるようだった。
首筋に細く赤い線が一本通っていて、そこから、血が涌き出ていた。
実際にワイヤーで締めていた時間は一瞬だったため、そう深い傷というわけではないが、
このまま放置しておけば、いずれ失血死に至るであろうことは容易に想像できた。
美汐が祐介の手を取る。祐介も、力なく、その手を握り返した。
「ごめんなさい……私…私…」
祐介はふるふると首を振った。それだけでまた、首筋から血が溢れた。
それでも、祐介は穏やかな表情で美汐を見つめ、言った。
「…いいんだ、いいんだよ、どうって……ことはない」
が、どうって事ない筈は無かった。
その事実が、こんな状況でもそんな事を言ってのける祐介の優しさが、
美汐の心をまた、痛ませた。

――どうしよう。
私のせいで、長瀬さんは、こんなことに……
なんとかしなくては、と言う思いが美汐の頭の中をぐるぐると駆け巡ったが、
どうすればいいか、と言う問いには、美汐の頭は答えられなかった。
…ともかく、応急処置をしなくてはいけない、と言う所までは辿りつくのだが、
どうやって応急処置をすればいいのか?包帯のひとつも無いのだ。
結局、美汐は祐介の手を握り、ただ泣く事しか出来なかった。
後悔と、自責の念にかられながら。

その刹那。
ぱきん、と、すぐ後ろで枝を踏む音。
即座に美汐は涙を掃い顔を上げ、右手にデリンジャーを構え、振り向く。

そこには。
呆然と立ち尽くす、観月マナ(088番)が、居た。

[←Before Page] [Next Page→]