偽りの平穏
ジープを降りてもう数時間が経つ。
今のところは誰かに会うわけでもなく、
また襲われるわけでもなく。
とりあえず、うたかたの平穏を享受していた。
しかしそれも、今日一日を通して振り返ってみれば、
激しすぎる銃撃戦と硝煙の狭間で燻る、
ほんのわずかな空白でしかないことは明白だった。
陽もすっかり暮れた。
夜は十分に深い。
第五回の放送は流れたが、
とりあえず新たな死人の中に、自分の知り合いの名前を見つけることは無かった。
……それでも、順調に人が死んでいっていることになんら変わりは無かったが。
下卑た笑いを浮かべながら、自分たちを見下している高槻の姿が容易に想像できた。
くそっ。
智子は心の中で毒づいた。
いつか一泡吹かせてやるからなぁ、
そんな闘志が再びみなぎってきていた。
死亡者リストに知り合いの名前が上がらなかったことで、
智子は彼らのことを思い出していた。
「あかりはうまくやってんやろか……」
思わず智子はそう呟いていた。
わずかな心配が、心の中での呟きを口に出させてしまったのだ。
海岸での様子を見るに、もうあの二人が離れ離れになることは無いやろ、と
たかをくくっていた。
というより、あれがあれが本来の姿だということは、
智子はもちろん普段の彼らを知っているものなら誰もが納得するところだった。
おそらく、あの二人が戦場に戻ることはもう無い。
それならば、ゲームの終了時まで穏やかに生き延びて欲しい。
藤田君からあんなセリフ聞くのも、あかりの涙を見るのも懲り懲りやわ……。
智子はそう考えていた。
現時点までの放送で、彼らの名前が上がっていないことに、ほっと安堵した。
この分なら、藤田君があかりのことを守ってくれてるんやろな。
あかりを任せておける男なんて、彼しかいないのだから。
ナイトに守られるお姫様……。
不謹慎かも知れへんけど、あこがれるシチュエーションや……。
と、そのような感じに安心していた。
だが、智子は知らなかった。
もう既に、二人がこの世にいないことを。
姫川琴音という共通の知り合い、同郷の人物により浩之が殺され、
あかりがその後を追って死んだなどと誰が予想出来ようか?
目を背けたくなるようなその事実に、
無理矢理直面させられるだろう次の放送まで、
もうそんなに時間は無かった。
「きっと大丈夫ですよ」
マルチは智子の独り言に相槌を打った。
「あの方たちほどお似合いのカップルを、私はまだ見たことがありません」
マルチは満面の笑みでそう言った。
智子は一呼吸おいたあと、マルチのほおをぐりぐりした。
「は、はうう……。変な感じです……」
こいつ、ロボットくせに……。
しかしそうする智子の表情は、マルチとなんら変わるところのない笑顔そのものだった。
しかし、そうしてる間にも事態は刻々と進行していた。
一つは智子の腕だ。
銃弾を受けて傷ついたものの、特に動かすのに支障が無かったため、
簡単な処置だけで済ませたまま現在に至っていた。
「あかんわ……。生兵法は怪我の元言うが、治療とかについても同じや……」
「どうかしましたか?」
マルチが智子に視線を向ける。
「ん、なんでもないわ」
しかし、マルチに心配をかけるわけには行かないと、傷が悪化している事実を隠していた。
そしてもう一つ。
智子の腕の傷など歯牙にもかけない巨大な危険性を秘めた”それ”が、
あとほんの少しのところにまで近づいていたことに、
智子も、マルチも、他の誰も気付いてはいなかった。
「しかしくらいなぁ……、何にもあかりになるようなものがあらへんで……。
……ま、当たり前か」
そう、明かりなどつけていたら、敵対者の絶好の的になってしまう。
あくまでもここが戦場であることを智子は再認識した。
「そうですねぇ」
マルチはそのセリフに相槌を打った。
「うちら、ここ数時間飲まず食わずで歩き通しやん。よう考えてみれば……」
と言ってから、智子はそのセリフの間違いに気付いた。
「うちらやない、うちだけや! あんた水分補給せんでええやん!?」
なにげにマルチをにらむ。
マルチは慌てて言った。
「わ、私だってエネルギーを補給しないと倒れちゃいますよ〜」
「……せやな。でもあんたのエネルギーって電気やん。どうやって補給するん?」
「う〜〜……、確かに充電装置は無いです……」
マルチはばつがわるそうに言った。
だが、すぐに持ち直して言った。
「あ、でもなぜかエネルギー残量はまだまだあるんですよ〜」
どのくらいや、と智子は聞いた。
「え……と、あと一日は問題なく動けるかと」
「一日か……。じゃああんたの心配はせんでもええな」
「何でですか?」
マルチは智子に問い掛けた。
それに対し智子は、まあいろいろあるんや、と言葉を濁した。
――まさか、あと一日自分が生きている保証が無いなどと、
この子に言えるわけが無かった。
「はぁ、そうなんですかー」
いろいろ考えていらっしゃるんですね〜、とマルチは手放しに感心していた。
「そうやな」
智子は自嘲気味に笑った。
「ん?」
智子は突然足を止めた。
「どうしました?」
智子の様子が変なことに気付き、マルチは智子を呼んでみた。
「……今、声がせえへんかったか?」
「……声、ですか」
「せや、声や……」
二人は改めて耳を凝らし、あたりの様子をうかがった。
「…………」
――聞こえた。
確かに、いる。
しかも複数人。
「ど、どうしましょう智子さん!?」
「しっ! 静かにするんや。まだあっちはうちらに気付いてへんみたいやからな。
ここは様子を見るんや」
智子は、口に人差し指を当ててそう促した。
「わ、分かりました……」
マルチもそれに従うように声を潜めた。
「とりあえず脇に隠れるで。こっちにきそうやからな……。
静かに……、静かにや……」
そして、二人は茂みに身を潜めた。
――誰か、来る。