ハレルヤ
よいしょ…っと。
あらあら、わたしもそんなことを言う歳になってしまったのかしら。
そんなつもりはなかったのにね。
それにしても名雪、随分と重たくなったわね。
あら、そんなことを言っちゃ駄目だったかしら。
そんなつもりはなかったのにね。
でも昔はこんなに重くはなかったわよ。
そうね、あの頃はまだ全然ちっちゃかったものね。
それにこんなに大人しくなかったわよね。
いつもわんわん泣いていて、もぞもぞと背中で動いてばかりだったわ。
あの時はまだわたしも若くて、母親として子供にどう対処したらいいか全然わからなかったから、
随分と泣かせてばかりだったわね。
うふふ。今でも手間ばっかりかけているけれどもね。
え、ううん。そんなんじゃないのよ。
そんなつもりはなかったのにね。
大丈夫。
お母さんはもう名雪を泣かせたりしないから。
だから笑ってちょうだい。
お母さん、名雪がそうして笑っていられるのが一番の幸せだから。
もう大丈夫。
大丈夫だから。
背中に名雪を背負いながら秋子は歩き出していた。
ずるずるとずり落としそうになりながらも、しっかりとした足取りで廊下を歩いていく。
―――名雪。
―――ナ雪。
―――なゆき。
秋子の中にはたくさんの名雪がいた。
笑っている名雪。
拗ねている名雪。
怒っている名雪。
困っている名雪。
泣いている名雪。
普段のままの名雪。
小さい頃の名雪。
大人びた将来の名雪。
赤ん坊の頃の名雪。
その全ての名雪が秋子をみつめていた。
そんな中、秋子は冷静に醒めていく自分と、浸ったままの自分が戦っていた。
この世の全てを捨ててまで捧げたはずの名雪が死んだという事実でさえ、
時間がたつにつれて冷静に受け止めようとしている自分の性格が恐ろしかった。
忘れたい―――否、そんなものはありはしないのだと。名雪がいないことなど。消えることなど。
自分の前からそんなことが起きることなど有り得ないのだと言い聞かせる。
名雪はいつも自分のなかにいる。
いなくなるはずがないではないか。
そのはずなのに泣きたかった。
泣いたはずなのに、泣き続けたはずなのに。
今はどうして泣けないのだろう。
どうしてこんなことを考えてしまうのだろう。
怒りは沸かなかった。誰に対して怒りを覚えるというのだ。
例えこの島に生き残っている全ての人間を殺戮したところで―――
ちがう。
生きているのだ。
首を振る。
背中にしがみついていた名雪の上半身が崩れ落ちそうになり、慌てて背負い直した。
ごめんなさい。
落としそうになっちゃって。
起きちゃったかしら。
これくらいじゃ名雪にとっては大した事はないわよね。
そんなつもりはなかったのにね。
この身をズタズタに引き裂きたかった。
この頭をかち割りたかった。
そうでもしないとこんな有り得ないことばかりを考えてしまう。
自分が何を考えているのかを思った。
名雪。
自分の娘。
その自分の娘は今、自分の背中にしがみついている。
大人しいのは眠っているからだ。
そう、ちょっとばかり疲れていて休んでいるだけに過ぎない。
この娘はすぐに寝てばかりいるのだ。
そしてどんなところでも眠っていられるし、一度起きたらなかなか起きてくれない。
随分と苦労したものだ。
この娘を起こせるのは一人しかいない。
そう、たった一人しか。
Hallelujah
?
名雪、歌ってるの?
違うの。
じゃあお母さんの空耳かしら。
お母さんには聞えるんだけど。
Hallelujah
Hallelujah
教会……
クリスマスかしら……
違うわね。
珍しいけど、
あら……
そうなの……
このドレス……
結婚式なの?
いつの間にこんな……
そう……そうよね。
名雪は祐一さんと結婚するんですものね。
ウエディングドレス着るのは当然よね。
綺麗よ、名雪。
祐一さんもきっとそう言ってくれるわ。
はやくマごノカォヲ……
そうだ、こんなことしてられないよ。
祐一を探さないと。
そして私との結婚式をあげなくちゃ。
祐一。
あんまりレディを待たせちゃダメなんだからね。
七年も待たされたんだから。
もう待てないよ。
結婚しようよ。
お母さんもきっと喜ぶよ。
お母さん? そう言えばお母さんはどうしたんだろう?
あれ?
おかしいよね。
お母さんはどこ?
お母さんにも早く見せたいな。
きっと喜んでくれるよね。
誰よりもきっと。
Hallelujah!
For the Lord God Omnipotent reigneth
The Kingdom of this world is become the Kingdom of our
Lord and of His Christ,
and He shall reign for ever and ever,
King of Kings, and Lord of Lords,
Hallelujah!
水瀬秋子は自分との戦いに勝利した。
そこにいるのは死体を背負ったまま祐一を探す、水瀬名雪でしかなくなっていた。