痛み
「あ……やかさん…」
「あ、あら……気がついたの?」
山道を進む綾香が、腕の中のリアンへと微笑みかける。
「……わたし……もうだめだと思います……」
「……………そんなことないわよ」
少し沈黙の後、そう答えてやった。
リアンを蝕む毒と高熱は常人ならば既に死んでいる、というところまで進行していた。
ならば何故耐えられているのか。
力を封じられているとはいえ、体に宿る魔力が生命力をぎりぎりのところで維持させているのだろう。
だから綾香はまだ希望を捨ててはいなかった。
「もうすぐ…町に出るわよ」
その時、ガサリと音がした。
「――――!!」
反射的に体をかがめる。
ぱららららっ……という音と共に、綾香の右手の地面に赤い火花が散った。
「敵襲――!?こ、こんなときにっ!」
銃弾が飛んできたのは左手の方角、正確な位置までは分からないが、
うっそうと茂る森の中から光が走った。
「逃げるわよっ!!」
リアンを抱え、前へと走った。
その瞬間、また光の雨が道へと降り注いだ――。
(あと何人残っているのでしょうか)
弥生は森の中を進んでいた。
先程殺した青年から奪った一番強力な武器――
機関銃はほとんど使われていなかったのだろう、弾薬が充分に残っている。
だが、多ければ50人近くの人間=倒すべき標的が残っているのだ。
(正直今の武装だけでは心許ないですね)
傷ついた目もようやく開けられるほどには回復したが、まだ少しかすんでいる。
ここから唯一人生き残るのは至難の業といえた。
(まあ、それは誰もが同じことなんでしょうが……)
とりあえず、不意をついて一気に仕留めていくのが効率的だろう。
武器は倒した相手から奪えばいい。
(とりあえず標的を見つけなければなりませんね)
ゆっくりと、慎重に森を進む。
やがて、向こう側に山道が見えてきた。
そこに、一人歩く者がいる。
正確には二人。怪我をしているのだろうか、女が少女を抱えて歩いている。
(私は……あんな人達まで殺さなければならないのでしょうか……)
その痛々しい姿に顔を歪めた。それでも、非情に徹さなくてはならない――。
ゆっくりと、二人に狙いを定めて――撃ちっぱなした。
だが……
(……!!はずしたっ!)
女の勘がいいのか、それとも自分の腕が悪いのか……
とにかく、弾丸のシャワーは相手の頭上を飛び越え、地面を穿つだけに終わった。
再度構え、撃つ。
(逃がしませんっ……)
不意打ちに失敗したが、ここで逃がすとやっかいだ。
山道を走り出した女を慎重に、見失わないように森から追った。
「ぐっ!!」
リアンを銃弾から守るように走る。
かすっただけなのか、それとももういくらかもらってるのだろうか……
すでに綾香の体に燃えるような痛みが襲っていた。
「綾香さん!私を置いて逃げてくださいっ…!私はもう…ダメですから……でも…
綾香さんだけなら逃げられます!」
リアンが、苦しそうに、だが必死で叫ぶ。
「そんなのダメよ…二人共生きなきゃ!姉さん達が悲しむでしょ!
…お互い妹って立場はツライわね!」
再度、壊れたプロペラのような音が響いた。
「うっ!」
今度はもっと鋭い痛み。
背中に何か穴が開いたような感触。
よろけながらも必死で走り抜ける。
既に山道は下り坂にかかっていた――。
「……」
――あやかさん!!
リアンの声がすごく遠くに聞こえた。すぐ側にいるのに。
(あはは、私お漏らしでもしちゃったのかしら…カッコ悪いわね)
気がついたら、綾香の下半身がべっとりと濡れていた。
背中から少しずつ感覚が無くなっていく。
――もう、私はいいから逃げてっ!!
(だからダメだって言ってるのに…)
また銃声が聞こえる。
(あ、今度はなんかクラッと来た……)
そして、山道を過ぎたのだろう、幾つかの民家が見えはじめた。
一か八かの賭けだった。
かすみゆく目の端にとまった黒い車の窓の中、鍵が置いてあるのが見えた。
高槻はおそらくゲームを盛り上げる為にいくつかそういったアイテムを用意してあるのだろう。
それは家の中に置いてある包丁だったり、今回のように車の鍵だったりする。
もしかしたらどこかには銃器が隠されてあったりするのかもしれない。
だが、今となっては当の綾香にはもうどうでもいいことだった。
(り…あん…いい、ここからは……私一人でやるから…)
リアンを半ば転がすように草むらへと放る。
――あやかさんっ!!
運転席のドアを開け、綾香が乗り込む。
ビシャリッ…座ったとき水をかけたような音が妙に耳に残った。
エンジンをかけ、前を見据える…
もうほとんど見えなくなっている視界に長髪の女を確認する。
(姉さん……ごめんっ!!)
目の前が光ったかと思った瞬間、フロントガラスに幾つもの銃痕が刻まれる。
同時に、粘ついた液体が窓の内側に飛び散った。
それでも最後の力を振り絞ってアクセルを踏み切る!
目標は長髪の女――!!
「こん――ちくしょう!!!!」
次の光を見た瞬間、視界が赤く染まった気がして、綾香の意識が閉じた――
「――!!」
弥生は山道の出口付近から激しく砂埃を上げながら突進してくる黒いBMWを迎えうつ。
止むことのない銃弾の雨。
ボンネットに無数の穴が開き、フロントガラスが割れ、前輪が破裂する。
ドガシャアッ――――!!
道を大きくそれたBMWは民家の中へ突進し、激しい爆音と共に炎上した……
しばらくその赤い炎を見つめた後、機関銃を構えながらゆっくりと進む。
草むらで倒れている少女のもとへ。
「……あなたは逃げなかったのですか?逃げられなかったのですか?」
既に泥にまみれ薄汚れた眼鏡の少女を見下ろす。
「……たぶん、両方です……」
力無く、リアンが呟いた。
「……もう、動けませんから……
がんばっても、動けないんです。それに、綾香さんを置いては行けません」
弥生もそれで気付いた。リアンの腕が紫色、いやどす黒く変色していることに。
今の激しい動きで一気に悪化したのだろうか、それとも元々だったのだろうか。
それは既に体にまで侵食していた。
「あなたの瞳…すごく、悲しい瞳をしてます……」
「ただ、死にいく人に同情しただけですから…そう見えただけでしょう?」
「でも…泣いてる……じゃないですか」
「……」
苦しそうに息を吐きながらさらに続けた。
「あなたは――悲しい人です」
弥生は何も言わなかった。
「ごめんなさい、綾香さん……スフィー姉さん…もう一度――会いたかった……」
そしてそのまま意識が途切れた。
リアンのその顔へと銃口を向けたが――結局は撃てなかった。
(それでも私は生きて帰らなければいけないんですよ……)
ほんのわずかな時間であったが……
リアンが息を引き取るまでの間だけ、少女を優しく抱いてやった。
036 来栖川綾香 100 リアン 死亡
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