天を衝く剛拳! セバスチャン降臨


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長瀬源四郎という男について語ろう。

この男、ゲームを裏から支配する長瀬一族の中にあって、
その筆頭たる長瀬源之助と同格の地位と実力を持ち、尚且つ長瀬源五郎の父でもある。
その老成された知略智謀を糧とした手腕、そしてにもかかわらず今尚保たれているその若々しい強靭な肉体。
まさに長瀬一族における”最強”の名を手にするにふさわしい存在といえる。
彼のもつサバイバビリティは、すでに長瀬源之助を超えるところであり、
その彼が長瀬の長たることを拒み沈黙を守り続けていたのは、源之助の持つ”魔法”、
そして彼自身のその性質に拠るものだろう。
勘違いしてはならない。
彼は王としての器とカリスマを兼ね備えている。
だが、彼の心の中で全ては決着づいている。
彼が仕えるものは後にも先にもただ一人、そして彼は群れをなすことを嫌った、
ただそれだけだった。

彼は自分自身の能力というものに深い造詣があった。
それは単純な固体戦闘力とも称すことが出来たかもしれない。
目を見張るほどのそれを彼が備えていたことはいうまでも無いが、
そもそもそれは彼が生来持っていた恵まれた身体能力と、
それに付随したようにあった天性の資質に拠るものだった。
彼自身、その自分の体というものの限界を追求していった。
彼は自分が持っているもののすばらしさに慢心して、
それをさらに育てるということに怠慢であったわけではなかったのだ。
彼は全てに誠実で、純粋に向上するということに努めたのだ。
そう、いわゆる彼は天才であり、そして努力家だった。
鍛え上げられた肉体を執事の衣装に包み、一見普通の執事長を装ってみたものの、
彼の本質がそれだけでないことは明白だった。
だがそれもまた彼の本質、忠実なるセバスチャンは常に全てに厳格で、
公正で、そして誠実だった。

だが、心の深奥に閉じこめられた獰猛な気性はけっして消え去ったわけではない。
彼は正しく制御された番犬などではなく。
常に孤独な一匹狼でありながら唯一つの信念の元に行動する、
まさに羊の皮をかぶった狼……いや、猛虎にも等しかった。
彼を少し知っているものは言うだろう。

『あんたほどいかつい執事は見たことが無いぜ。なあ執事長?
 あんた執事長なんて言って実はどっかのバーかカジノのバウンサーのコスプレしてる
 だけなんだろう?』

確かにその強面と剛健な体つきを見れば無理は無い。
そんじょそこらのごろつきならば、
彼が一喝するだけで蜘蛛の子を散らすように退散することは間違い無い。
だからその物言いは得てして的を得ているといえるだろう。
正直なところ、執事という職務が果たして自分に適応したものなのか?
と問われたなら、もっとも早く首を傾げただろう人物が彼自身なのだから。
彼がもっとも得意とするところ――声を高らかにして言うことでもないが――は
紛れも無く格闘、もっと言えば肉弾戦、尚且つ広義の意味に於ける戦闘であったなどと
いうことはもう分かりきったところだっただろう。
肉体の鍛錬のみを目的とする修行では、
体格の見栄えをよくすることが出来ても実際の戦闘に在って最重要とされる、
時流に乗った運や闘いの勘が備わることが無い。
場数を踏んだものが強いのはこの基本にして深遠な真理によるものである。
キャリアとは下積みの事を指して、
その範囲における努力と忍耐の果てに得たものの証明であり、
その結果を賞賛するいわば尊称にも似たものであるが、
必ずしもそれが自分の意志によるものであったかどうかは、
その人間にとってはまた別の問題なのだ。
長瀬源四郎は他人に認められるために努力したわけではない。
彼にもまた同じことが言えた。
結局のところ闘う理由というのは個々人によって違うなどという、
至極当たり前な結論に戻ってくるだけなのだ。

かつてあった激動の昭和、戦争が全てを奪っていった。
数知れないほどのものが、命が失われていった。
生きるためには泥をすするようなこともいとわなかった。
そんな時代が平和ボケした今のこの日本にも存在していたなどと誰が分かるというのか?
いや、分かるわけが無い。
彼がすすった泥の味など、彼以外の何者にも分かるわけが無いのだ。
そして状況は常に彼に強く在ることを求めた。
弱く在る事は許されなかった。
では何がそれを許さなかったというのか?
周りが許さなかった。
世界が許さなかった。
そして、自分が許さなかった。
彼は俗世の荒廃した雑踏に揉まれることになる。
弱いものも強いものも何者にもかかわらず、ただただひしめいていたそこに。
何を以って強者と為すか弱者と為すか、
そんな基準が線引きされていたかどうかなどは誰にも判断のつかないところにあった。
だが少なくとも言えることは、
そこに強者と弱者という概念が在ったとしても間違いなく勝者は存在しなかった。
では全てが敗者だったというのか?
そうであったかもしれない。
彼らに本質的な意味の差は無かった。
強くても弱くても、生きている限り彼らは常に同じラインに立っていたのだから。
ならば勝者の無い闘いに敗者がいるわけは無い。
結局、混沌の戦場をただ終ることを待ちながら佇むことしかすることが無かった。
そう、生き残ること、それこそが真の勝利だった。
彼は彼自身の豪腕でその地域における支配階級とも呼べる地位にまで上りつける。
もっともそれも所詮は闇の中で蠢くみすぼらしい子供若者の群れの中でのことだったが。
そんな彼に転機が訪れる。
それが当時の来栖川家御曹子――現在の来栖川財閥総帥――たる男との出会いだった。
源四郎はまさにその時足掻くだけでは届くはずの無かった領域へその指を掛けたのだ。
忠誠というものを知らなかった狂犬は、
初めてそこで自分を受け止められるだけの器を持った人間に出会った。
新生する自分自身、新しい戦いの始まり。
彼が知らない世界、来栖川という入り口をきっかけに
彼はその更なる未知へと足を踏み出したのだった。

時が、流れる。
時代はもう一度彼に戦いを要求した。
誰のためでもない彼自身。戦いのための戦いを。

「本当に行くのか?」
「うむ」
高い空の上。聞こえるのは二人の話し声。
「我らは戦いに干渉しないと誓ったばかりなのだがな」
「別にゲームに参加しに行くのではない。ただ……うずくのだよ」
源四郎は拳を握り、反対の手でその手首を抑える。
「わたしの血が」
「……困った男よの」
源之助は苦笑いを浮かべる。
「闘いに関しては、おぬしがもっとも心得ているところじゃからのぅ」
「私がいなくとも、源之助、貴様がいれば”長瀬”は動く。問題はない」
「じゃが、もう参加者も3割に減った。無駄な殺しは顰蹙を買うぞ、あれに」
「私が求めているのは純粋なる闘いだ。その結果死するようなことがあれば、それは誰に
 も文句を挟めるところではない」
「愚か者が。その行動の果てに長瀬に連なるものと遭遇したらどうするというのだ?」
「私に長瀬を問うというならば、それは来栖川を優先した前提でのことだ。
 はっきり言おう。このゲームは全てに平等なのだ。
 私……いやわしからそれを切り落とした人間に、いまさらそのような薄甘いものを
 ちらつかされても全くどうとも思わん」
源之助は押し黙る。

「私は、ただ昔に立ち戻っただけに過ぎないのだからな」
源四郎は立ち上がった。
「それに、もうそろそろなのだろう。あれがもつのも」
「……むぅ」
「もしもの時のためにも、貴様はここにいねばならぬ。時が満ちるまで、な」
「……全能者でなど誰も無いのだ。それは我らも、このゲームの参加者も、
 そしてあれであってもな」
「それだからこそ、我らの存在が意味在るものなのではないのか」
「……”魔法”も”羽”も”封印”も、所詮は全てうたかたに過ぎない」
「ならば、余計に私は私のやりたいようにやるだけだ」
「……おぬしがやられるようなら、はじめからこのゲームは成り立たんわ」
ふっと源之助は笑った。
その脇を黙って源四郎は通り過ぎる。
が、少しいくと立ち止まった。
「……一つ忘れていた。高槻がいない今、”あれ”は源五郎たちの任せきりということに
 なっていたのだが、どうする?」
源之助の眉がぴくっと上がる。
「あれ……か。ことによっては羽などよりも脅威になりえるかも知れぬ。だが雲の上の
 我々では手を下すわけにも……お主がいくというのか?」
「……考えておこう」
再び源四郎は歩き出した。

「とりあえず、今私の目にとまった武人はあの男一人なのでな」

日時にしてゲーム開始から三日目、時刻にして早朝5時46分のこと。
打ち砕かれた忠誠は、再び彼に一人の武人たらんとさせたのか――。
――絶海の孤島に一人の影が降り立った。

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