天を衝く剛拳! 闘いの幕開け
たったの二日で何が変わるというのか?
いや何も変わるところなどない。
例えそれまでの一体何がこの島を支えていたかを、
知っていようが知っていまいが構わない。
結局のところ人がこの巨大な島の上でいくら戯れようと、
この島自体を動かせるわけも無く、また動いてくれるわけでもない。
ただ、静かに在るだけ。
自らの上に喜びを、嘆きを、怒りを、悲しみを、苦しみをただ浮かべるだけ。
所詮人間の営みなど小さいもの、
自分たちを取り巻く広大な世界と時間の中の単なる一点に過ぎない。
そう、世界は常に冷たいのだ。
……源四郎は思索する。
それは純然たる意志を秘めたるもの故のそれ。
この島において唯一ただ闘いの為の闘いを求めて在る者の孤独。
それを言うならば人は最初から孤独の中にあるのかもしれない。
しかしその同じ状況を共有しているはずの”彼ら”とは、
明らかな次元の違いを呈すその思惟。
覚悟とも違う何かを、この50年で源四郎は培ってきた。
降り立った島の南端は時節に合わないらしくなく冷たい風が吹きつけ、
岸壁に打ちつける波もまた高く荒ぶっていた。
早朝のそこは誰しもが初めて見る様な顔を見せる。
源四郎は岬にパラシュートを捨て置くと、
そのまま”彼”のいる方向へと駆け出していた。
高空でのセンサー探知により大体の位置を把握している故に、
彼――源四郎――の足並みに全く迷いは無い。
平地を行く、草原を行く、街路を行く、森林を行く。
恐れるものなど何も無い。
死角から放たれる銃弾も、足元に潜む伏兵も、そんな小細工など端から目ではない。
闘い!
そう、真の斗いを私が望んでいるのだから。
かつてセバスチャンと呼ばれた男が、当所ない無明の荒野のごときそこを駆ける。
まるでそこは戦後の焼け野原にも等しい、
昔の彼がいたところにその気配を酷似させていた。
”セバスチャン”が生まれたのは源四郎の人生の中でも相当新しい時代のことだ。
総帥の孫に当たる芹香嬢に与えられたその名は、新しい生きがいにもなった。
源四郎にとっても彼女は愛孫のような存在であった。
誰でもない、もっとも彼女を見てきた人物が源四郎だったのだから。
彼女の成長は常に自分と共に在ったのだから。
彼が仕えるべき姫は、もうそこに座していたのだ。
行き過ぎた教育と保護によってすっかり箱入り娘となってしまった彼女を、
この18年彼は守ってきたのだ。
そしてもう一人の愛孫も帰ってきた。
ほとんど日本におらずその成長を共にすることは無かったものの、
そんな思いを杞憂に終わらせてくれるほど、強く明るくたくましく帰ってきてくれた。
来栖川綾香、芹香の妹である。
アメリカ育ちはなかなかにお転婆で手を焼かされた。
だが彼女自体は正に非の打ち所の無い人間であった。
芹香を静とするなら綾香は動、二人の子はまるで鏡に映したように正反対に……、
だが二人とも素晴らしい人格、美貌、知性を備えてくれていた。
少なくともその誕生に居合わせたものの一人として、
その事実が何ものにも代えがたいほどの喜びであったことはいうまでも無い。
綾香は……彼女の才能は非常に多岐に渡り、
その天賦の才は格闘という領域にも向けられ、見事に開花した。
唯一欠けていたかも知れないしとやかさを備えさせる為の稽古事からは悉く逃れられたが
せめてその分野だけでも”私”が見てやりたかった。
いや、違う。相手をしてやりたかったのだ。
彼女はエクストリームの頂点にその若さで昇り詰めた。
しかし世界は広い。
自分以上の強者などどこにでも潜んでいる。
そして”彼女”もそれをよく理解していた。
だからこそ一人の闘人として、私が彼女の相手を務めてみたかった。闘って見たかった。
間違いなく勝つのは自分であっただろう。
しかし彼女はそこで留まる器ではない。
その闘いから得たものを吸収、昇華し更なる進歩を遂げ、
そしてそう遠くない将来私のいるラインに追いつき、
そこを通過していってくれることはもはや目に見えていた。
戦場というものを知らないだけ、彼女は武人の境地に辿り着きかけていた。
故に、悔やまれる。
彼女にふさわしい死地を用意して差し上げられなかったことに。
その闘いの相手が自分でなかったことに。
最高の次元で、ギリギリのレヴェルで凌ぎを削ることの楽しさ
――もう彼女は知っていたかも知れぬが――を伝えられなかったことが……。
死を神聖視するつもりは毛頭無いが、
むしろそれを言うならば私はこのゲームそれ自体に耐えがたい嫌悪を抱いている。
闘いをゲームとしか、命を駒としてしか見ることが出来ぬ者と、
そもそも反りが合うわけが無かったのだ。
――そう、私は長瀬源之助という男を全くといっていいほど知らない。
長瀬の集合体が発足していたのはこの十数年のことだった。
だが既にこの身は来栖川に捧げたもの。
尚且つ私は天涯孤独とも言うべき状態にまで追い込まれた身。
いまさら血の縁を問うというならば、そんなものは来栖川に対する忠誠の前に霞む程度。
それ故に私は”それ”への参加の要請を頑として突っぱねてきた。
ごく最近に生まれたFARGOなる組織については、
来栖川のネットワークによりその存在を突き止めてはいた。
所詮堕落した人間の末路にしか過ぎぬものと捨て置いたものが、
よもや長瀬と連なるものであったとは思慮の及ばぬところであった。
そして私はゲーム開始に際して、”長瀬”への復帰を余儀なくされることになる。
この十数年放置しておきながら、私の存在はそこに大きな影響を与えていたようだった。
そこにいたのは見知らぬ顔ぶればかりであった。
しかしそれ以上に驚かされたのは、
息子の源五郎が研究者としてここに参加していたことだった。
自体は私の関知しない水面下で刻々と動いていった。
そしてとうとうそれは開始される。
下卑た思想の元に仕組まれた殺人ゲームと、その背後に隠された実験が。
今回のゲームには、新たにその要素が加わっていたのだ。
”長瀬”とFARGO代表の相談の結果、100人の一次適正者が選別される。
――羽根に連なる要素を持ったものを見つけ出すために。
計画は仕組まれ、意図は課され、そして強制力は無常にそれを行使する。
それは我ら”長瀬”にとっても例外ではなかった。
まるで我々の存在の意味が、
それらを監視する為だったと言わんばかりに選ばれる人々の面々。
私にとって言うならばそれは来栖川姉妹であった。
長瀬は血を尊ぶ。
故に参加者に混じってしまった長瀬の縁者は、彼らに近しいものの談判により、
それなりの措置が与えられた。
私は……既に凍っていた。
彼女たちを守ろうとする前に、セバスチャンは滾る血の予感に凍っていたのだ。
来栖川も動かなかった。
それは即ちこのゲームを容認したことを意味していた。
その血を継ぐべき少女2人が参加していることを知ってか知らずか、
――いや、知らないはずが無い。
遠く海の彼方にいらっしゃる旦那様方に進言することもままならなかった。
肥大した来栖川グループは、
既に欲にまみれた人間にその頂を埋め尽くされていたのか……。
総帥、来栖川翁が病床に伏したのも丁度その前後のことだった。
”私”を受け止めていた器は、もう失われたも同然だった。
そしてそこに付け込もうとするもう一つの意識。
ゲームの管理者になり切らせようとする意図。
もっと……前から干渉してきていたその異物がようやく形として”分かる”。
――この時ほど、
全てを知ったように微笑する源之助を叩き伏せたかったことは無かった。
純然たる意志の前に、そのような外部の干渉など全くの無意味だ。
外郭をはがされた私は、ただただ純粋であったあの頃の自分へと立ち戻った。
……何ものも、そこまでしか立ち入ることは出来ない。
だがもはや、生きるのに精一杯で世界の何をも知らなかった無知な少年はいない。
今ここに在る純然たる意識、それこそが真にして裏表の無い長瀬源四郎そのものなのだ
――そして、そこに至る。
「……誰だ貴様は?」
厳かに問う声が響く。
低音だが張りの在るそれからは、その人物の気迫が伺える。
「長瀬源四郎と申す」
「……知らん名だな。このゲームの参加者では無いな?」
「如何にも。ただ貴殿との斗いを望み、その為だけにここへ参った」
「俺……と?」
源四郎がこの島へ上陸して一刻ほど。
彼は全く無駄なくここで彼らと出会ってしまった。
「(・∀・)……蝉丸ぅ」
「大丈夫だ、下がっていろ」
「(・∀・)……うん」
源四郎はその様子を見た後、長いスタンスを取ると正拳突きの構えを取った。
「……格闘家か」
「私はゲームによる殺し合いでなく、戦いのための闘いを望んでいる故に、な」
源四郎は不敵に笑った。
「……ならば、俺もこんなものを使うわけにはいかんだろう」
男――蝉丸――は懐から銃を出すとそれを鞄に入れ、刀と共に月代に投げ渡した。
「(・∀・)わ……!」
思いのほかに重いそれを受け止めて、月代は少しよろめいた。
「そこの少女を狙うような真似はせぬ。思い切り闘っていただきたいものだ」
「(・∀・)いいの? 蝉丸?」
「このように決闘を申し込まれて受け入れないなど、
武人として、いや男子として恥ずべきことだ」
蝉丸も――彼にしては珍しく――獰猛に笑った。
「……一つ聞きたい。なぜあなたは俺の位置を特定できた?
そう言う装置でもあるというのか?」
蝉丸は率直な疑問を言った。
「簡単なことよ、全ては決まっていた。いや、私が決めたのだ。
おぬしと私が合間見えることは決定事項だったのだよ」
「……」
「いまさらそんなことを問うても詮無い事。この闘いに集中してもらいたい。
気を抜けば……おぬしは死ぬ」
「……それは大そうなことだ」
言って蝉丸も構えた。
脇を締め高い位置のガードを保つ、マーシャルアーツスタイルの構え。
「用意はいいな。ならば――」
一瞬の静寂が流れる。
蝉丸も、源四郎も、月代も口を閉ざし。そこから音が消え失せる。
……この男から感じる懐かしい匂いが、私を惹き付けたのやも知れぬな。
「――いざ!!」
そして、闘いの幕は上がる。