天を衝く剛拳! 昂揚の瞬間


[Return Index]

――決まった。
蝉丸は攻撃の反動を利用してスッと後退した。
ぼうっとしてはいられない。
一発入ったとはいえ相手が相手。
今この瞬間にも反撃が来る可能性を否定できない。

顎を打ちつけられた源四郎は、一瞬その姿勢のまま硬直していた。
だがすぐに顎を引き、口からペッと血を吐き出した。
「良いな……。同じ鉄を踏まぬどころか、さらにその上を行く攻撃を見せてくれおる。
 やはり、私の目に狂いは無かった……」
口元を拭いながら源四郎はそう言った。
その口調は、そこはかとなく嬉しそうに見えた。

蝉丸は油断無く構えている。
「……だがその拳、果たして私を打ち倒すに至るか?」
「何?」
言うが早いか、源四郎が蝉丸の視界から消える。
蝉丸は視線を空に向けた。
太陽の光を遮り、黒い影が迫る。
音も無く、助走も無く、源四郎の巨体が宙を飛んだのだ。
「むぅん!」
約2メートルの高さの跳躍から放たれる跳び蹴り、その破壊力は推して知れよう。
「くっ」
蝉丸は両腕を胸の前で交差し、十字受けの形を取る。

――そこに、一瞬の葛藤。

俺はこの攻撃を受け止めるべきか?
あの巨体から繰り出される技、全てに十分な重さが乗っている。
……十中八九、防御しきれん。
それならばあえて寸前で回避し、大技の隙を後の先を取るがごとく撃つ。
その方が確実ではないか?

――その瞬末、蝉丸は決断した。

体を大きく右に開き、源四郎の跳び蹴りを避ける。
高角度の軌道であったその蹴りは、上下の体捌きでは避けさせてくれなかった。
「ふっ!」
回避の運動で生じた右回転の力を利用し、蝉丸は一気に後ろ回し蹴りを放った。
源四郎の背中はがら空き――。

「ぐはぁっっっ!!」
見事に後ろ回し蹴りが決まった。

――源四郎の左後ろ回しが。

「(・∀・)な、なんでぇっ!?」
月代には、蝉丸が吹き飛ばされることになるその死角が見えていなかった。
源四郎が着地した際の右足、それを軸に、上半身の回転を用いずに放った反対脚の蹴りは、
たっぷりと遠心力の乗った蝉丸のそれに勢いのよさで一歩譲るものの、
技の発生の早さについては一歩勝っていた。
頭部にヒットした蹴りが、蝉丸を体ごと吹き飛ばした。

「……ぐっ」
源四郎に追撃してくる様子は見られない。
だがそれに乗じていつまでも寝ていられるほど、蝉丸は冗長な性質ではなかった。
頭部への直撃によって、一時的に意識が朦朧とする。
ふらつく視界の中に厳として立ち在る黒ずくめの執事が、蝉丸にはその体以上に大きな人間に見えた。

一方の源四郎は、何事も無かったかのように、ずれた蝶ネクタイの位置直しをしている。
やっていることはあまりにも普通で日常的なことなのだが、
実際には高い森の中で殴り合いをした後に人を一人蹴り倒してからやっていることだ。
だがそれでもなお老人にとっては、それすら日常のことに過ぎないと言わんばかりに
周囲と妙に調和した仕草をしていると月代は感じた。

「……いつぞやの小僧を思い出すな。あれはもう死んでしまっていたか……。
 あの程度使えることなど当たり前のこと、早々に終わってくれるなよ。
 これでも私は期待してここにいるのだから」
蝉丸の回復を待っていると言うのか、未だ源四郎に攻撃の意思は見られない。
蝉丸は呼吸を早め、頭……意識を平常に保つことに努めた。
あの一瞬に、老人は後ろ回し蹴りを後ろ回し蹴りで返すなどと言う芸当をやってのけた。
力や技以上に、恐るべき闘いのセンスを持っている……。
紛れも無く、この老人は天才だということが、骨身にしみて分かった。
その口調、物腰から歴戦を生き延びた百戦錬磨の猛者であることはうすうすながら伺えていたものの、
この時代、この高齢でこれほどの手練れが活きているという事実は、蝉丸の認識を越えたものであった。
だが、それは必ずしも相手に対する恐れにつながるものではなく。
蝉丸は、それを知って昂揚していく自分を感じていた。
より強い相手と戦うこと、それはある種の人間には娯楽にも等しいことだった。

立ち上がり、再び構えを取る蝉丸。
それを確認した源四郎も、改めて構えを取る。
だがその構えは今までのような、長く体を開いき局部に溜めを作る、
動性の少ないそれではなかった。
脇を締め、膝を柔らかく、スピードを乗せた動きが為されるよう考えられたものである。
一見すると、それは蝉丸の構えにも似ているような気がする。
とりもなおさず、それは源四郎が能動的な攻撃に移ることを示していた。

「先手後手の取り争いは、これで終いよ」
軽やかにステップを踏む源四郎。
月代の目に映ったそれは、蝉丸と同じくらいに機敏な動きに見えた。
「仕切り直しですらない。ここからが本当の斗いであると心得よ!」
「望むところだ!」
蝉丸の返事には、いつになく覇気がこもっていた。

「その意気や良し!」
その言葉を合図に、二人は同時に地を蹴った。
「うおおおおおおおおおお!!」
「ぬうううううううううう!!」

パアアァァァァァン!!

裂帛の気合と共に、拳と拳が激突する。
弾かれた大気が軋み音を上げる。
だがそれは不思議と痛々しい叫びではない。
むしろ空間それ自体すら、二人の気にあおられて昂揚しているようだった。

[←Before Page] [Next Page→]