大いなる誤解


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ばさばさばさ…
羽音を響かせ白鳩が頭上を越えて行く。
一見すると爽やかそうなイメージを感じさせる、明るさを増していく空をバックに
飛び去る鳩。
詩子は鳩を見送りながら、しょぼつく目を瞬きし、ほぐしていた。

(衰えたものね)
まるで手練の職人が嘆くように首を振り振り考える。
(茜ある所に詩子ちゃんあり、と言われたあたしとした事が…)
ちなみに、実際言ったのは本人であって誰かに言われたわけではない。

見晴台で発見したものの、詩子は茜に遭遇する事ができなかった。
さんざん彷徨った挙句にどうにか掴みかけた尻尾を離してしまったようだった。

(どうにも釈然としないわ…
 ひょっとして、あたしが茜を発見する能力って封印されちゃってるのかしら?)
しまいに自分を超能力者扱いしはじめる詩子だったが、それでも諦めずに探索
を続けている。
基本的に茜が無意味に悪路を選ぶ可能性は低い。
何かの障害でもない限り、てくてくと平地を歩いていくのが彼女らしい、そう判断
して駆けずり回ったのだが…発見できなかった。

ある程度移動し、手ごろな木を発見しては登ってみる。
周辺を見渡して見当をつけ、再度走る。
それを、もう何度繰り返しただろうか?
(ったく、猿じゃないんだから…)
十数本目になるであろう木に登りながら詩子はぼやく。
しかし、今回は当たりだった。

その視界の中、遥か遠くに求めるものを発見したのだ。
木々の割れ目の更に先に、姿を現した小さな建物-----ステンドグラスの窓と、
鐘がある-----すなわち教会に吸い寄せられるように歩いていく亜麻色の髪を
した少女を。

教会で休憩でもするのだろうか?
今駆け出せば、きっと追いつけるはず。
そう自分を励まして、詩子は木から飛び降りた。
会ってそれからどうする、というビジョンは全くなかった。

それでも、会わなければ何も始まらないから。
詩子は躊躇うことなく木々を抜け、颯爽と駆けて行った。
(茜ある所に詩子ちゃんあり、よ)



「はあー…」
盛大に溜息をついたのは疲労のためもあるのだが、むしろ安心したためだった。
いろいろ勝手な予測はしていたものの、繭の変身前(?)は祐一の予測を遥かに
上回る見事なまでの子供っぷりで手を焼いた。

叫ぶ、泣く、うろつく、何言ってるか意味不明。
嬉しい時も悲しい時も、怒れる時もみゅーみゅー叫ぶのである。
そして久々に静かになったと思えば…寝てしまっていた。

変身後(?)は変身前の記憶があったようなのだが、変身が解けると変身中の
記憶は役に立たないのだろうか、祐一に懐くのさえ時間を要した。
…変身中も懐いていた、という表現は相応しくなかったが。

(こんのクソガキが!)
無理矢理きのこを食わせようと試みて噛まれたあとを苦々しく見つめ、考える。
正直言って、今の状態は危険だ。
危険を危険と認識しない人間が安全でいられるわけがない。
いくら噛まれようと、やはりきのこを食わせない事には命に関わる。

(いっそ今のうちに食わせちまうか…)
そんなことを考えていた祐一のシャツを、繭がぎゅっと掴んで引っ張る。
「みゅー…さみしいよ…」
夢でも見てるのだろうか、苦しそうに悲しそうに顔を歪める。
「繭…」
思わず怒りを解いて繭の髪を整えてやる祐一。
「浩平さん、七瀬さん…!」
悪夢だろうか?うなされている。
見ていて心配になるほど、辛そうだ。

反転して以来、保護者意識が芽生えたのか、祐一はうなされている繭の頭を
撫でながら見守る。
「みゅー…」
「あー、もう、仕方ねえ奴だな」
シャツがのびのびになってきたが諦めと共に許していた。
こっちのほうが可愛げあるかもな、などと蹴られそうな感想を漏らし苦笑する。
そして-----好きにしろ、と思った瞬間を見計らうように。
繭は叫び、掴んだ手をぐっと握りなおした。
「みゅーーーーー!」
「痛てててててて!肉を掴むな!肉を!」

すぱーん、と。
頭をはたく音と、二人の絶叫が鳴り響く。
「こんのクソガキが!」
「みゅーーーーーーーーーーーーーー!!」



ふ…と目を開ける。
無意識のフィルタを透して声が聞こえる。
ばさばさと、藍色の空を白い何かが切り裂いていく。
(あれ…?)
なつみは、寝てしまっていた。
ひとり身を潜め、何時来るとも知れぬ仇を待ちつづけるうちに緊張は萎え
疲労に身を沈めていたのだろう。

待ち伏せを狙ったために発見されにくい場所に潜んでいたのは幸いだった。
頭はまだ霞がかかったようだが身体はスッキリしていた。
(そうだ…今の声、なんだろう?)

トカレフを片手にくるりと振り返ると。
泣き喚く少女が突進してきていた。
「みゅーーーー!やだよー!」
「待ちやがれクソガキ!」
年端も行かぬ少女を怒りの表情で追いかける少年がすぐ後から迫っていた。
「!?ととと、止まりなさいっ!」
混乱したなつみは、事態を収めるために銃を構え立ち上がるが-----遅かった。



「うわわっ!みゅー!」
「きゃあっ!」
驚いた少女はそのままなつみに突っ込んでしまったのである。

「うお!」
踏みとどまった少年が一番早く情況を理解した。
「済まん!俺達は誰かを傷つけようって意志はないんだ!
 とにかく、そのガキを捕まえてくれ!そいつ自身の命に関わるんだ!頼む!」
「え?え?ええ?」
混乱の中の命令は全てに優先される場合が、ままある。
なつみはもつれ合いながらも、どうにか少女を捕獲する事に成功したのだ。

「はあー…」
再び安堵のためいきをつく祐一。
視線に気付き、武器を-----見かけは水鉄砲なのだが----置いて両手を上げ
説明する。
「俺は相澤祐一。そいつは椎名繭。
 二人して女の子を探してるんだが、ちょっとしたこころの問題で朝からマラソン
 するはめになったんだ」
なつみはこころの問題って何よ、と思ったがみゅーみゅー喚いてもがく少女を
見るとなんとなく理解できたような気がした。

理解の光を感じ、祐一は更に言葉を重ねる。
「鞄を開けて、きのこを…いや、薬みたいなもんなんだが…食わせてもいいか?」
「構わないけど…嫌がってるみたいじゃない。
 ホントにまともな薬?じゃなくてきのこ?なの?」
「いや…全然まともじゃないんだが…
 ああくそ、説明すると長くなるが、その間絶対手を離さないでいてくれるか?」



規則正しい呼吸と共に幾千本の木々を背後に流しただろう。
詩子は目指す道のりの半分以上を走破していた。
あともうひと頑張りね、と自分を励まし速度を上げようとしたその時、人の気配を
感じて立ち止まる。

(ちゃ、ちゃんと抑えててくれよ!)
(そんなに簡単に言わないでよ、暴れて大変なんだから!)
(みゅ、みゅーーー!!)
どうやら三人。男一人に、女が二人。
年上の女が年下の女の子を押さえつけているらしい。
そして男の声は-----祐一?
なんだか穏やかでない会話に眉をひそめ耳を澄ます詩子。

(ジジー)
ファスナーの音。
ええ!?と詩子は身を硬くする。

(だ、だすぞ!しっかり抑えてろよ!)
(解ってるから早くやっちゃってよ!)
(やだ、いやだよ、みゅー!)
ちょ、ちょ、ちょっとちょっと!何やってんのよ祐一!?
詩子は顔を赤らめて動揺した。

(きのこを食わせるだけだ、暴れるんじゃねえっての!)
(みゅー!やだよ、おいしくないんだもん!)
(早くしてってば!)
き…きのこってアンタ…詩子の頭は真っ白になっていった。

(口を開け!突っ込んじまえば何とかなる!)
(う、うん、噛まれないように、気をつけてね!)
(みゅ、みゅーーーー!)
…認めたくない。
確かに祐一はロクデナシかもしれない。
それでも、こんな事をする奴だとは思えなかった。
思えなかったが-----放ってはおけない!

決意を胸に、詩子はたっぷり助走をつけ声のする方へ向かって跳躍し、叫んだ。

「この、ド外道がァーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

強烈無比な詩子ちゃんキック。
それは狙い違わず祐一の後頭部に炸裂した。
-----大いなる、誤解と共に。



「…迷惑、かけたわね」
後頭部にこさえた巨大なタンコブから湯気を出して、地面に顔を埋めている祐一
に向かって怜悧な声が放たれる。
少しだけ、顔が赤いのだが祐一以外には判別できないだろう。

なつみと詩子は、ぽかんと口を開けて放心していた。
「「え、えーと…」」
一瞬、静寂が一帯を支配する。
そんな中でむくり、とゾンビのように祐一は起き上がり、怒りに燃える目で詩子を
睨みつける。
そして後頭部から、湯気を立てたまま重々しく口を開く。
「…で、どういう了見なんだ?」

その声を聞き、跳ねるように詩子は答える。
「そ、そうよ!茜よ!今なら追いつくわ!走るのよ!」
追求を避けるためか必要以上に慌てて詩子はまくしたてた。
「な、なに!?」
「なんですって!?」
驚く二人を制して詩子が畳み掛ける。
「いいから!早く!とにかく走るのよ!」

詩子が真っ先に駆け出し、それを追うように祐一と繭が走る。
釣られるように、遅れて駆け出した一人が。
三人と相反する意志を胸に秘めている事を知る者はいなかった。

何故なら、本人すらその名に仇を重ねる事はなかったのだから。

【043里村茜 教会へ】
【001相澤祐一、046椎名繭、079牧部なつみ、099柚木詩子 教会へ向け疾走】

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