忘れていた事実
まず光。
そして爆発音。
爆風。
遅れて降り注ぐ土砂。
予測していたとは言え、その規模の大きさに驚きながらわたし達は走った。
迂回しながら高槻のいた岩を目指す。
爆風と土砂に妨げられたのだろう、大きく遅れて応射する音が聞こえる。
煙る視界の中に、岩を背にした高槻が微かに見える。
晴香さんが先行する。
能力が制限されていても、なお常人では追いつけない速度を発揮し高槻に迫る。
普通の人間では、あの状態から銃を持った相手に勝つことはできない。
だが晴香さんは違う。
それを忘れていた高槻の負けだ。
岩の裏側に回りこみ、距離を一気に詰め抜刀する。
そしてくるりと岩を半周したとき、高槻は斬られているだろう。
わたしは九割九分の確信を持って結果を待つ。
そのとき、声がした。
「うっ!」
聞きなれた声。
誰よりも聞きなれた、わたしの、声。
わたしの、声?
あれ?どうして?
理由は、左脚に突き立った短い矢。
脚に?矢?
なんで?どこから?
射線の向こうに立っていたのは…高槻だった。
今、まさに斬りかかろうとしたその時。
あたしは由依の声を聞いた。
何故か脚に矢が突き立っているのを見て、思い出した。
忘れていた、有り得ぬ事実を。
-----高槻が、二人いる事を。
それを知ると同時にスタンガンで気絶させられ、あたしは忘れてしまっていた。
正しく言えば、混乱の中で記憶に留めておけなかったのだけれど。
見ればクロスボウを構えた、もう一人の高槻が狙いをつけている。
斬り上げようとした姿のまま、あたしは動けなかった。
由依が崩れる。
まるで左足が無くなったかのように、前のめりにカクンと倒れてしまう。
「あ、あれ?れ?」
軽く痙攣しながら、ままならぬ身体を悶えさせる。
地面に顔を擦り付けたまま、ひゅーひゅーと狭窄した呼吸音を響かせる。
「ハハハハハ!そこまでだなあ!」
目の前の高槻が距離をとりながら笑う。
「矢には毒が塗ってある。もはや動けん!
どこでももう一発ぶち込めば、窒息死は免れんぞ!」
遠くから、もう一人の高槻が叫ぶ。
-----あたし達は、敗北した。
「さてここからが、本題だ」
油断なく拳銃を構え高槻が言う。
悔しい。悔しいが、今となっては聞くことしかできなかった。
「名倉由依を助けたければ…」
僅かに明るさを増した空を指差し、もうすぐ朝がくることを示す。
「…次の放送までに、一人殺せ」
「くっ!…まだそんな事を!」
「気に喰わんか?なんなら、今ここで殺しても構わんぞ?ハハハッ!」
「死体を弄ぶのも悪くないからな、ハハハッ!」
二人の高槻が次々に笑う。
そのゲスな笑い。どちらも間違いなく高槻だった。
あたしは不快さに表情を曇らせる。
そのとき。
誰もが発言を予想していなかった由依が顔を上げ、押し出すように話し始めた。
「…晴香、さん」
なかば麻痺したまま、ゆっくりと言葉を並べる。
泣いていた。
「晴香さん、逃げて、下さい」
それを受けて高槻達が嘲る。
「ハハハ!いくらこいつが速くとも二人同時にかわせるものか!」
「お笑い種だな!こいつが逃げれば、お前も死ぬんだぞ!」
そうだ、逃げることなどできるわけがない。
それでも由依は構わず続ける。
「あたし、晴香さん達に、出会えて…」
ちらり、と何かが光ったように見えた。
気のせいかな、とぼんやり思った。
「本当に、良かったと…」
一瞬、何だろうと考えた時には手遅れだった。
考えるまでもなかったはずだった。
「思って、います…」
地面から溢れるように、光が漏れる。
そうだ。
あの光がもたらす結果は、これしかなかったはずだ。
最後に見えたのは、跳ね上がる由依のシルエットだったと思う。
全てのダイナマイトが誘爆した混乱の中、あたしは全速力で駆け出した。
土砂と銃弾と手榴弾の雨の中、どうにか森の中まで逃げこめたのは、
奇跡だったのかもしれない。
木々を抜け、建物を見つけて裏口から侵入する。
空間が広いほど、飛び道具が有利になるから遮蔽物は多い方が良い。
そう思って入り込んだそこは、教会だった。
椅子に腰掛け、土まみれの髪を整えなおす。
一息ついて、お馴染みの彫像に尋ねてみた。
「…友達が死んで、涙も出ないのは許されると思うかしら?」
答は返ってこない。
期待もしていなかった。
ただ、高槻が憎い。
脱出より、生存より。
あかりと、由依の仇をとることを。
高槻を殺すことを、あたしは誓っていた。
…そしてその時こそ、二人のために泣こうと思った。
【066名倉由依 死亡】